不活性の魅力ーー石川淳『いすかのはし』

 

 

 昭和二十二年に発表された短編『いすかのはし』で石川淳本人を思わせる語り手は、「すこし気のきいた人間ならばかならず一所不在、際限なく運動しつづけるものである」と『虹』の朽木が口にしそうな颯爽とした言葉を発し、実際、語り手はそれほど広範囲とは言えないにしても街を歩き回る。

 

 しかし、その行動は周囲の状況を流動化するものではない。そして、その身の回りには様々なものが現われては消えていくのだが、それらのものはどれ一つとして、『紫苑物語』の矢のように消費されるわけでもなく、『虹』などにおける車や銃のように精神に即応して異常な力を発揮することもないのである。

 

 親類の結婚式には礼服などというものがいまだ存在していることに思い及ばず、「ついうつかりして」平服で出席してしまう。帰りに行きつけの酒場に寄れば、「魔がさし」て早めに家に帰ってしまう。家に帰れば、壁に掛けてあった冬服が泥棒に盗まれており、しかもその服にはそれがなければ文章の一行も書けそうにない「使ひなれたコースのペン」が入っている。盗まれも落としもせずにもち帰った結婚式のおみやげは「女こどもがよろこんで舐めたがる栗饅頭」で、「恥辱」しか感じさせない。

 

 「士恥かしめられれば」と、天上からぶらさがっている暗い電灯のように首をくくろうとするが、「身心ともにつかれきつてゐて手足をうごかすことがめんどくさかつた」ためにそれを実行することができない。その後、友人たちから大学総長が在学中に仕立てたという非の打ちどころのない「りうとした」上着と「師団長級でなくては着用できないやうな」サーベルをぶら下げるのに適したような立派なずぼん、つまり結婚式にでも着ていったら「よく群小の卑屈なる礼装をあざ笑ふことができたであらう」服をもらう。

 

 ペンの並ぶ店に入るとコースのペンはございませんと言われ、まあいいほうですというのを試し書きもせずに買って懐に入れる。元日を寒い方で過ごそうと思うが、「今日ではそれもおもふに任せず」暖かい方、房総半島の海岸に来てしまう。酒を頼んだ地元の人が実は万年筆が副業で、買ったペンを見せると「そりやむかしの舶来のやつとくらべちや、ずつと品が落ち」はするが、「よくできてゐるはう」のコースのペンであるという。

 

 いすかの食い違ったくちばしのように行動はその意図した目的にたどり着かず、ものはあるべき機能を果たさない。この行動とものの食い違いは力を発揮するべきときに発揮できなかったためだと語り手は反省する。

 

 「力が飛び出すには、おのづからその機があるだらう。ある年の、ある月の、ある日の、ある時刻と、事の発すべき機が存するにちがひない。その機がこれからさきいつ来るか来ないか、もとより知るべくもないが、今までに、さういふ機がぜんぜん無かつたらうか。どうも、ぜんぜん無かつたとはいひきれないやうにおもふ。あるひは力が飛び出したかも知れない大切な機を、むなしくとり逃がしたこともありさうにおもふ。いや、のべつに機を逸してゐた」と反省するのだが、だからといってこの語り手はコースのものであることがわかったペンを取ってなにかを書き始めようともしないし、力を存分に発揮するための用意をするようでもない。

 

 むしろ、「力が飛び出さうとしても出られないやうな仕掛」のうち、宗頼や朽木の休む暇のない行動とは無縁な不活性な無力のうちにとどまるのである。

 

なにゆゑに、つい手を伸べて、そのペンを取らないのか。ペンを取つて、未熟のさかしらにしろ、つと書き出さうとしないのか。やつぱり、よくそのことをあへてしない。依然として、まぬけなつらをして、白い酒をのんで、本を読んでゐる。これでは、かりに力があつたにもせよ、有っても無くてもおなじやうなことではないか。いや、かういふことがすなはち力が無いといふことにほかならない。無力である。何といつても無力である。いよいよぼんやりして、ぐうの音も出ない。ただ幸便に、忘れてゐたラシイヌの美しい詩句を、ふつとおもひ出して、ここに誦することができる。
  Toujours prête à partir, et demeurant toujours.
 これを何と訳さう。なにぶんにも詩に暗く語につたないから、その意の深さをよく日本語をもつて掬ひ上げることができない。そこで、しようことなしのわざくれ、詩のこころいきを似ても似つかぬへたな狂歌にかすめ取つて、述懐一首。
  おぼつかな春は立つとも立ちかぬる足すりこ木に羽ははえなむ

 

 本格的に作家として活動を始めた昭和十年(1935年)から、第二次世界大戦とその敗戦を挟み、中編『処女懐胎』が書かれるときくらいまで、つまり、ちょうど『いすかのはし』が書かれた昭和二十二年(1947年)頃までを仮に石川淳の作家生活における初期とするなら、不思議なことに、この時期以降ほとんど姿を消してしまったのがこうした無力で不活性だが、魅力的な時間である。