自らを空虚たらしめよーー石川淳『紫苑物語』

 

紫苑物語 (講談社文芸文庫)

紫苑物語 (講談社文芸文庫)

 

  「国の守は狩を好んだ。」という簡潔な文から一気に最後まで駆け抜けるかのような小説、『紫苑物語』で、十八歳のとき遠国に任地した宗頼はそれから一年とわずかの間に三種類の矢を射ることを会得する。

 

 第一は知の矢である。この矢は矢場の的なら百発百中まん中を射抜くが、狩場の獲物となると、確かに当たったようには見えるが、常に空を切る。ただ、その当たったかに見える獲物は、不思議なことに姿を消して、誰の目にも見えなくなってしまう。この矢が獲物を倒さないのは幼少の頃から親しんできた歌のせいである。狩りをしていると自分では思っていたが、宗頼が実際にしていたのは歌であり、矢の狙いを定めることで自然の景物を拾い上げてるのだった。


 第二の殺の矢が会得されるのは、小狐が目の前をさっと横切る瞬間、とっさになにを思うこともなく矢を放ったときである。このとき、もはや歌はなく、狙ったものに突き刺さり、獲物の命を奪うという、狩場の矢の本質があらわになる。

 

 だが、実は、殺の矢とは、これだけでは十分ではない。歌が突き刺さる矢に変ったものの、対象は同じであるからである。つまり、殺の矢にはそれにふさわしい対象がある。

 

 宗頼の伯父であり弓の師匠である弓麻呂は言う、「矢はもつぱら生きものを殺すためのものぢや。たかが鳥けものなんぞのたぐひではなくて、この世に生けるひとをこそ、生きものとはいふ」と。歌を詠み、歌を蓄積していく人間を殺さなくては、殺の矢が歌を完全に滅ぼしたとは言えない。

 

 宗頼は弓麻呂に追いつき勝たなければならない敵の姿を認める。しかし、この殺の矢では、断固たる意志によって自らを歌から絶縁している伯父の弓麻呂を射殺すことはできない。とはいえ、弓麻呂の限界もまたそこにある。歌に代表されるような世界から身を背け、「無頼のむれに」入った弓麻呂だったが、それもまた歌などを詠むこともある人間の半面に過ぎないからである。弓麻呂は、確かに、歌からは絶縁していたが、あえて人間であることから離れようとはしていない。


 第三の魔の矢を会得するのは、愛妾であり狐の化身である千草の言葉がきっかけとなる。彼女はかつて宗頼に傷つけられた小狐で、復讐のために女に身を変えて宗頼に取り入ったのだが、いまでは宗頼を慕わしく思っている。千草は宗頼を魔神にたとえる。

 

 宗頼は「なに、魔神。よくいつてくれた。魔神。それこそわしがさがしてゐたことばぢや。わが身をもつてこのことばを充たさなくてはならぬ。魔神となつて、わしはこの世にただひとりぢや」と答える。それまでも宗頼は、家来など多くの人間を殺してきた。だが、それは弓麻呂のように、無頼のもの、つまり人間として殺していて、その意識から離れることはできなかった。

 

 千草の言葉は人間以外への道があることを指し示す。この示唆によって、宗頼は弓麻呂を倒すことができる。人間は生きものとしての人間を殺すことしかできないが、魔神は人間をその魂もろともに滅ぼすのである。かくして、弓麻呂は、彼についていた老いた狼の霊とともに殺される。

 

 こうして、弓麻呂を乗り越え、我が身をもって魔神を創造しようとする宗頼の今度の敵は、岩山の頂で里の安らぎを守る仏を彫り続けている平太に変わる。自ら創造した魔神と平太が彫り上げた仏との戦いである。宗頼は弓に姿を変じた千草とともに岩山の平太を訪れ、平太が岩山に掘った仏の首を魔の矢で見事に打ち落とすが、すぐに谷底にのみ込まれ、平太もまた眠るように息を引き取る。


