信仰に固定しない散文ーー石川淳『焼跡のイエス』(1946年)

 

焼跡のイエス・善財 (講談社文芸文庫)

焼跡のイエス・善財 (講談社文芸文庫)

 

 

 

 

 

芥川龍之介全集 全8巻 (ちくま文庫)

芥川龍之介全集 全8巻 (ちくま文庫)

 

 

 石川淳が最もファルスに近づいたのは、「おとしばなし」の冠のもとに書かれた諸作品、『堯舜』、『李白』、『和唐内』、『列子』、『管仲』、『清盛』などにおいてである。しかし、これらは道化に徹底し、なにかわからぬエネルギーがひたすらほとばしっている坂口安吾のファルスとも、常識と非常識(ご隠居や大家と与太郎)の境目がぐらぐらと揺れ動いたり入れかわったりする落語ともその趣がまったく異なる。
 
 ここでは、堯、舜、列子管仲、清盛といった歴史上の人物たちが伝法な言葉で語り、それぞれ一応落ちらしきものもついているのだが、猛烈な道化ぶりによってあらゆる価値が破壊されるようなことも、巧みなあるいは強引な論理の操作によって価値の反転が行われるわけでもない。交わされる言葉こそくだけたもので、その言葉の独特さにこそこの連作の面白みがあるのだが、内容は他の小説で書かれているようなこととさしたる径庭はないのである。
 
 つまり、『堯舜』では恋愛、『李白』では脱俗的生活と俗中での生活、『和唐内』では思想と生活それに行動へと向かう契機について(女房にすべてもちさられ「甘輝、気をおとすな。運動がはじまるのはこれからだ。しつかりしろ。」/「だつて、このとほり一文無しぢや、手も足も出ねえ。生活の窮地におちいつたよ。」/「生活の窮地とかけて、何と解く。」/「はてね」/「これを宇宙の空虚と解きやす。」/「その心は。」/「されば、力のはたらく場所さ。」というのが落ちで、「おとしばなし」のなかではもっとも石川淳らしい落ちだろう)、『列子』では夢と現実、『管仲』では政治、『清盛』では権力からの解放について書かれていて、テーマは他の小説やエッセイと変わらない。そしてその価値判断は、決して単純なものではないにしろ、率直にあらわされているのである。
 
 戯作者化と称されてきたにもかかわらず、石川淳は逆説的言辞やイロニーとは無縁な作家である。しかしながら、石川淳には『焼跡のイエス』、『燃える棘』、『かよひ小町』、『雪のイブ』、『処女懐胎』といったキリスト教を題材にとった諸作品がある。
 
 これら一連の作品は、まさに、信仰の逆説、俗から聖への一瞬の転換、汚穢に満ちた現実に神々しい光が差し込むことによって価値が逆転するさまを描いたものではないだろうか。だが、これら諸作品で試みられているのも価値の逆転のようなことではない。このことは、石川淳が親しく読んでいたアナト-ル・フランスや芥川龍之介キリスト教を題材にして書いた小説と比較してみるとより明瞭に理解される。
 
 第一に、石川淳の諸作にあっては奇跡も秘密もない。フランスの『聖母の軽業師』のように聖母像が祭壇から降り立つということもないし、芥川の『奉教人の死』のように傘張りの娘と密通した咎で破門された神父が実は女性だったというような秘密が隠されているものでもない。言い方を変えれば、小説全体の意味をもう一度始めから組み変えなければならなくなるような遡及力のある意外な結末に石川淳は無縁である。
 
 『焼跡のイエス』で言えば、「ボロとデキモノの少年」がイエスであることは秘密でもなんでもない。語り手である「わたし」が敗戦後の市場で初めて少年を認め、少年とムスビ屋の若い女がもみ合いになるのを目撃し、よろけてきた二人に跳ねとばされたとき、つまり小説の中盤に既に「わたし」は「メシアはいつも下賤のものの上にあるのださうだから、また律法の無いものにこそ神は味方するのださうだから、かの少年は存外神と縁故のふかいもので、これから焼跡の新開地にはびこらうとする人間のはじまり、すなはち『人の子』の役割を振りあてられてゐるものかも知れない。少年がクリストであるかどうか判明しないが、イエスだといふことはまづうごかない目星だらう」と述べる。
 
 第二に、神性の開示のあり方が異なる。その後『焼跡のイエス』の「わたし」は、服部南郭の墓碣銘の拓本を取るために谷中へ向かう。気がつくと少年が「血に飢ゑた狼」のように後ろについてきていて、その距離がだんだん近づいてくるのがわかる。思い切って振り返った途端に少年は飛びかかってくる。「わたし」は死にものぐるいで少年を組み伏せ、「ウミと泥と汗と垢とによごれゆがんで、くるしげな息づかいであへいでいる」顔を見下ろす。
 
