ビター・スィート・サンバーードゥニ・ヴィルヌーヴ『プリズナーズ』(2013年)

 

 

脚本:アーロン・グジコウスキ

撮影:ロジャー・A・ディーケンス

音楽:ヨハン・ヨハンソン

 

 かつて、ドン・シーゲル監督、クリント・イーストウッド主演で『ダーティハリー』(1971年)が公開されたとき、雑志『ニューヨーカー』で映画欄を担当していたポーリン・ケールは、自警団的(ビジランテ)で、ファシスト的だと批判した。

 

 アメリカでは、自らの力と知恵と経験とをもとに、実力行使していくような人間をヒーローとして称賛する一方、それを批判する勢力が必ず存在している。

 

 アメリカで、ヌーベル・ヴァーグの影響を受けて、シネフィルとして映画評論を行ってきたジョナサン・ローゼンバウムやJ・ホバーマンなどが、日本では彼らの一世代前にあたる蓮實重彦などが、日本がイーストウッドを作家として最初に認めたと、鼻高々であったかなり後になっても、イーストウッドに対してどことなく歯切れが悪かったり、批判的であったのは、ビジランテ的なものを崇拝する勢力がアメリカには常に一定程度おり、それは現在でもマーベルやDCコミックの映画化にあらわであるが、そうしたスーパーヒーローに対する熱狂が、トランプ大統領を生み出した潮流と無関係でないことを、かつて数々のリンチ事件やKKKを生み出してしまった苦い反省から彼らが無関心ではおれないからであろう。

 

 イーストウッドは、『トゥルー・クライム』(1999年)か『ブラッド・ワーク』(2002年)だったか、明らかにポーリン・ケールを思い起こさせる映画批評家を映画の冒頭において殺人事件の被害者とすることで、長年の酷評に対する目配せを送ったが、おそらくイーストウッドがこうした問題と正面切って向き合ったのは、『許されざる者』(1992年)においてであり、この異様な傑作では、もはや誰が「許されざる者」であるのかさえわからない根源的な倫理が問われており、ある意味、この映画でイーストウッドがはじめてアカデミー賞を受けたことは、ポーリン・ケール的なピューリタニズムを「保守」してきた映画人たちのまっとうさのあらわれだったのかもしれない。

 

 カナダ出身のドゥニ・ヴィルヌーヴは、こうしたヒーロー崇拝の危うさを一貫して相対化し、しかも緻密なミステリーに仕立て上げた。ペンシルベニア州の閑静な住宅街に住むケラー(ヒュー・ジャックマン)には妻と二人の子供(高校生くらいの兄とまだ幼い妹)がおり、おそらくは家族思いのよき父親であり、息子を鹿狩りに連れて行き、自宅の地下にはなにがあっても一家がある期間は生活しておけるだけの食品や備品をそろえ、なにごとにおいても備えを怠るな、ということを信条としている。

 

 ところが、ある日、歩いて数分ほどの数ブロック離れた友人宅へ家族揃って夕食に訪問したとき、幼い娘と同じ年頃の友人の娘が二人で自宅にある笛をとってくるといったきり、姿を消してしまう。見知らぬ人間が入ってきたらすぐにわかるような整った街のなかで、いつもと異なったことがあったとすると、見かけないRV車がとまっていたことだけである。

 

 捜査にあたった刑事(ジェイク・ギレンホールが好演)によって、その車を運転していた男が捕まる。だが、証拠不十分のために、釈放せざるを得ない。しかし、父親のケリーは、捕まった男がつぶやいた明らかに娘たちを知っているかのような言葉に、彼を自ら捕らえ、拷問を加えて娘たちの居所を自白させようとする。

 

 しかし、その代償として、彼は「敬愛される」父親像からはどんどん乖離していき、徐々に明らかになる真相のなかで、本人と家族とにとっては十分に深刻ではあるが、泣くに泣けない、しかし笑うに笑えない悲喜劇的な状況のなかで、『プリズナーズ』という題名の本当の意味を観客である我々も味わうことになる。