電気石板日録 4 水曜の曇天だけをくりぬいて影の世界で王様になり

 

Blues & Roots (With Bonus Tracks)

Blues & Roots (With Bonus Tracks)

  • アーティスト:Mingus, Charles
  • 発売日: 2008/01/13
  • メディア: CD
 

 

 

渋江抽斎 (岩波文庫)

渋江抽斎 (岩波文庫)

  • 作者:森 鴎外
  • 発売日: 1999/05/17
  • メディア: 文庫
 

 

 

万引き家族

万引き家族

  • メディア: Prime Video
 

  音楽を聴くことはここ数十年変わりがないが、学生のときに聞いていたLPはすでになく、MDはあっという間になくなり、デジタルはいまだ追いつかず、というよりそもそもデジタルで音楽を購入したことがないのは、手元にCDというものを残しておきたいのか、というより、これはキンドルなどの電子書籍でも同じことなのだが、結局のところ、欲しい音楽や本がデジタル化されていないことが多いので、CDや本を買うことが多いのだが、それでもCDの方は新陳代謝が甚だしく、数回の引っ越しを超えて残っているのは、モンク、ホロビッツ、グールド、落語くらいのもので、最近はサブスクリプション(聴きたいアルバムを登録していったら、三千枚を超えてびっくりしてしまったが)で次々に聞いていっていたのだが、音楽に対する新たな興味がわき上がるとともに、再びCDを集めるようになったのは、サブスクリプションの場合音楽以外の情報がいかにも少ないことで、ライナー・ノーツはもちろんのこと、ジャズなどではメンバーさえはっきりしないことが多いからで、それはともかく、音楽に対する興味が新たになると、他の作業をしながら聞きながすことができなくなり、音楽に集中してしまい、どちらの作業も宙ぶらりんで終わってしまうジレンマに立たされてしまうのだが、とりあえず今週聞いたのは、メシアンのオルガン音楽、チャールズ・ミンガスエリック・ドルフィー、原宿と表参道の境目にあって、普段はとても入れる雰囲気ではないのだが、唯一ビール片手にその音楽を聴いて、ついでに缶バッチまで買ってしまったアート・アンサンブル・オブ・シカゴを久しぶりに聞き、クララ・ハスキルのバッハ、モーツアルトベートーヴェンシューマンスカルラッティブルーノ・ワルターマーラー、これは明らかに遠山一行の『ショパン』を読んだ影響によって聞き始めたサンソン・フランソワショパンなどで、マーラーは聞き直す度に好きになっていくが、とりあえず今週の一枚としてはミンガスの『ブルース&ルーツ』をあげて、「水曜の夜の祈りの集い」を「教会音楽独特の三拍子リズムを八分の六拍子と四分の四拍子の混合で異常なムードを高めた・・・傑作」と日本での発売当時に評した野口久光の言葉をあげておき、本の方では、ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』の正編を読み終わり、正編については幾度か読んだはずで、大体その濃密な脂っこさにやられてこの辺で挫折してしまうのだが、今回もその例に漏れず、もうお腹いっぱいで、森鷗外渋江抽斎を再読し、何度読んでも、鷗外は渋江抽斎の後妻である五百に惚れているとしか思えず、その他丸山真男の初期の儒教に関する論文を読み、プラトンを読み始めるが、面倒になってやめてしまうのは、すでに既視感の既視感で、何回経験したともいえず、映画では西川美和永い言い訳(2016年)悪くはないけれど、冒頭に死んでしまう妻(深津絵里)のことがなにも知らされないので、夫(本木雅弘)の空虚やいまひとつピンとこないので、もちろんそうした空白は意識的なものだろうが、印象的なエピソードをひとつ入れるだけでもより空白と空虚が際立ったのではないかと思い、ポール・トーマス・アンダーソン『ハード・エイト』(1997年)、この監督は『マグノリア』は大好きだが、評判が高かった『ファントム・スレッド』も実をいうと勘所がよくわからなくて、この映画も、カジノでスッカラカンになった男をある老人が拾い上げ、生活できるようにしてやるのだが、その理由が本当にそんなことなの?(むろん、本人にとっては切実かもしれないが、物語として説得力があるかどうかは大いに疑問)でよくわからず、ガイ・ピクデン『ゾンビ・ホロコースト(2020年)はロメロ原理主義者の私にとっては、ゾンビ映画はひねってあるだけで不満で(『ショーン・オブ・ザ・デッド』すらあまり好きではない)、いろいろと工夫はしているが原理主義者の心を入れ替えるだけの出来ではなく、細かなカットの積み重ねとごちゃごちゃした汚い画面が好きではなかったオリヴァー・ストーンJFK(1991年)は彼の映画のなかではじめて退屈せずにみられたもので、JFKとはもちろんケネディのことで、そのオズワルドによる銃撃とされている暗殺事件が、実はクーデターであったというものだが、約3時間半を実際に振り返ってみると、いつの間にか仲直りしているらしい夫婦(事件を追求している地方検事のケビン・コスナーとその妻のシシー・スペイセク)の背景やケネディの事件にそこまで執着している理由がよくわからなかったなあと思い返し、是枝裕和万引き家族(2018年)をようやくみて、是枝作品には大別すると家族に関するものと宗教に関するものがあって(たとえば『三度目の殺人』)、私は宗教的なものの方が断然好きなのだが、家族もののなかでは一番好きかもしれない。