石と郷愁ーー楳図かずお『おろち』

 

 

ふるさと・・・

この胸にせまる

あまくも

もの悲しいひびきは

人間にとって

どんなかかわりが

あるのだろう?

 

 

という叙情的なナレーションで梅図かずおのマンガ『おろち』の一編、「ふるさと」ははじまる。おろちは時間を超えて様々な人間の運命を見守り、ときにはその運命の変転に手を貸すこともある少女が狂言回しの役割を果たしている。

 

 小さな山間の農村に生まれた主人公、杉山正一は、素朴な環境でごくのどかに育っていくが、学校を卒業後、都会に出て、友人の裏切りをきっかけに盗みを働くことになり、町を転々としたあと、やくざになる。

 

 やくざ同士の争いのなかで、彼は車にひかれ、病院のベットで既に忘れ去っていたはずのふるさとに戻る。このことは、語り手であるおろちによって、夢などではなく、文字通りのことだと示唆される。

 

 卒業以来はじめて帰ることになったふるさとはすべて昔のままで、温かく迎えてくれる両親を前に、正一は二度とここを離れないと誓う。

 

 久しぶりに歩くふるさとの光景は懐かしいものばかりで、村の象徴的な中心である神社も例外ではない。

 

 神社のお堂には、むかし火を噴きながら落ちてきたという隕石が祭られてあって、夜になると青白く光ると恐れられていたこと、学校の帰りに女友達の良子をそのお堂に閉じ込めて帰ってしまったこと、を正一はとりとめもなく思い起こす。

 

 だが、一方、偏在的な視野をもつおろちは、平穏な外観のもとでなにかが進行していることに気づきはじめる。その疑念は、村の誰もが良子とその子供の話になると狼狽して、口を閉ざしてしまうこと、正一の幼なじみの原因不明の死、そして良子本人からの、子供が光る眼をもち、気に入らない人間をすべて殺してしまうという訴え、そしてそれを訴えた良子が死ぬことによって決定的なものとなる。

 

 また、村民に対して専制的な力を振るっていた良子の子供が、お堂に祭ってあった隕石を抱き、村の子供たちに自分と同じ超自然的な力を授けていく様子が語られる。

 

 それから物語は急加速し、超自然的な力と破壊のための破壊を結びつける光る石の作用が大人にまで感染し、彼らは村のすべてを壊しはじめる。

 

 最後に一人残った正一もその仲間にされそうになるが、危ないところでおろちが光る石を粉々に砕くことによって助けられ、おろち自身も気を失ってしまう。溶暗のあと、おろちが意識を取り戻すと、村のあった場所は岩だらけの荒野で、既に三年前の台風で全滅していたことを知らされる。

 

 一方、その頃、正一が運び込まれた病院では、正一を死の瀬戸際まで落い詰めていた頭蓋のなかの鉄片が突然消えて、医師たちを驚かせる。

 

 そして、正一のふるさとを思う力がふるさとをつくりあげ、そこに私も迷い込んでしまったのだろうか、というおろちのナレーションで物語は終わる。

 

 正一の生命を脅かしていた鉄片は多様な意味と働きを担っている。すさんだ生活において意識化に押しやられていたふるさとへの郷愁をあらわにする。そして、この鉄片は、子供のころと同じ田舎の風景をそのまま再現する一方、奇妙な力を周囲に及ぼすことによってふるさとを破壊するものでもある。頭蓋の鉄片は、魔術のように失われた過去を取り戻してくれる一方、そこに過剰ななにかを付け加えてしまうのである。

 

 台風で壊滅した村が「現実」であるなら、両親や良子や幼なじみは正一の幻想の届く範囲であって、はじめて出会う子供たちこそが過剰なものであり、鉄片によって導き入れられたものだともいえる。

 

 やくざ同士の抗争の場で偶然に受けた鉄片がそうしたあらゆる意味を呼び込む場になること、偶然が多層な実存の複雑な襞を押し広げる出来事となり得ること、それを光る石として形象化し、既に失われてしまったものに対してしか郷愁は郷愁たり得ないこと、失われたものにこそ全実存を賭けるのがノスタルジーであることを、見事に描いた一編である。