愛する

 細川政元は仙術に夢中だった。

 

 政元は応仁の乱山名宗全と覇を争った細川勝元の息子である。

 

 政元は武将の子に生まれ、そして必ずしも戦いが嫌いではなかったが、戦いを中心とする生活にうんざりしてしまった。 戦いを片手間にすることはできない。敵方を全滅できれば話は簡単だ。ところが、相手にも親族がおり、忠臣がおり、さらに面倒なことには機を見るに敏なものがいる。倒しても倒してもどこからか敵は湧いてでて、つまりは生涯をかけなければならない、解決のできない問題として後生に残さねばならない、そんなことを考えると、闘争心よりもけうとさが勝るのである。

 

 京都の管領をつとめた際などは、いまなお残る『源氏物語』の余香をかすかながらも感じて、黄金時代が終わったことを感じないではおれなかった。肉体同士の衝突に終始する戦場よりも、魑魅魍魎が跋扈する殿上人の生活に郷愁をおぼえた。

 

 とはいえ、政元には大きな欠落があった。そもそも『源氏物語』を成り立たせている色恋沙汰が彼にはまったく理解できなかった。したがって、彼にはその物語群が、登場人物のいない世界像をあらわしたものに過ぎなかった。恋情や嫉妬などの感情が力をもち、研ぎすまされて平凡な我々の日常生活を切り裂いて、物の怪を招来するのではなく、元来物の怪が先住する世界にたまたま人間というものが入り込み、おっちょこちょいにも自分たちの感情がこの世界を動かすと誤解しているような世界である。

 

 もっとも武将たるもの、物語などを読むことは忌避されていたから、そんなことを語る相手もいなかったし、読んだことさえ秘密で、特に印象に残った部分は筐底の奥にしまい込んでいたが、それ以外は密かに処分した。

 

 たまに会うこともある坊主などにそれとなく遠回しに聞いてみることもあったが、あまりに遠回しに過ぎるのか、あるいは彼らには経典のことしか頭にないのか、煩悩をいい、極楽浄土や地獄のことを語るばかりで、どれだけ言葉で飾り立てようと、こことは別の次元にある世界の話など、軽侮の念を引き起こすものでしかなく、話をしようとする気さえ失せてしまうのが常だった。

 

 だが、政元は愚かではなかったので、同僚には方々で美しい女がいると聞くや、ひきさらってきては手慰みにし、後宮のようなものをあつらえているものがおり、配下の者たちが酒席で女と戯れたり、あるいは夫婦間での睦まじい仲を冷やかされたりするのを見るにつけ、色恋が彼らの大きな原動力になっていることは認めざるを得なかった。女を抱くため、妻と再会することを動機に戦っているものが予想外に多かった。むろん、功名心や忠義心といったものもないではないが、その結果としてもたらされるものを考えてみると、一族の繁栄であったり、安泰だということになれば、そこには家族があり、情の問題が絡まってくる。

 

 政元はつくづく、自分がこの情から隔てられているのを感じた。美しい女を見て抱きたいと思うことはあったし、肉親に対してある種の感じをもつことはあった。しかし、いずれにしてもそれは隣の間に起こる気配であり、たとえ追いかけて、間仕切りを越えて隣に移ったとしても、それはすでにまた隣に移っている。

 

 政元ほどの地位にいると、当然のごとく跡継ぎを求められるから、好き嫌いでことが解決するわけはない。肉体的な欠陥があるわけではないのでなおさらのことである。

 

 しかし、物心ついたころから、出所もはっきりしない粗悪な、おそらくは仏教とすっかり融合してしまっているらしい仙道の書に読みふけっていた政元は、いかにも通俗書らしく、冒頭に書かれている生臭ものを食べないことと、女の肌に触れないという禁止事項を忠実に守った。家中の者たちはそれを仏教の戒律を子供ながらに守っているのだと信じていた。ずるがしこい政元は、当然それを信じたままにさせ、仙術のことなどおくびにもださなかった。

 

 父親は応仁の乱の最中、政元が幼いときに死んでいた。子供のことにかまっていられない時勢のことではあり、母親は政元の振る舞いを幼いものの信仰心のあらわれとして、むしろほほえましく見守っていた。女のことに関しては、成長すれば自ずから解決されると考えていた。ところが、それらしい年齢になっても、政元はいっこうに色気づく様子を見せない。政元にしてみれば、性欲は旺盛なのだが、仙術の要諦が精気を漏らさないことにあるのだから、かえって夢精によって失われることを心配していたのだ。

