白銀の図書館 14 プラトン的荒野〜河上徹太郎について Ⅵ

 

 なにぶん接したことのない役者たちばかりで、手袋をはめた手で靴の上から痒いところを掻くかのようなまどろっこしさを覚えないわけにはいかないが、それは致し方あるまい。一応生身の羽左衛門のことはこれまでにして河上徹太郎の「羽左衛門の死と変貌についての対話」に戻ることにしよう。

 

 ところで、この一篇を読むためには、羽左衛門がどんな役者であったか最小限の知識を仕入れておくとともに、この頃(昭和5年前後)、つまり初期の評論において、河上徹太郎がどんなことを問題にしていたかについても知っておく必要がある。

 

 この対話は、プラトンの対話篇を擬しているとともに、プラトンを擬したヴァレリーの対話篇を擬している。プラトンの対話篇にあるような日常会話から哲学的会話への緩やかな傾斜もないし、プラトンでしばしば登場するそれまでの議論を整理要約する人物もいない。対話というよりは、ソクラテス、フエドロス、プロタゴラスの三人が共通の観念を精錬していく過程を辿ったものだと言える。それゆえ、この共通の観念をわかっていないと対話はいたずらに難解なものにとどまるだろう。

 

 ちなみに、河上徹太郎が恐らく生涯でただ一度アクロバティックなレトリックを駆使したこの「対話」を、吉田健一が河上の代表作の筆頭に挙げていることを申し添えておこう。「ここで語られてゐる運動といふものの性質、その運動が氷河の流れの形を取つて放つ光芒、又心理と物質の交錯としての持続の分析、又認識の果てに人間の精神を待つてゐる眩暈、或は要するにさうした事柄がこの文章で手で確められる感触を日本語によつて得てゐることはこれが日本語の歴史の上での事件であるとともにどこのものでもなくてどこのものでもある言葉の世界に対する寄与であることに就て疑ひの余地を残さない」(『交友録』)吉田健一は書いている。

 

「対話」と対になり、それを別方向からより散文的に表現しているのが同年に書かれた「自然人と純粋人」である。そこで特徴的なのは、河上徹太郎が後にも繰りかえし論じることになる西欧の作家たち、ドストエフスキー、ジッド、ヴァレリーヴェルレーヌなどに並んで「忠臣蔵六段目」が引かれることにある。この引用は、ドストエフスキーの手法、それを方法論にしたジッド(「手の理論をば眼の理論にした」)への言及に続くものであり、唐突な印象さえ与える。

 

    かう考へて来ると、発生的には自然芸術である我が歌舞伎劇の、現代の我々に及ぼす感銘も容易に論結出来るのである。殊にドストエフスキーの中で最も二義的な時空の制約を帯びた『悪霊』の如き作品と、純粋な戯曲作法の論理の最も複雑した「忠臣蔵六段目」の如き舞台を比べて見給へ。前者が時間的に行つた「色」の理論が後者にあつては空間的に行はれてゐるのである。この舞台へ現れる途方もなく一徹な人々が私の頭の中で交錯諧調して、フランクの音楽の半音階的進展の如く、あらゆる人間世界を展開するのである。殊に俳優の型、その他歌舞伎特有の種々な形式は、人物が実在的なものでなく、却つて人間の要素であることを我々に示す。今や前掲の松王に注ぐ涙は、徳川時代には自然であるが現代では純粋である。こんなこじつけともいへる比較をするのも、只私は自然が如何にしてその儘純粋になるか、及び、純粋は如何に所謂「唯心的」なものではなくして唯物的なものかが感じて欲しいのである。

 

 

 

 ドストエフスキーの「色」の理論とは、自然あるがままの人間から抽象された型を色とし、それを三色刷りのように画面の必要な場所に塗ることによって、最終的に一幅の絵を完成させるドストエフスキー特有のリアリズムである。だが、それと「忠臣蔵」にどんな関係があるのだろうか。

 

 勘平が義父を撃ち殺したと思い込み、同志たちにも責められて切腹した直後、それが誤解だとわかるのが忠臣蔵六段目である。勘平の住まいという閉ざされた場所で、仇討のために身を売ったおかるに対する感謝、義父を殺したのではないかという不安と恐れ、姑の疑い、同志たちの勘平に対する怒り、切腹にまで追い詰められていく心理の傾斜、誤解とわかったときの同志たちの驚き、切腹の苦しみのなかで仇討の連判状に加えられると知ったときの喜び、同志たちや姑の判断を誤ったことに対する自責の念などが空間のなかで交錯する。しかし、それは写実的に、あたかも実在の人物の感情の発露であるかのように演じられるから印象的なわけではない。そうしたリアリズム演劇ではなく、旧態依然に見える歌舞伎にドストエフスキーやジッドとの類縁性を見て取っているのがここでの河上徹太郎であり、掛け離れているかに思える彼らに共通するのは「型」への執着であり信頼である。