   
    わたしがまのあたりに見たものは、少年の顔でもなく、狼の顔でもなく、ただの人間の顔でもない。それはいたましくもヴェロニックに写り出たところの、苦患にみちたナザレのイエスの、生きた顔にほかならなかつた。わたしは少年がやはりイエスであつて、そしてまたクリストであつたことを痛烈にさとつた。それならば、これはわたしのために救ひのメッセーヂをもたらして来たものにちがひない。わたしはなに一つ取柄のない卑賤の身だが、それでもなほ行きずりに露店の女の足に見とれることができるといふ俗悪劣等な性根をわづかに存してゐたおかげには、さいはひ神の御旨にかなつて、ここに福音の使者を差遣されたのであらうか。わたしは畏れのために手足がふるへた。
 

 

 
 『聖母の軽業師』。修道僧になった軽業師は先輩たちのように、絵を描いたり石像を刻んだりする神を讃えるための仕事をもたない。聖母の祭壇の前で軽業をすることができるだけだった。それを見た院長たちは乱心したものと思い彼を取り押さえた。
 
     三人は力を合せて礼拝堂から引き摺り出そうとした。ところがそのとき三人は、祭壇の階段を降り給う聖母の姿を見た。降り立たれた聖母は、軽業師の額から滴り落ちる汗を、青色の外套の裾でお拭いになった。
     すると修道院長は平れ伏して、面を床の敷石につけたまま、次のような言葉を唱えた。
      「福なるかな素直なる人、彼らは神を見るべければなり。」
      「亜孟。」と、古参僧は地面に接吻しながら答えた。(水野亮訳)

 

 
 『奉教人の死』。破門されて姿が見えなくなっていた「ろおれんぞ」は、火事のなかに飛び込み、密通の結果できたと思われている子供を救い出す。だが、女性である「ろおれんぞ」は父親ではあり得ない。
 
   
    見られい。「しめおん」。見られい。傘張の翁。御主「ぜす・きりしと」の御血潮よりも赤い、火の光を一心に浴びて、声もなく「さんた・るちや」の門に横わった、いみじくも美しい少年の胸には、焦げ破れた衣のひまから、清らかな二つの乳房が、玉のように露れておるではないか。今は焼けただれた面輪にも、自らなやさしさは、隠れようすべもあるまじい。おう、「ろおれんぞ」は女じゃ。「ろおれんぞ」は女じゃ。見られい。猛火を後にして、垣のように佇んでいる奉教人衆。邪淫の戒を破ったに由って「さんた・るちあ」を逐われた「ろおれんぞ」は、傘張の娘と同じ、眼なざしのあでやかなこの国の女じゃ。
     まことにその刹那の尊い恐ろしさは、あたかも「でうす」の御声が、星の光も見えぬ遠い空から、伝わって来るようであったと申す。

 

 
 アナトール・フランス芥川龍之介では、神性は客観的に認められるものでなければならない。なぜなら、客観的に認められることによってはじめて価値が逆転するからである。聖母が祭壇から降りてくること、「ろおれんぞ」の乳房があらわになることによって、軽業師が乱心したと思っていた修道院長たち、「ろおれんぞ」を非難していた奉教人たちの信じていること、価値観は相対化される。更には、それを読んできた読者の視点が揺すぶられ、結末の意外性が感じられることにもなる。
 
 だが、石川淳では、「わたし」が少年にイエスを認めているにしろ、それを証明するしるしは書かれないし、しるしがあったにしろ、それを認めるいわば読者の代わりになるような第三者がいない。客観的に見れば二人の男が取っ組み合っているだけであり、そこになにか神的なものが現われたしるしはまったくないのである。それゆえ、この世ならぬ神的なものが地上の常識を覆す鮮やかな反転はない。
 
 それでは、「わたし」の価値観の転換、つまり、宗教的な回心のようなものがここで起こったのかというと、そうとも言えない。既に述べたように、「わたし」は小説の中盤で少年のうちにイエスを見ており、最後の取っ組み合いはそれを再認したにとどまる。「わたし」は「やはり」少年がイエスでキリスト、つまり救い主であることを認めるが、それによって信仰を得るわけでも、フランスや芥川のように信仰の神秘を悟るわけでもない。
 
