電気石板日録 2 だまし絵の夏にそなえる水屋かな
アマゾン・プライム、マイクル・コナリー原作の『ボッシュ』第6シーズン、途中、とうとう『ボッシュ』にも『24』化がはじまったかと思ったが、あっさりその部分は片付いて、ハードボイルド路線に戻って一安心。
これまたアマゾン、トレイ・エドワード・シュルツ『イット・カムズ・アット・ナイト』(2017年)は、いかにもホラーらしい装いとは打って変わって、むしろミヒャエル・ハネケ調の不条理劇。残念ながらそれほど出来がよくないので、ホラー・ファンもアート・シアター系の観客も揃って腹を立てることになる。
コロンビアで吹き込みされたマイルス・デイヴィスのレコードが、セットになってソニーから発売され、タワーレコードで買えたのはうれしいが、いよいよマイルスはなにを聞いて、なにを聞いていないのかわからなくなってきた。イギリスででることがおおい、4枚のCDに8枚分のレコードを詰め込んだものは便利だし、さほどのファンでない限り、どうしても別テイクまで聞きたいとはならないけれど、アルバムの概念がなくなるのが不便だと思っていたが、改めて考えてみると、クラシックのように、それぞれの趣味と容量に合わせて記憶に蓄積されていけばいいわけで、ただフリーを含むインプロヴィゼーションはアルバムという形があった方がよくて、たとえば、アンソニー・ブラクストンのコンポジションの何番でといわれても、私にはちょっときつい。
『みそつかす』によると、幸田文は、子供のころ、忙しい父露伴のかわりに、祖母(露伴にとっては母親になる)のところへご機嫌伺いの挨拶に行かされたという。もってきたおみやげを祖母の前に正しく差しだして、畳に手をついて口上を言う。両立の挨拶といって、挨拶のなかでも一番難しいそうだ。
もともと猛烈に西日の差し込む部屋なので、冬でも下手をすると暖房がいらないくらいだが、今日は春を通り越して夏の陽気である。一句、
だまし絵の夏にそなえる水屋かな 礎英