白銀の図書館 3 アルフレッド・ジャリ『フォーストロール博士言行録』(1898年)

 

 

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 「フランス世紀末文学叢書」は国書刊行会から1980年代から全15巻で刊行された。しかし、いわゆる世紀末のデカダンス小説といわれて連想するような、病的と紙一重の繊細さ、趣味への耽溺、終末観や異教的なものの入りまじった悪魔主義、性的倒錯などを主題とした文学を集めたものとはいえない。そうしたいわゆる世紀末趣味にあふれた作品としては、人間には生得的に殺人への嗜好が備わっているのだという対話からはじまるオクターヴ・ミルボーの『責苦の庭』くらいのもので、『黄金仮面の王』のマルセル・シュオブは博識で短編の名手だということだけからいえば、芥川龍之介のような存在であるし、自然主義から出発したユイスマンスの『腐爛の華』はヨーロッパ中世に関する歴史書のようにはじまりながら、『ヨブ紀』を聖女伝の形を借りて語り直そうとするもので、肉が裂け蛆が湧くグロテスクな表現には事欠かないが、カトリックに改宗した後のユイスマンスの手になるものであって、室内に人工楽園を形づくろうとした『さかしま』からは既に遠い。レミ・ド・グールモンはラテン文学の大家であるし、アンリ・ド・レニエ永井荷風が愛した閨秀詩人である。

 

 私の推測に過ぎないが、この叢書は澁澤龍彦の『悪魔のいる文学史』をモデルにしたと思われる。だが、『悪魔のいる文学史』はサドを先達として、いわゆる小ロマン派のなかから、既成概念に逆らい、奇矯な言辞を繰り返した、澁澤龍彦のお眼鏡にかなったスタイル=生存様式の持ち主の小伝からなっており、悪魔という茫漠とした言葉は一種のアリバイであって、実はアンソロジストとしての澁澤龍彦がひそんでいる著作なのである。したがって、そうした強力な統率力が存在しないことは、幾分叢書を散漫なものとしていて、それもそのはずで、同時代に書かれた作品というだけでははなはだ蓋然的な集まりでしかないからである。

 

 とはいうものの、晩年の澁澤龍彦がこの叢書の企画に、どの程度かはわからないが、関わっていたことは確かであって、各巻の冒頭にある挿絵は澁澤龍彦の選択によるもので、また、月報には「世紀末画廊」として、その絵を選択した理由が述べられている。『フォーストロール博士言行録』の月報にも、「ジャリとフィリジェ」と題された小文が掲載されている。

 

 フィリジェの作品は、存命中には完全に忘れ去られた存在だったというが、死後にはアンドレ・ブルトンの絵画論にしばしば登場して絶賛され、ジャリが唯一描いた美術批評の対象であって、そこには「それは彫像と化した神の作品、動物的な動きをやめた魂の作品だ」とあるらしい。澁澤龍彦の言葉を借りれば、「シンメトリーとマンダラ風抽象主義を好むフィリジェには、無垢な素朴画家のおもかげがあり、またモダニストと中世主義者が仲よく同居しているような趣きがある。」と書かれてある。

 

 面白いのは、たしかにジャリには抽象主義を思わせるものがあり、澁澤龍彦が訳した『超男性』などは、十分な運動を継続させれば、収縮と拡大を幾万回も繰り返す心臓と同様、人間はある種の永久機関となり、無限に性交を繰り返すことが可能だという話で、乾いた澁澤龍彦の訳文とあいまって、ほとんど美しい抽象性にまで達しているが、その一方で、ジャリが提唱したパタフィジック、「形而上学が自然学の先へ展開しているのと同じだけ形而上学の先へ展開している」ものであり、「例外を支配する諸法則を究め、この世界を補足する世界を解明せんとする」「個の科学」はラブレーを先達とするものであり、科学とスカトロジーが直結するところにジャリの魅力があるのだが、スカトロジーラブレー嫌いの澁澤龍彦はこうした側面を一切無視しているのである。

 

 『フォーストロール博士言行録』には、短い断章の冒頭にオーブレー・ビアズリー、ポール・ゴーガン、マラルメアンリ・ド・レニエ、ラシルド、ポール・ヴァレリー、などに献辞が添えらたある種の同時代人評であり、ほとんど筋らしい筋はないが、『ロビンソン・クルーソー』の枠組みを借りて、様々な場所を経めぐることになっている。フライデーの代わりにボス・ド・ナージュという犬面の狒々を従えていて、この狒々、尻に赤と青の硬結をつけていたが、フォーストロール博士の不思議な療法によって硬結が片頬ずつに移植され、その結果、扁平な狒々の顔はトリコロールとなるのである。