シネマの手触り 4 イングマール・ベルイマン『叫びとささやき』(1972年)

 

イングマール・ベルイマン 黄金期 Blu-ray BOX Part-3

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ベルイマン自伝

ベルイマン自伝

 

 

脚本:イングマール・ベルイマン

撮影:スヴェン・ニクヴィスト

出演:イングリッド・チューリン

   ハリエット・アンデルセン

   リヴ・ウルマン

   カリ・シルヴァン

 

 『仮面/ペルソナ』が二人の女性が手を重ねるというイメージからできあがったように、『叫びとささやき』は四人の白いドレスを着た女が赤い部屋のなかにいるという、ベルイマンにくりかえしよみがえってくるイメージをもとにつくられた。それゆえ、モノクロを使用することの多かったベルイマンがカラーにしている。

 

 四人の女性は三人姉妹、長女のカーリン(イングリッド・チューリン)、次女のアグネス(ハリエット・アンデルセン)、三女のマリア(リヴ・ウルマン)、そしてアグネスの召使のアンナ(カリ・シルヴァン)である。次女のアグネスは死の床についており、その死を看とりに姉妹たちが集まっており、死を迎え葬式を済ますと、それぞれが散り散りに去って行く。『叫びとささやき』という題名は、モーツァルトの四重奏曲のレビューで、ある音楽評論家が用いた表現をもらったものだという。『沈黙』や『仮面/ペルソナ』と同じく、室内楽的なドラマである。

 

 既にこの時期、ベルイマンは世界的な名声を手にしていたが、映画制作の資金集めや配給先に苦労したようで、初公開となるアメリカでは大手の配給先が、ひどい映画だと受け入れてくれず、結局、ホラー映画とポルノ映画が専門の小さな配給会社が引き受けてくれ、ニューヨークの映画館で公開された。皮肉なことに、この映画は凡百のホラー映画よりずっと恐ろしく、密閉された空間のなかで、各人が神経症的な密かな快楽から逃れられないという意味ではポルノ的である。

 

 次女のアグネスは映画の中盤であっけなく死んでしまう。そうした現在の時系列のなかに、各女性の顔のアップから過去の回想とも、あるいはそれぞれの本質的な部分を示すエピソードともつかぬものが挿入される。三女のマリアはナルシストであり、鏡のなかに映った自分の映像と戯れることに喜びを見いだし、男女の性的関係についても奔放である。一方、長女のカーリンは、性的に強力な抑圧下にあるのか、自傷傾向があるのか、割れたガラスで自らの性器を血だらけにしながら、夫を迎える。二人の姉妹の関係はもはや言葉を交わすことがないくらい冷え切っており、次女の死をきっかけにして仲直りするかに思えるのだが、最後には冷淡なよそよそしいものに戻っている。

 

 召使のアンナだけがアグネスのことを真に配慮しており、アンナのアップから始まるシーンは、新たな時系列を呼び込み、自閉的な姉妹の世界を無理矢理押し開こうとする。死んだはずのアグネスが姉妹を呼び寄せ、語りかけようとするのである。このエピソードのもとについては『ベルイマン自伝』でも触れられていて、『叫びとささやき』が自身の映画で何度か再現を試みた「死にきれない死者」の決定版だと述べている。十歳のとき、ベルイマン霊安室に閉じ込められたことがあったという。

 

 激しい好奇心が燃えあがってきて、私はじっとしていられなくなった。立ちあがると、何か抵抗しがたい力に動かされるかのように死体の置かれた部屋への足を運んでいた。しばらく前まで病院にいた少女が部屋の中央の木のテーブルの上に横たわっていた。私はシーツをめくった。彼女は全裸で、喉のあたりから恥骨まで絆創膏が貼ってあった。手を伸ばし、彼女の肩にそっと触れた。死体が冷たいことは聞いていたが、その少女の肌は冷たくはなかった。むしろ熱いほどだった。黒い乳首が突き出た、小さなたるんだ胸へと手をすべらせる。腹には黒い毛がはえ、彼女は息をしていた、いや、息をしてるわけじゃない、口が自然に開いたのか? まるい唇の奥から白い歯がむき出している。陰部が見えるように、ちょっと脇に寄る。それに触ろうとした――しかし、どうしてもできなかった。

 そのとき、半分閉じたまぶたの下から彼女が私を見ているのがわかった。頭の中ですべてのものがぐるぐるとまわり、時間は停止し、強い光が炸裂した。

 

 

 ベルイマンの人間的なもの、特に情緒的な人間関係に対する阻隔感、ある種、魔的な相貌がよくあらわされているエピソードである。「死にきれない死者」の呼びかけに姉妹たちは答えようとしない。叫びをあげるのは、耐えられない苦痛にあえぐアグネスであり、自ら性器にガラスの破片を突き立てるカーリンであり、死者に呼びかけられ、恐怖しかおぼえないマリアである。死者に対して慰藉の、心置きなく死ねるための鎮魂の言葉をささやくのは召使のアンナだけであり、人間関係の親密さが血縁関係に比例するものではないことをベルイマンの冷酷な眼が伝えている。