音楽の時間 2 チャーリー・パーカー『The Complete Savoy and Dial Studio Recordings』
私はクリント・イーストウッドの30年以上にわたるファンでほとんど全作品を見ていると思うが、正直なところ、『許されざる者』(1992年)のころまでが頂点であり、3本選ぶとすれば、1.『許されざる者』、2.『ホワイトハンター・ブラックハート』(1990年)は断固として揺るぐことはなく、3本目に『ガントレット』(1977年)にするか、はたまた『ペイル・ライダー』か『パーフェクト・ワールド』(1993年)と迷いが生じてくるが、抜群に世評が高かった『グラン・トリノ』(2008年)は私にはそれほどピンとこず、2000年代なら『ミリオンダラー・べイビー』(2004年)や『ヒア・アフター』(2010年)が私にはもっとよかった。
もっともここでイーストウッドについて語りたいわけではない。イーストウッドが監督した多くの作品のなかでも、その難解さに戸惑う作品群がある。『真夜中のサバナ』(1997年)、『ミスティック・リバー』(2003年)、『バード』(1988年)は私にとっては難解で、もちろん筋がわからないということはないのだが、なにが描きたいのか主眼となる部分が不可解なままなのである。
『バード』はチャーリー・パーカーの愛称であり、最初はヤードバードと呼ばれていたが、縮まってバードと呼ばれるようになった。パーカーの晩年を描いた映画で、晩年といっても35歳で死んでしまったから、まだ十分に若いのだが、最初に舞台に立ったときの記憶をいつまでも引きずっているような、非常に繊細な天才であり、映画のあいだじゅう音楽的に、また人種的に苦悩しているのである。
ユダヤ人であるレッド・ロドニーと人種を越えた仲間意識をもつところなどはいかにもイーストウッド的テーマではあるが、マイルス・デイヴィスの自伝などで、後輩の目の前で大ぴっらに快楽にふける姿を読んでいるものだから、どうしても別人に思えてならなかった。クレジットを見ると、パーカーの前妻に全面的な協力を得ているようなので、遠慮するところがあったのか、あるいは薬物中毒の上に享楽的だという紋切り型のパーカー像を覆すことにこそ眼目があったのかもしれない。
オックスフォードの『コンパニオン・トゥー・ジャズ』でのジェイムズ・パトリックによる記事を参考に書くと、チャーリー・パーカーは1920年8月29日、カンザスに生まれ、晩年のモンクの面倒を見て、モンクの曲でも有名なパノニカ侯爵夫人の、マンハッタンのアパートで、1955年3月12日に死んだ。
パーカーはあらゆる種類の音楽を好み、ジャズでいえば、ルイ・アームストロング、ベニー・カーター、ロイ・エルドリッジ、コールマン・ホーキンス、ジョニー・ホッジス、レスター・ヤング、また後年にはクラシックにも関心をもち、特にバルトーク、ヒンデミット、シェーンベルク、ストラヴィンスキー、ヴァーレーズを尊敬した。もっとも、10代の中盤まではほとんど音楽には興味をもたず、上達も遅かった。
だが、10代中盤から本格的に始めると、1日に少なくとも11~14時間を練習に費やし、15歳のときには学校をやめ、ミュージシャンとなり、幼なじみのレベッカ・ラフィンと結婚し、ヘロインを使い始めた。続く4年間は地方のバンドの一員として活動した。
1937年、また1939年のニューヨークでのジャム・セッションでブレーク・スルーが生じた。同じバンドのメンバーだったバスター・スミスは、遙か後のことになるが、1999年の『ダウン・ビート』でのインタビューに答えて、次のようなことを語っている。
1939年12月、彼はビディ・フリートという名のギタリストとジャムをしていた。ステレオタイプの変化に退屈しており、「なにか違うことをしなければならない」「ときどきそれが聞こえるんだが演奏することができない」といっていた。フリートと「チェロキー」を演奏しているとき、チャーリーはメロディー・ラインとしてより高い音程のコードを用いること、変化に応じてそれを合わせられることを発見し、曲を聴いているあいだそれを実行することができた、という。
数々のバンドに参加したのち、1945年が決定的な年になる。ニューヨークで始めて彼はガレスピーを含む自分のグループを作った。その後、ヘロイン中毒で6ヶ月の間病院で過ごすことになるが、1947年に退院し、マイルス・デイヴィス、デューク・ジョーダン、トミー・ポッター、マックス・ローチとともにクインテットを結成し、47年から48年にかけてダイアルとサボイに録音を残した。それがこのCDである。
パーカーのソロは、オリジナルのメロディーを直接に参照することなく、コードの構造をもとにしてオリジナルとは類似しない際限なく新しいメロディーを紡いでいく。ある種のパッチワークであり、短い、既に存在するメロディーから成り立っている。つまり、即興の背後には膨大な音楽的記憶が控えており、膨大な記憶がなければ、即興などすぐに底割れしてしまう。
とはいうものの、それはまだパーカーの半面でしかなく、逆のこと、つまりパッチワークの端切れの出所がわかり、それがすべて揃ったところで、パーカーの音楽が成り立つものではない。揃った端切れとパーカーの音楽を並べたときに、整頓し、馴致することのできない野生の思考、動物的な思考に思い切り頭をぶつけることになる。