タルコフスキー、内田魯庵、滝沢馬琴、ピタゴラス
タルコフスキー『僕の村は戦場だった』(1962年)、第二次世界大戦の末期、ドイツ軍との戦いで母親を殺され、ひとりぼっちになった少年が、学校へ行くことを拒み、戦闘に参加することを志願する。少年は幻想的な悪夢と甘美な夢を交互にみる。スピルバーグの『太陽の帝国』で収容所に入れられた少年のように、精神の平衡を逸している。
浜辺にたたずむ母親の夢だとか、沼沢地を闇のなかで小舟に乗って進み、頭上には曳光弾が行き交っている場面など、あまりに美的であり、一時期、たとえば『惑星ソラリス』では、異星人とのコンタクトの話が、父親との葛藤が浄化される物語に収斂していたりして、タルコフスキーがあまり好きではなくなったのだが、この映画にも、ウラジミール・ポゴモーロワによる原作があって、タルコフスキーの長編のなかでは、唯一ほかから押しつけられた企画だというが、はじめに手を入れたのが、原作にはない少年の夢の部分を書き足すことだったことを知って、結局自分の夢を描きだすことにしか興味がなかった人なのだな、と思うとこれはもう趣味の問題で、反発は消えてしまった。
日本名著全集という単行本よりも少し小ぶりではあるが、ページ数がやたらと多くて、しかも三段組みなものだから、文字も小さくて読みにくいことおびただしい本があって、江戸時代の小説のたぐいが相当量収められているので、一時期使っていたが、いまはさすがに目にも負担がかかり、方々に散らばってしまったのだが、確かそのうちの三巻が馬琴の『南総里見八犬伝』に当てられていて、岩波文庫だと各巻相当厚い全10冊が、3冊にまとめられているのであるから、文字の小ささもわかろうというものだが、それでも全部は収められず、各巻に内田魯庵が梗概をのせているのだが、それが簡単なあらすじどころのものではなく、抄訳といってもいいくらいのものだった。
それと馬琴の本文との関係がどんな具合になっていたのか、見せ場だけ本文を乗せていたのか、あるいはたとえば途中から最後までをとりだしていたのか、おぼえていないのだが、とにかく内田魯庵にとっては相当に手間のかかる仕事だったことは間違いなく、馬琴については並々ならぬ関心をもっていると思っていたのだが、明治22年の「馬琴の小説」「馬琴の文章」などでは、馬琴に対して批判的に接している。
言文一致という新しく起こった運動に対しては、馬琴が歴史を題材にとったところといい、教訓的なところといい(実は教訓の名の下にエログロを尽しているといったほうが近いのだが)、妨害となるものでしかない、と判断していたのだろう。
ピタゴラスは完全数を崇拝した。完全数とは同じ数字を、二つの異なる操作に適用しても同じになるような数のことをいう。
たとえば6は完全数の一つで、
6=3×2×1であり、同じ数を足すことによっても、
6=3+2+1 と同じ結果を得ることができる。
また28は1,2,4,7,14のいずれによっても余りなく割り切ることができるが、この数を足すことによっても、
1+2+4+7+14=28
となる。
√2のような無理数は、ピタゴラス教団で門外不出の秘密として知られていたらしいが、ピタゴラスは、そうした数が存在することに耐えられない信徒によって殺されたのだという伝説もあったらしい。