黒いドレスの女ーー伊藤俊也『女囚701号 さそり』

 

女囚701号さそり

女囚701号さそり

 

 

 

脱獄広島殺人囚 [DVD]

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監督 伊藤俊也

原作 篠原とおる

脚本 神波史男

   松田寛夫

撮影 中沢半次郎

音楽 菊池俊輔

 

 女囚ものという確固たるジャンルがあることは、それこそ中校生くらいのころから知っており、それがビデオ・レンタル店にいくと、エロスの棚にあることも知っていたが、なぜかまったく見ないで過ごしてしまった。私がぼんやりとおぼえているところでは、アメリカものとドイツものが多かったような気がするが、そして、大学生になり、VHSの再生機を手に入れてみた成人映画やアダルト・ビデオにおいても、洋ものをしきりに見ていた時期があるのだが、手を出すことはなかった。

 

 つい先日のこと、「春日太一東映講座」という番組で、中島貞夫監督の『脱獄広島殺人囚』(1974年)が推薦されていたので見ていると、松方弘樹を主演として、若山富三郎、梅宮辰夫、西村晃渡瀬恒彦大谷直子などというそれは豪華な出演陣で、面白かったのだが、途中からこの映画、もしかしたら前に見たことがあるかもしれないと思い始めたのも、これまた、同じくらいの時期に、東映の実録やくざ映画を見まくっていて、深作欣二中島貞夫であれば、当時はまだVHSのビデオテープとソニーのベータがレンタル店にいくと両方置いてあった時期であったが、借りまくっていたのだ。

 

 この映画の結末は、いわゆるオープン・エンディングで、最後のシーンも実にしゃれているのだが、結局数日たったいまでも、それが初見なのか再見なのかはっきりとしない。

 

 しかし、監獄=やくざものとしてもっとも有名な高倉健の『網走番外地』のシリーズは、せいぜい2作目までくらいしか見ていないはずで、ちなみに『脱獄広島殺人囚』の松方弘樹は、やくざではなく、単に肝の据わったチンピラなのだが、それ以前のことでいえば、『大脱走』や『パピヨン』は大好きで、洋画劇場で何度も見たはずだけれど、これらは監獄ものというよりは自由を求めるヒーローの映画として別物であろう。

 

 最近のアメリカでいうと、HBOのテレビ・ドラマである『OZ』などこそ監獄ものと言っていいが、これはたぶん1シーズン終える前に見るのをやめてしまった。総じて、厳しい規則と陰湿ないじめが横行し、人間関係の多方向への気配りによって自身の安全を保つような密閉された状況そのものが、ホラーやバット・エンディングは好きなくせに見ているだけでストレスを感じるようで、要するに好きなジャンルではない。

 

 従って、『女囚701号 さそり』に関しても、昔から知っており、原作の篠原とおるのマンガは散発的に読んだ気もするし、梶芽衣子の「恨み節」はタランティーノの『キル・ビル』でも使われていたし、梶芽衣子は『鬼平犯科帳』のおまさの役柄も好きだったが、これまで見ないで過ごしてきた。

 

 梶芽衣子演じるナミは、麻薬課の刑事である杉見(夏八木勲)と恋人同士で、杉三の頼みによって潜入捜査をすることになる。ところが、杉三は実は悪徳刑事であり、麻薬の取引でもうけているやくざ商売に加わる手段としてナミを利用したに過ぎなかった。

 

 やくざの幹部連中になぶり者にされたナミは、仕事賃としてわずかの金を放り投げられる辱めを受け、杉身を殺そうとするが、逆に捕まって女囚となる。伊藤俊也は『誘拐報道』や『白蛇抄』の監督で、この作品が初監督である。

 

 東映の映画だが、やくざが経営するクラブの場面などは日活的な無国籍な場になる。また、ナミと杉見が愛し合う場面ややくざの幹部連中になぶり者にされる空間などは、非常に抽象的なもので、『東京流れ者』のころの鈴木清順を思わせる。またなぶり者にされるところから、廻り舞台によって、やくざのボスの部屋に移るところ、牢獄のなかで、ナミを陰険に痛めつける敵対する女囚たちのひとりと、風呂場でけんかになり、その敵が隈取りを塗った顔に変じ、足下が撮されず、滑るように迫ってくる場面などは、いっそう鈴木清順的である。

 

 女囚たちの暴動に乗じて脱獄したナミは、喪服のような黒いドレスにつばの広い帽子をかぶるかっこいい姿で、やくざの幹部たちを次々に殺していくが、それも非常に様式的であり、最後の警視庁での杉見との戦いにおいてはじめて、命をやりとりする格闘が演じられる。最後に、杉見を倒し、ナミは監獄に戻っていく。

 つまり、ナミにとっては脱獄が目的であるわけではなく、手ひどい裏切りと屈辱の落とし前をつけることだけが目的だったので、監獄もので定番である自分の安全確保のための駆け引きや自由になることでさえ二次的なことに過ぎないことが、獄中での、梶芽衣子の、一貫して凝固したかのようなうつくしい無表情においてあらわれている。