ケネス・バーク『歴史への姿勢』 2

 ラルフ・バートン・ペリーの優れた著作『ウイリアム・ジェームズの思想と人間』は、いかにジェームズが彼の哲学の「受容」の枠組を形成したか理解するための材料が豊富に含まれている。そこから我々の目的にあったものを選び、その証言が意味するところを簡単にまとめてみよう。

 

 論理学の専門家、広大な非人間的体系を照合していく熟練者たち(我々が引き算によって足し算を、割り算によってかけ算を確かめるように、本質的に「後ろ向き」な道具で「考えを前進させようとする」者たち)には彼をいらだたせるだけの理由があった。そして、(ペリー教授の言葉によれば)父であるヘンリー・ジェイムズがそうしていたように、人は論理によって自らを助けるのではなく、論理の断定を獲得しなければならないと悟って、ジェイムズは自分の方法の不正確さを卑下したのだった。彼の職業的道徳は、彼も認めている通り、検証の手段が手に入る限りにおいて主張を検証するべきだということだった。それゆえ彼は、歯医者の椅子にも神を見いだし、「オーバーオールやブラウスの詩」を褒め称えることのできる狂乱の神秘家、ブラッドの哲学的方法も弁護している。その生涯の最後に至るまで、ジェームズは「自分についての知的な疑念をはらし、同僚たちの『尊敬すべき学術的精神』を満足させるために自らの疾風怒濤的な傾向」を捨て去ることはできなかった。そして、それを決意したとたん、彼は死んでしまった。伝記作者は、そうとってもいいにもかかわらず、それを運命の皮肉とはしるしていない。恐らく、よりよくでなく「よくあろう」と決心したことで、生きる支えを失ってしまったのだろう。多分、先の見通しが、彼の気質を惹きつけるには、悪い心臓を働かせるには十分ではなかったのだろう。

 

 その他にも、ペリー教授は、持ち前の謙虚さでいかに無知を嘆いているにしても、ジェームズの本にはいかに多くの骨折りが込められているかを示している。とりわけ我々に感じられるのは、ジェームズが自分が書いたすべてのものからいかに多くのものを得ていたかということである。というのも、彼は自らを支えるのに必要なものを書いたのである。ソクラテスのように、道徳的な人間であるために、いろいろな関係をある仕方で名づけねばならなかった。こうした世俗的な形での祈りがなかったなら、彼は生きることも行動することもできなかっただろう。

 

 名づけというのはその本性上、すぐに慰めとして役立つものではない。彼は『イリアッド』での悲劇的な断念を讃仰しているが、それに重要な限定を加えている。

 

 「断念は『これでいい』とか、『これでもまだゆるいくびきだ』等々と言うべきではなく、『喜んでこれに耐えよう』と言うべきである。・・・そこで三つのことが決定される。(1)どれだけの苦痛を私が耐えるか。(2)私が(その存在によって)他人にどれだけの苦痛を負わせるか。(3)他人の存在に喜びを感じつつ他人のどれだけの苦痛を私が『受け入れる』か、である。」

 

 彼の父はエマーソンを非難してこう言っていた。「彼は超越論的で、プラトン的な文章を美しいものと名づけ、宇宙のその側面こそが彼の魂にとって重要だと言うのだ」と。父親がどれだけのものを後に残したにしろ、このことだけは息子に伝わったのである。同じようにウイリアムヘーゲル主義に憤り、彼らの言葉は「人をして、世界をよいものにしようと力づけるよりは、世界を見るよう勧める」と言う。それゆえ、名づけるという仕事、名前を互いに一致させることは、単なる婉曲なたくらみではない。名づけることで、本来弱い人間が強く、病気の人間が健康に、陰鬱な人間が有能で活発な人間関係を行なうようになる。こうした過程において、彼は自らの性格を形づくった。それが彼の「使命」だった。ペリー教授の記録と評釈は、こうした改造について心を鼓舞する証言を与えている。

 

 このことは、我々をスタイルの問題に連れて行く。ジェームズは名文家の家族の一員であり、名文家に囲まれ、自身も名文家だった。ジェームズが「真実らしさ」について考えている個所ほど美的なものと倫理的なものとがはっきりと絡みあっていることはないだろう。多分、彼の幾分楽観的な「真理」から「真実らしさ」への転換は(パースは最低の現実と考えているものを例えに出してそれを非難した)、彼が父親から得た一般教育以外のしつけによるところが大きかった。「我々の教育では」とヘンリーが書いている、「正確な事実はなにほどの価値も与えられなかった。そして、我々は健全に不整合を呼吸し、矛盾を飲み食いしていたのである」と。カーライルの謙遜について、「それによって彼は卑俗な文学者の一団から距離を置こうとした」(カーライルは一族の寵児であったにもかかわらず、こうした報告がなされている)と言うことのできる人間は、十分に繊細で複雑な道徳感覚をもつことができた。どんな仕事も、繰り返し悩み考えることなしにはなしえない。かくして父親のエマーソンに対する次のような評言が生まれる。「彼は自然に対してなんの共感も抱いておらず、ある種の警官あるいはスパイとしてそれを隠れ場所にまで追いつめ、公的に報告するためにその細かな特徴を記すのである」と。世界にはあらゆる差異をつくりだすほんの僅かな差異が常に存在するように思われる。