 小説の中盤と終盤の二回の少年との関わりに違いがあるとすると、それはほとんど彼との接触の激しさの違いに限定される。中盤では、露店の女ともつれ合って偶然の結果よろけてきた少年が、今度はそうした夾雑物なしに、生なかたちで、しかも明確な意志のもと襲いかかってくる。
 
 「わたし」は「恍惚となるまでに戦慄」する。しかし、それは彼がもたらした「救ひのメッセーヂ」によるものではない。そのメッセージがなんであるのか、そもそも「わたし」がなにから救われなければならないのかは明らかにされない。この「戦慄」は、ただただ少年の「苦患にみちたナザレのイエスの、生きた顔」を「わたし」が激しいもみ合いのうちに「まのあたりに見た」感覚の強烈さによるのである。
 
 であるから、次の日「わたし」は再び上野の市場を訪れるが、そこには救い主への熱烈な思慕があるわけではなく、「ここに来たのは、きのふのイエスの顔をもう一度まぢかに見たいとおもつたからである」というほどのことであり、あたかも少年の顔が本当にイエスの顔のように見えるのかもう一度確認してみようとでもいうかのようである。加えて、「そして、ついでに、やはりもう一度ぐらゐは、あのムスビ屋の女の足を行きずりに見物してもよいといふふとどきな料簡はまだあつた」という欲望も健在で、イエスでありキリストでもある少年に巡り会ったにもかかわらず、「わたし」の料簡は始めから最後までなんら変わることはない。
 
 上野の市場は市場閉鎖で昨日とは様子がまったく異なっている。縄が張られ、そのなかは人影もない。「きのふまでの有象無象はみな地の底に吸ひこまれてしまつたのだらう。イエスのすがたも、女の足も、今は見るよしがない。もしわたしの手足にまだなまなましく残つてゐる歯の傷爪の傷がなかつたとしたならば、わたしはきのふの出来事を夢の中の異象としてよりほかにおもひ出すすべがないだらう」ということで、「わたし」を変え、「わたし」に残ったものといっては「歯の傷爪の傷」だけであり、後は「夢の中の異象」に等しい。
 
 要するに、ここでも、問題になっているのは神や信仰の力による価値の逆転なのではなく、イエス・キリストと女の足が緊張関係を保てるような散文である。
 
 アナトール・フランス芥川龍之介キリスト教を題材にした小説では、神や信仰の力があたかも逆説的表現、価値の逆転のための道具として用いられるようなところがあり、そのためにしばしば彼らは「主知的」と非難される。
 
 そして、彼らに対する批判者たちは、本当の宗教、本当の信仰は、こうした知的遊戯に見まがうもののなかにはないと、真の信仰とそれに見合った表現方法を求める。だが、フランスと芥川の後続者たる石川淳の方向はそれとはまったく異なる。
 
 石川淳は、むしろ、真の信仰や思想に縁がないことにこそフランスや芥川の真価を認める(「出来上がつた人柄全体を支へてゐるものは位置の定まらぬ知識の集合と見るほかなく、ただそれが限られたひろがりの中で統一されて、かなりうつくしい教養の平面図を形成してゐた。そして、この平面図は遺憾ながら運動を知らない性質のものであつたにも係らず、図形の範囲内では変化流通に富んでゐて、そこに凝りかたまつたものがなにかの思想になるなどといふ野暮な沙汰には及ばなかつた」「アナトール・フランス」)。
 
 フランスや芥川に物足りないところがあるとすれば、真の信仰を知的に矮小化していることにあるのではなく、逆説や価値の逆転によって信仰を描くことに、いまだ真の信仰に対するノスタルジーが残っていることにあるだろう。あるいは、神聖なものを俗世界とは別次元にあるものとし、神聖なものが俗世界に介入するや、俗世界がその運動を止めてしまうような事態、言い換えれば、言葉が神聖なものに突きあたったときに、それを言葉にすべからざるものとし、そこで文章の運動が終わってしまうようなところが両者にはまだある。
 
 石川淳がなしたのは、この聖と俗との重層性を文章に一元化し、聖なるものが俗なるものには入り込んだときに生じる文章の遅滞、硬化を解消することによって、言葉を速やかに流通させることだった。このとき石川淳が範としたのは、彼が江戸において発見した「やつし」あるいは「俳諧化」だった。
 