 

 そうなると、性欲を煩悩のひとつとして禁じている仏教などより仙術のほうがしぶといもので、仏教に帰依するには、人間なら誰にでも本来備わった五感から生じる快楽を罪として認めることを丸呑みしなければならない。その点、仙術は五感の封殺を命じているわけではなく、生臭ものを食さないことと射精することを禁じているだけで、しかもそれが罪だから禁じているのではなく、仙人になるという、ある意味自己中心的な理由のために禁じているにすぎないわけだから、抵抗の根拠としてはよっぽど堅固にできている。

 

 こうして、毒に徐々に身体を馴らしていくように、いってみれば十年弱の年月をかけて、無言のまま説得を続けていたわけだから、元服を過ぎて何年になろうと嫁を取ろうとしない政元にたいして誰もそれほど強く叱責することができなかった。

 

 それに、面詰したところで政元は晴朗な顔を崩すことがない。幼いときからの仙術の修行が実を結んだものか、お側役としてついていた百戦錬磨の爺が力ずくでねじ伏せようとしても、いつの間にか床に手をついた自分の横に、晴れ晴れとした顔をしたままの勝元が隣に座っていて、幼いときから仕えているものの薄気味悪くもあった。しかも、公務に関しては若くして優秀といっていい実績を残している。

 

 実際、父親の死の直後、八歳のときに官僚の地位に即位し、後には現職の将軍を追いやって新たな将軍を立てるなど、相当きわどいことも行っており、将軍を名目上の存在にし、後の戦国時代を用意したともいわれる人物なのだ。

 

 ずるずると時間を過ごしているうちに、とうとう政元は四十歳になってしまった。さすがにその頃になると、すでに政元の仙術狂いは世に知られていて、四十歳ともなれば、癒やすことのできない病だと一族の者たちもなかばあきらめていた。仕事はできるし、仙術なるものが恐ろしくもあったので、腫れ物に触るかのような扱いになっていたのである。

 

 ところでここでいささか厄介な事態が生じた。諸大名の取りなしに、将軍のお墨付きまでついて養子を迎えることになったのである。養子をとることについてはむしろありがたいことであり、政元には何の文句もなかった。しかし、病のために数ヶ月のあいだ床を離れられなくなったとなると、女の脛を見て雲から転げ落ちた久米の仙人と同様、地上から離れるべき身が重力に抗しかねているわけだから、恥ずべき失態だといえよう。

 

 そのありさまを見ていた一族の者たちは、政元もひとりの人間であることを改めて発見した。そうとわかると、とたんに将来が不安になった。そこで一族の者たちが集まり、相談の結果養子を迎えることになった。こちらも家柄といい、気質といい立派なものである。

 

 まったく別のところから、ほぼ時を同じくしてでた話となると、より配慮を払わなければならぬ方、つまり将軍と諸大名からの提案が選ばれることになる。しかし、この話を受け入れたときには、すでに一族が決めた養子の方も承諾を得るまで話が進んでいた。

 

 しかるに、払わなければならない配慮の量としがらみの多さは必ずしも比例するものではない。一族の要請を携えて使いにたったものが正直一途な上に忠義に厚く、あるいは武士たるもの一度だした言葉を翻すことはできないということもあったのか、この場合の忠義は、要請を受けいれてくださった先方に尽すものとなった。

 

 このことが種となり、家督争いに火がついてしまった。政元はもとよりこの状況を知らないではなかったが、もともと自分の血筋を後世に残すことなど何の関心ももたない男である、細川家の未来のことより、自分が俗世的な、あまりに俗世的な病気にかかったことに、思ったよりずっと大きな衝撃を受けてしまった。そして、政治の黒幕的な存在であることにますます興味を失った。元来、世俗的なことなど仙術によってどうにでも動かすことができることを証明し、信念をより確かなものにするために政治に関わっていたので、そろそろそうした些末なことが面倒になっていたのである。

 

 夜明け近くに目を覚ますと、夏が終わったのが部屋の空気の肌触りでわかった。今年も行きつ戻りつはあったが、決定的に秋に踏み込んだことは、あたりの粒子が夏のようにざわめいていないことからもうかがわれた。政元は朝の日課として湯殿に向かった。

 

 行水の前に、たらいに汲んだ水が静まり、滑らかな水の膜が光と影を蔵して、複雑な立体をたゆませている、その曲線的な結構に視線を添わせることが日課となっており、いつしか視線は様々な襞やたゆみのなかに溺れて、次第に水と一体化していくのである。