 宗頼によって平太はなんなのか、そう千草に尋ねられて宗頼は平太は自分だ、と答える。「わしでもあり、わしではない。ここにわしがゐる。そして、岩山のいただきに赤の他人の見しらぬ男がゐて、そやつがまた遠いわしのごとくでもある。ともかく、わしは一刻もはやく岩山のいただきに行きつかなくてはならぬ。さうでなくては、わしといふものがこの世にありうる力はうまれまい」と宗頼は言うが、それはつまり、弓矢の、武器としての力を極めた弓麻呂を魔の矢で倒したいま、敵となるのは平太の仏しかないということである。

 

 この敵は、魔の矢が魂に関わるものである以上、魂の敵であり、自己の分身なのだと言うことができるかもしれない。息絶えた平太の顔は「髪髯こそみだれたが、目鼻だちいやしからず、気合ひとに迫るのは、見まがふまでに、宗頼の顔にさも似てゐた」とあり、石川淳の戯曲の題名にもなっている「おまへの敵はおまへだ」というテーマが明らかであるように思える。

 

 しかしながら、宗頼と平太とはお互いがお互いの敵として存在し、対称をなしているわけではない。宗頼は平太のことが気になってならず、平太に倒すべき敵を認め、岩山に押しかけていくが、平太のほうは「なにものぢや」と宗頼が来ることなど予期してないし、宗頼だと知っても「なにしに来た。かさねて来るなと申しておいたに」と素っ気ない対応をするだけである。

 

 宗頼は自分の存在証明のために是非とも平太(より正確に言うと、平太の魂である仏の像)を倒さなくてはならないと思っているが、平太はなんのためにしろ宗頼を倒す必要など毛頭認めていない。宗頼にとって平太は必要欠くべからざる人物だが、平太にとって宗頼はそうではない。言葉を変えて言えば、宗頼は自分の敵である自分の分身を必要とするが、平太はそうではない。


 宗頼はつねにその師匠や敵によって規定されている。宗頼は家来など多くの人間を殺すが、それは人を殺すことこそ弓の本義だとする弓の師匠、弓麻呂の教えにかなっている。歌の圏域にあったときには、矢を放っても獲物を殺すことができないという歌の法に縛られていた。そして、平太を敵と認めてからは、「捨ておけ。位も姫も、今は二つながらやくたいもないはなしぢや」といわば平太が従っている法に向かうのである。

 

 宗頼自身はからっぽの器に過ぎない。歌、殺、魔それぞれの段階において宗頼は歌の師匠である父親、弓の師匠である弓麻呂、岩山で仏を掘る平太に充たされており、宗頼がしなければならないことは彼らを速やかに消費することである。だが、平太を自分の分身と認めた瞬間、はじめて宗頼は空虚な器であることをやめる。

 

 宗頼が平太に自らの分身を認めるとは、実は宗頼が平太の分身になることなのである。かくして、平太を消費するとは、つまり平太に打ち勝つとは、平太の分身である自らを滅ぼすことになる。

 

 こうした袋小路に入ってしまうのは、『紫苑物語』が宗頼の物語であるのと同時に弓についての物語だということがある。人間はあらゆる規定を消費していける生物だが、弓は矢を放ちそれをなにかに当てるという規定からは逃れられないものだからである。ある道具についてとともにある人間の成長から死までをも描き、しかも破滅的でもある点で石川淳の作品のなかで特殊な位置を占める『紫苑物語』は、石川淳の戯曲の題名にもなっている「おまへの敵はおまへだ」という言葉の意味するところを明らかにするだろう。

 

 「おまへの敵はおまへだ」とは、汝自身を知り、その上でそれを乗り越えよ、ということであるよりは、自らを充たすものを速やかに消費し、次に充たすものを迎え入れることのできるように自らを空虚な器たらしめよ、ということである。