 この操作によって、例えば、佐久間家の下女は能の『江口』の江口の君になり、それを通じて大日如来になる。つまり、佐久間家の下女とは限らない、ある市井の女性が、西行に宿を断り、断られた西行が詠んだ歌「世の中を厭ふまでこそかたからめ仮の宿りを惜しむ君かな」に対して「世を厭ふ人とし聞けば仮の宿に心とむなと思ふばかりぞ」と返歌した江口の君に見立てられ、この江口の君は謡曲『江口』に従えば大日如来の化身である、という道筋になる。だが、「俳諧化」とは、実際には、こうしたまわりくどい分析を経るべきものではなかった。ある女性即ち江口の君即ち大日如来、でそこに遅滞はない。
 
 
     江口の君をおもかげにしたこのお竹の説話から、何らかの思想を抽象しようとするのは愚に似てゐる。仏説の縁起観がはたらいてゐるといつただけでは説明にもなるまい。けだし、江戸人にあつては、思想を分析する思弁よりも、それを俗化する操作のはうが速かつたからである。かれらにとつて、象徴が対応しないやうな思想はなきにひとしかつた。かれらがときに無思想と見られがちである所以だらう。げんに、お竹説話に於て、われわれはそこに二重の操作しか見ない。一面は江口こそ歴史上の実在で、お竹こそ生活上の象徴であるやうな転換の仕掛に係る。また一面は眼をひらけばお竹、眼をとぢれば大日如来といふやうな変相の仕掛に係る。いはば、お竹すなはちやつし大日如来である。またお竹説話すなはちやつし仏説縁起観である。そして、この仮定が忽然と生活上に立てられたとき、それは歴史上の現実たる江口説話に依つてとうの昔に証明済といつたあんばいで、とたんに?でもうごかない。さつそく筆まめな学者先生がお竹の実話を随筆に書いたり、慾ばりの香具師がお竹の遺物を小屋掛で見せたりする。江戸に於ける俗化といふことばは右体の次第から離れたところではたちまち意味をうしなふだらう。またやつしといふ思想はおなじことばのやつしといふ操作と不可分であるところにはじめて活機をうるだらう。このやつしといふ操作を、文学上一般に何と呼ぶべきか。これを俳諧化と呼ぶことの不当ならざるべきことを思ふ。
                        (「江戸人の発想法について」)

 

 上野の市場を徘徊する「ボロとデキモノの少年」がなぜイエス・キリストなのかは少しも問題ではなく、「ボロとデキモノの少年」をイエス・キリストと見ること自体、そうした仮定から引き出されるもののみが重要である。
 
 であるから、お竹に大日如来を見ることが格別、宗教心のあらわれではないように、少年にイエス・キリストを見ようと、そこに特別な信仰、例えば、ある種のキリスト教神秘主義のように、もっとも悲惨な現実のなかに天上的な美しさを幻視するといったこととの関わりがあるわけではない。
 
 ただ、イエスという人物が最下層の貧者や病者とともに生活をしたこと、その記録が聖書に記されていること、そして、悲惨なもののなかに神々しさを見るような伝統がキリスト教にあるという事実の集積が「ボロとデキモノの少年」とイエス・キリストを同一視することを正当化し、また、それだけで十分なのである。「ボロとデキモノの少年」は、少年即ちイエスという操作によって流動化する。飢えと貧しさの悲惨さしかあらわしていないかに思われた少年が、イエスと結びついたとき、イエスにまつわる膨大な記録と夢想の記憶が同時に流れ込み、少年はなにか得体の知れないものになる。
 
 あるいは『処女懐胎』では、貞子が妊娠しながら「さういふ原因に当たるやうなしぐさは、なにもしたおぼえないわ」と主張するが、それが事実そうであるのかどうかはたいした問題ではない。「処女懐胎」という要素の混入によって、通俗的とも言える中流階級とそこでの三角関係という図式がどこか予想できない方向に向けて流れ出すのである。
 
 姉は貞子の言葉を信じながらも「つい手の下にある妹のからだが突然消えうせて行くやうにおもつて、ぞっと」するし、貞子をめぐる三角関係の一方をなす伝吉は彼女の言葉を大して信じる気配も見せずに「きみの子でもだれの子でも、おれの知つたことぢやねえ。おれはこどもを生む女なんか大きれえだ。あいつが腹のふくらんだ格好なんざ、うふ、をかしくつて目もあてられねえ。おれはそんなものには惚れてなんかやらねえよ」と啖呵を切り、もう一方の徳雄の方はいわば貞子の言葉に感応するよう聖痕的な徴を見て、膠着状態にあったそれぞれが異なった方向に動きだすのである。
 
 イエス・キリスト処女懐胎といっても状況を流動化するための契機にしか過ぎない。この意味で、石川淳は、イエスや奇跡や信仰が物語すべてを支え保証するアナトール・フランス芥川龍之介の小説を「俳諧化」していると言える。