白銀の図書館 10 プラトン的荒野〜河上徹太郎について Ⅱ

 

流れる (新潮文庫)

流れる (新潮文庫)

  • 作者:文, 幸田
  • 発売日: 1957/12/27
  • メディア: 文庫
 

 自伝的なものはいくつか書いているが、そこでもまた具体的な細部は洗い流され、精神的な道程となっていて、詳細はわからないにしても、音楽批評から執筆をはじめた河上徹太郎は、若い頃には頻繁に芝居にも通っていたらしい。というのも、初期の代表的な文章に『羽左衛門の死と変貌についての対話』(昭和5年)があり、それがプラトンを擬した対話から成り立っているとともに、羽左衛門の芸から「型」という生涯にわたるテーマが引きだされるからである。このごく短い批評を除くと、河上徹太郎本人が芸や型について論じた文章はないので、回り道をしてみよう。


 『流れる』(昭和三十年)は、幸田文のはじめての長編小説であり、父親である露伴を中心とした家族の題材から離れたのもほぼはじめてのことになる。昭和二十五年に「父の死後約三年、私はずらずらと文章を書いて過して来てしまいました。私が賢ければもつと前にやめていたのでしようが、鈍根のためいままで来てしまつたのです。元来私はものを書くのが好きでないので締切間際までほつておき、ギリギリになつた時に大いそぎで間に合わせ、私としてはいつもその出来が心配でしたが、出てみるとそれが何と一字一句練つたよい文章だとか、いろいろほめられたりするのです。やつつけ仕事ともいえるくらいの私の文章が人様からそんなにいわれると、私は顔から火が出るような恥かしさを感じました。自分として努力せずにやつたことが、人からほめられるということはおそろしいことです。このまま私が文章を書いてゆくとしたら、それは恥を知らざるものですし、努力しないで生きてゆくことは幸田の家としてもない生き方なのです」(「私は筆を断つ」)という他に例を見ないような理由によって断筆し、その翌年、柳橋芸者置屋「藤さがみ」に住み込みの女中として働いたときの体験がもとになっている(もっとも腎臓炎になって二ヶ月ばかりで帰宅することになったのだが)。


 『流れる』は奇妙な小説である。特に内容が変わっているわけではない。梨花という中年の女性が置屋に女中として入り、やがてそこに住まう皆がばらばらに流れていくまでの傾きかけた芸者置屋での日常が綴られていく。奇妙なのはその遠近感の欠如にある。梨花、女主人、芸者たちそれぞれの感情のぶつかり合い、生き方や生活において譲れない一線をめぐっての意地の張り合いは非常に鮮やかである。昭和二十四年の「齢」という掌篇には中年女性の凄まじい啖呵の例が見られるし、父親について書いたものでも、露伴という別の生活原理を持った者との対決の記録であったことを思えば、そうした感情や意気地のやりとりは小説家としての幸田文がすでに自家薬籠中のものとしていたに違いない。だが、ほぼ芸者置屋から離れることなく進行するこの小説において、置
屋がどのくらいの広さをもつものなのか、また、三人称の体裁を取ってはいるが、梨花が叙述の中心であり、彼女の見聞きすることによって小説は進んでいくのだが、例えば女主人と芸者との会話を梨花がどこでどのように聞いているのか、同席しているのか、あるいは台所などで聞くともなしに聞いているのかなど空間的配置についてはっきりしない部分が多い。この遠近感のなさは、アカデミックな美術の教育を受けなかったルソーの絵を思わせるところがある。