 

 ふと累卵のようにもろく重なる光と影の建築が揺らぎ、剣先の鋼の光が閃いたが、その光は影の層のなかに吸い込まれて、荒武者が政元の背中に突き立てた刀は、時を同じくして荒武者が政元に突き立てられた刀となり、吹き出た血がたらいの水のなかで赤黒い煙を立てた。どうやら、権力争いのなかで暗殺者が送り込まれたらしかった。「これだから、世の中は面倒だ」といっていまは荒武者である政元は、返り血に汚れた衣服を着替えると屋敷を出て行った。

 

 そもそも仙術のなかには尸解というものがある。死んだはずの人間が身体を抜け殻のように残して魂だけ抜けだして、別の人間として生きている、あるいは、死んで埋葬したはずの者を掘り返してみると、柩の中にはもはや影も形もなかったといったたぐいの話はよく伝えられている。

 

 仙人伝のなかには頻繁に見られる話だが、俗耳に理解しやすいために多く取り上げられているだけのことで、術とすればたいしたことではない。人間の世の中の出来事のすべてが、実体を伴わない現象に過ぎないなら、現象を入れ替えるくらいのことはごく些末な術であり、つまりは、俗世間で細川政元と呼ばれている現象と、暗殺者である荒武者という現象を入れ替えたに過ぎない。

 

 多少の工夫があるとするなら、この際、政治の裏工作や後継者などといったつまらぬことにこれ以上煩わされることがないよう、政元の死体をちゃんと残しておくために、暗殺者の魂を追い出して、その身体を政元が乗っ取ったくらいのことで、たらいに追い出した暗殺者の魂はやがて水のなかの光と影の揺らめきのなかに分解していくだろう。

 

 政元は新しい身体に慣れるため、雑事に気をとられることなく、思う存分仙術に励むため、紅葉に色づいた山に入った。半年ほどすると、新しい身体にも慣れたが、なぜか常に梅の香を炊き込めたなかにいる感じがした。数年たつうちに、仙界から遊山に訪れていた陶弘景先生と幸いにもお目にかかる機会を得て、親しく玄奧の一端を教示していただき、無可有の境地に遊んだ。

 

 ところが、いつのころからか、梅の香りが徐々に強くなり、それと同時にある種の懐疑を心から追い払うことができなくなった。確かに、人間が毎日繰り返していることなど価値がないことだ。現世的な栄枯盛衰、歴史的な勃興と没落の繰り返しなどは意味のない現象の連続に過ぎない。

 

 しかし、それを見るともなく見やり、自然のなかを遊弋している我々仙人にしたところで、諸現象のなかを無目的に通過しているだけなのではないだろうか。いや、現世的なものが無意味だとわかっている点ではいっそうたちが悪いといえる。なぜなら終わりのない、抜けだすことのできない夢のなかに閉じ込められているに過ぎないのだから。

 

 そう思うと、政元を仙術へと導いた無情さ、色恋に対する無感覚が、取り返しつのつかない欠如であったかのようにも思われてきた。梅の香りが、あたかも自ら香炉になったかのごとく、身体の奥底から立ち上るのを感じた。仙人であるための第一にして最重要なことは身体を充実させることにある。呼吸法が重要なのも、無機的な空気を気として吸い込むことで、身体に隙間をつくらないためである。

 

 しかるに、気の充実である身体に喪失が練り込まれるようになった。なにについてかわからないもどかしさをおぼえた。「寂しいならお言いなさい、一晩添い寝をしてあげよう、」その言葉はかつて幼いときに自分に言われたのか、誰かに言われているのを聞いたのか、物語のたぐいで読んだのかすでにわからず、洞を鳴らす風のように、「恋人よ、あなたは美しい。あなたは美しく、その目は鳩のようベールの奥にひそんでいる。唇は紅の糸。言葉がこぼれるときはとりわけ愛らしい。乳房は二匹の子鹿。ゆりに囲まれ草をはむ双子のかもしか。」考えたことも思い描いたこともない言葉が口から漏れでるごとに空虚は大きくなり、常人と異なる仙人においては空虚が広がることは不純物が広がって身体が重くなることなのであれば、雲の上に政元の居場所はもはやなく、意志のきかない滑空は落下でしかなくなり、コンクリートにひしゃげる頭蓋骨の音に、はじめて、それとて幻影であるのかもしれないが、実在の重さを感じ、視界の端に雨上がりのぬめるような夜道をてらす隅田川の街灯が明滅した。