白銀の図書館 12 プラトン的荒野〜河上徹太郎について Ⅳ

 谷崎潤一郎の『芸談(昭和8年)も同じことを異なった例えで述べていると言えるかもしれない。

 

劇の内容や全体の統一などに頓着なく、贔屓役者の芸だけを享楽する、と云ふやうな芝居の見方は邪道かも知れないが、私はさう云ふ見方にも同情したい気持ちがある。個々の俳優の芸の巧味と云ふものは、全体の「芝居」とは又別なものだと云ふ、――「芝居の面白さ」とは別に「芸の面白さ」と云ふものが存すると云ふ、――何とかもつと適切に説明する言葉がありさうに思へて、一寸出て来ないのが歯痒いが、まあ云つて見れば、何年もかかつて丹念に磨き込んだ珠の光りのやうなもの、磨けば磨く程幽玄なつやが出て来るもの、芸人の芸を見てゐると、さう云ふものの感じがする。そしてその珠の光りが有り難くなる。由来東洋人は骨董品につや布巾をかけて、一つものを気長に何年でもキユツキユツと擦つて、自然の光沢を出し、時代のさびを附けることを喜ぶ癖があるが、芸を磨くと云ひ、芸を楽しむと云ふのも、畢竟はあれだ。気長に丹念に擦つて出て来る「つや」が芸なのだ。さう云ふ味を喜ぶ境地は西洋人にも分るであらうが、我々の方が一層極端ではないのであらうか。

 

 

 

 珠でなくとも、革製品でも、木製の家具でもある程度長い間使用した者にはわかることだが、色艶は徐々についていくものではない。ある期間磨くなり、常用するなり、手入れをするなりして、気がついたときには色艶がでている。まさしく色艶の出た瞬間というのは捉えがたいもので、常にまだ艶が足りないか、もう既に艶が出ているかである。梨花が立ち合った女主人の芸の開眼にしても、開眼しつつある瞬間を聴いたわけではない。昨日にはいまだないものが、今日は既にそこにあったのである。

 

 しかし、「珠を磨く」という例えでは、単調な繰りかえしだけが艶を生じさせるという印象をもたざるを得ない。実際、多くの芸談ではいままさに艶の出る瞬間のことは括弧に入れられ、厳しい稽古のことだけが語られる。谷崎潤一郎も述べているが、昔の稽古というのは幼児虐待と紙一重で、団十郎(十一代目)の師匠(養父)は、実家の人に向い「堪へ切れないで死んでしまふかも知れないが、もし生きてゐたら素晴らしい役者になるでせう」と言って、仕込みの途中で死んでしまうならそれも仕方がないという覚悟を示したという。そうした稽古の継続の結果僥倖として色艶を出せた者が名優と呼ばれるわけである。

 

 ところで、羽左衛門とはどのような役者だったのだろうか。私はNHKの歌舞伎の名優たちを紹介する特集番組で、十数年前見たことがあるが、モノクロで、数分間、しかも音声もひどい状態であったから、なにか特別な印象をもつところまでも行き着くことはなかった。

 

 十五代目市村羽左衛門は明治七年に生まれ、昭和二十年に死んでいる。若い頃はその不器用さから「棒鱈役者」と呼ばれたというし、二枚目役が中心で芸域はそれほど広くなかったというから、なんでもこなす器用なタイプの役者ではなかったのだろう。折口信夫はその『市村羽左衛門論』(昭和22年)で、

 

書き進んでから、つく/\恥を覚える。よくも知らぬが、中村加鴈治郎を中にして、前後にゐた優人たちのことなら、或は努力すれば書けるかも知れない。全く市村羽左衛門に到つては、私の観賞範囲を超えた芸格を持つた役者だつたのだ、とつく/\思ふ。其に、此人の芸は直截明瞭な点が、すべての彼の良質を整頓する土台となつてゐたので、そこには一つは、その愛好者の情熱を牽く所があるのだ。だから彼の芸格が、私に呑みこめぬといふ訣ではない。根本からしても、彼の芸の持つ地方性が、私の観賞の他地方的な部分にどうしても這入つて来ないかと考へた。

 

とその観賞の難しさを述懐している。歌舞伎についての教養のない私には、羽左衛門の東京生れの「地方性」なるものと芸域の狭さを、例えば久保田万太郎の小説や桂文楽の落語と置き換えてみれば理解しやすくなるのだが、それがどれ程の妥当性をもつかはわからない。少なくとも、折口信夫によれば、万太郎や文楽がそれぞれの分野において新たな声を産みだしたように、羽左衛門の新しさもその声にあった。

 

思想から超越した歌舞妓芝居である以上、若し新歌舞妓と云ふ語に適当なものを求めれば、羽左衛門の持つた感覚による芝居などを指摘するのが、本たうでないかと思ふ。彼の時代物のよさに、古い型の上に盛りあげられて行く新しい感覚である。最歌舞妓的であつて、而も最新鮮な気分を印象するのが、彼の芸の「花」であつた。晩年殊にこの「花」が深く感じられた。実盛・景時・盛綱の、長ぜりふになると、其張りあげる声に牽かれて、吾々は朗らかで明るい寂しさを思ひ深めたものである。美しい孤独と言はうか――、さう言ふ幽艶なものに心を占められてしまふ。此はあの朗読式な、処々には清らかな隈を作るアクセント――そのせりふの抑揚が誘ひ出すものであることを、吾々は知つてゐた。羽左衛門亡き後になつて思へばかう言ふ気分を舞台に醸し出した役者が、一人でも、ほかにあつたか。