エモーションのサスペンスーーアルフレッド・ヒッチコック『ダイヤルMを廻せ!』(1954年)
原作・脚本、フレデリック・ノット。撮影、ロバート・バークス。音楽、ディミトリ・ティオムキン。
ヒッチコックの映画には、純粋な推理もの、探偵小説的なものはほとんどなく、あるいはこの作品が唯一といえるかもしれない。犯行手口が最初から明らかにされ、どこに破綻があらわれるかを楽しむ、ほとんど刑事コロンボ的な作品である。
テニス・プレイヤーであったトニー(レイ・ミランド)と資産家であるマーゴ(グレイス・ケリー)の夫婦仲は、マーゴが推理小説作家であるマーク(ロバート・カミングス)と不倫をすることによって一挙に剣呑なものとなり、トニーはマーゴを殺す綿密な計画を練る。
長年顔を合わせたこともない、大学のときから素行が悪く、刑務所にも入っていた同窓生を引きずり込み、金に困っている弱みにつけ込んで、殺させようというのである。これもコロンボ的だといえるが、時間や殺す方法まで決められていて、完全犯罪を目指し、恐ろしく几帳面なのである。
ところが、マーゴも黙って静かに殺されるわけでもないので、もみ合いになった揚句、近くに置いてあったはさみで、殺そうとするものが逆に殺されてしまった。
とっさに、トニーは、自分の浮気を脅されていた妻が、計画的にその男を殺したのだと筋書きを書き換えた。脅迫になるような種は現実にあり、マーゴは処刑を待つ身となる。
『ロープ』や『裏窓』と同様、この映画もほぼ一室で物語が進行するが、それは芝居が原作だからである。映画化権を買い取ったヒッチコックは、ヒットしているものにはヒットするだけの理由があるのだから、変える必要はない、と原作者に脚本を任し、舞台を映画的なものにすることだけに専心した。
倒叙ミステリーであるから、サスペンスには一見欠けるようなのだが、エモーショナルな部分を牽引するのは、追い詰められる犯人というよりは、三角関係でのマーゴの情の揺れ動きにある。それとともに、またそれとは関係なく、我々観客のエモーションもあちらこちらから引っ張られる。
私自身に関していえば、最初は、上品で丁寧ではあるが、その実、状況を強引に支配しようとするトニーに反発をおぼえ、マーゴの不倫も仕方がないと思えるのだが、後半にいたり、トニーが失敗を重ねると、警部にまとわりついて、なかばあたってはいるのだが、処刑直前の彼女をどう救い出すのかまでは考えが及ばないマークがうざったくなる。最後の決め手が、トニーが用意した鍵が合わないというのも、露骨に性的な意味合いがして、相手になっているのがグレース・ケリーなだけに、とにかくエロチックである。
ちなみに、グレース・ケリーはこの映画当時はまだ無名で、ヒッチコック映画への出演もはじめてだった。しかし、すぐヒッチコック一家と仲良くなり、演技については天性の才能があり、撮影が特に滞るようなことはなかったという。それだけに、このあと立て続けに2本、『裏窓』と『泥棒成金』をとってモナコ王妃になり、引退してしまった彼女に対しては、ヒッチコックはトニーやマークに勝るとも劣らない葛藤と喪失感をおぼえ、我々としても『北北西に進路を取れ』はグレース・ケリーで見たかったと思うのだが、この喪失がなければ、おそらく『めまい』が生まれることはなかったのだと思うと、複雑な気分になる。