男の首――三遊亭圓楽『たがや』
多分一番最初に好きになった落語は『たがや』であったと思う。落語の噺のなかではもっともよく知られたもののひとつだろう。
両国の川開きの当日、特に両国橋の上は花火を見物する者たちで立錐の余地もない。その橋の一方からはたがやが、反対側からは供を連れ馬に乗った侍が人混みを向こう側に通り抜けようとする。たがは桶や樽を外側から締め、形をまとめておくためのもので、たがやはその材料となる竹を丸めて持ち運ぶことになる。
橋の中程まできて、たがやと侍たちがすれ違おうとするとき、押された拍子にたがやのもっていたたがが外れ、馬上の侍の笠をはね飛ばしてしまう。収まらないのは侍たちである。どんなにたがやが謝っても許そうとはせず、屋敷にこいの一点張りだ。屋敷に行けば命はないことはわかっているから、せめて病気の親の後の始末を頼んでから出向くことで許してくれと頼むが、侍はいっこうに聞き入れようとしない。
そればかりか、橋の上の見物衆がみなたがやの味方をするので、手討ちにいたすと刀を抜いた。もはやここまで、と腹をくくったたがやは啖呵を切り、侍たちと立ち回りを始める。二人を血祭りにあげ、中間から槍を受け取って馬上にいた侍がじりじりと迫ってきたときには、もはやこれまでと観念したが、うまく懐に入ることができ、横に払った一文字に、侍の頭が中天高く飛び、たがやーっと見物から声がかかる。
東大落語会編の『落語事典』には「町人の武士に対するレジスタンスを現わした落語の一つ」などと書いてあるが、眉唾物である。それに倣えば、『首提灯』は封建的な身分社会をあらわしたものだとでもいうのだろうか。
また海賀変哲は『落語の落』で「・・・全く無味乾燥なものだ。只たが屋が、武士に悪口するところは、彼の「首提灯」に似ては居るが、比較にならぬ拙作である。この話しや「はで彦」の如きは、僅かに円蔵の快弁に依って命脈を保って居るもので、他の者が話したら、欠伸の百も出る事だろう。」と非常に手厳しい。
しかし、この落語は話の内容を聞かせるようなものではなく、中天高く飛ぶ首というファンタジーをひたすら満足させるためのものではないだろうか。空気が詰まっているわけでもなし、横に払った刀によって頭が宙高く飛ぶなどファンタジー以外の何ものでもないのだ。たがやと武士のやりとりなどは、ファンタジーに到達するまでの助走に過ぎないのである。その点、たがやが侍に謝るとき、三代目桂三木助が病気の親どころか、痩せこけて親のことを頼んで死んでいった兄のことまで持ちだすのは全くの蛇足である。
もともとこの噺で首を飛ばされるのはたがやの方だったというが(立川談志はそちらの結末で演じている)、ファンタジーの原則からすれば、そちらが正しい。落語が、威張りくさった武士などにこの性的快感にも通じる飛翔感を手渡していいはずがないからである。