幸田露伴を展開する 10

 

芭蕉七部集 (岩波文庫 黄 206-4)

芭蕉七部集 (岩波文庫 黄 206-4)

 

 

 

完本 風狂始末―芭蕉連句評釈 (ちくま学芸文庫)

完本 風狂始末―芭蕉連句評釈 (ちくま学芸文庫)

 

 

 白芥子の句がつくられたのは、春末夏初のころのことで、もちろん、熱田にある芭蕉の目にちょうど白芥子の花が入ったことは季節的に考えてもおかしいことはない。だが、芭蕉と杜国にある白芥子の縁はそれだけではない。

 

 前年の冬、芭蕉が名古屋にいたときに、荷兮、野水、重五、羽笠、正平などと五つの歌仙を巻いたとき、杜国が発句を請け負った巻で、重五の

 あだ人と樽を棺に飲みほさん

という句に、杜国が

 けしの一重に名をこぼす禅

と受けた。あるいはこの句のことが芭蕉の印象に残っていて、白芥子の句がでてきたとも考えられないことではない。その人の句をもって、その人柄を偲ぶことも珍しいことではない。

 

 たとえば、白芥子の一句前にある、「円覚寺大顛和尚今年睦月のはじめ遷化し給ふ由まことや夢の心地せらるゝに先ず道より其角が方へ申遣はしける」と前書きをつけられた一句に

  梅恋ひて卯の花拝むなみだ哉

とあるが、この句に「梅恋ひて」とあるのは、大顛の一句に、「礼者門を敲く歯朶暗く花明らかなり」とあり、ここでの花は梅であるので、それにちなんでつくられたことは間違いない。大顛は本来円覚寺の禅僧であるが、幻吁という号で、其角の『虚栗』の巻頭にもその句があげられており、同じく其角の『新山家』にも、「愚集みなし栗に幻吁と留めたる御句を慕へば涙いくはくぞや」という前書きで

  三日月の命あやなし闇の梅

という句をつくっているが、これもまた芭蕉と同じく、「礼者」の一句にちなんでいることは明らかである。

 

 こういうことがあるとすれば、歌仙における杜国の句「けしの一重に名をこぼす禅」が芭蕉の印象に残り、一座の称賛を得たようなことがあったならば、ちょうど芥子の花の季節が重なったことでもあり、その句を発想のもとにしたこともあり得る。

 

 ちなみに、歌仙での杜国の芥子の句は『冬の日』の「しぐれの巻」にあるものだが、わかりやすいとは言えない。ひとまず、前句である重五の

  あた人と樽を棺に飲乾さん

について、潁原退蔵・山崎喜好の評釈をあげておくと、

 

あた人はうき人といふに同じく、自分に物思はせる恋人の意である。前句(芭蕉の「襟に高雄課片袖を解く」引用者注)にすでに名妓の名が出たのであるから、こゝに恋句の捌を見せたのはさもあるべきである。襟に片袖を解くと言へば、いかにも物に拘はらぬ簡放闊達のさまがある。そこで「そなたと共にこの樽を呑み干して、そして死んだらまゝよ。そのまゝ樽を棺にして埋めてくれ」と、美妓に対し痛飲しつゝ笑嗷する酒客を描き出したのである。「樽を棺に」といふには、劉伯倫の故事もおのづから連想されるが、一句の情趣は塵車に乗じ、鋤を荷ふ一僕を随へたさまとはもとより異なる。

 

 

劉伯倫の故事というのは、露伴の『評釈冬の日』によれば、『晋書』巻四十九、劉伶伝に、一壺の酒を携え、家来に鋤をもたせ、死んだらこの壺に入れて埋めよと命じたとある。露伴の評釈ともっとも対照的な安東次男は、前句の芭蕉の句「襟に高雄が片袖をとく」が自らしたこととも、他者にされたことともとれることを見とがめ、この句の手柄はここで自他をはっきりさせたことにあるとしている。「前二句が同一人なら他・他・自、別人なら他・自他。自となるはこびである。」(『完本風狂始末』)そうしたことがはっきりしないと、連句はすぐに朦朧としたものになってしまうのである。

 

 そして、杜国の句「けしの一重に名をこぼす禅」にもまた、潁原退蔵・山崎喜好の評釈をあげておくと、

 

 『大鏡』に引く説に、「一休禅師のいまだ成道ならざる時、艶書によそへ芥子一輪を添て、本来の面目坊が立すがた一目見しより恋となりけりなどの俤にも似たり」とある。この狂歌は『一休咄』等にも見えるが、罌粟の花を添へたことは何に出る事か知らない。もとより一休に関する話は多く仮託に出で、出典を詮議するにも及ばない事ではあるが、前句の色即是空と悟りすましたやうな趣は、まことに一休禅師などの俤と見るにふさはしい。芥子の一重は恋と無常との象徴である。恋から釈教に転ずるのに、この花を案じ出した杜国の才もまた凡ではない。名をこぼすは名を零すで、浮名を流すのである。しかしその浮名によつて、大悟の禅僧の面目は更に躍如として現はれて来る。

 

 

 

 安東次男は前句を適当に取りなしてつけた「執成付」であることをまず指摘する。

 

婀娜びとを「芥子のひとへ」とはうまい。連れて、浮名ー流すを「こぼす」と遣ったのも成行とはいえうまい俳だ。

 

 

 

 露伴は、『評釈冬の日』で、一休の逸話などをいくつかあげたあとで、「前句豪宕狂逸の態なれば、一休如き不羈の禅僧のおもかげを仮りてこゝに点出したるなりと解せんことおだやかなるべし。」と締めくくっている。しかし、潁原退蔵・山崎喜好の評釈と同じく、一休に関する話は作りごとが多く、いまの自分の蔵書では芥子の花がどこから由来するのか確かめることができないと言っている。