黄昏の領域 1 サミュエル・ボダン『マリアンヌー呪われた物語ー』(2019年)

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制作総指揮・監督・脚本 サミュエル・ボダン

出演:ヴィクトワール・デュポワ、ティファニーダヴィオ、アンバン・ルノワール、ルシー・ブシュナー

 

 Netflixのドラマ。フランスのホラー映画の印象はあまりなくて、大昔のジョルジュ・フランジュの『顔のない眼』は1959年の映画で、事故で顔面が損傷してしまった娘のために若い娘をさらってきては皮膚を移植するという、ホラーを便宜上、異世界(魔界、幽霊、ゾンビまでを含んだ)が関わるものだとすると、ホラー映画というよりは怪奇映画といった方がよくて、幽霊ものが大好きで、ホラー専門のハマー・プロがあったイギリスとは対照的である。2000年代に入ってからアレクサンドル・アジャが華々しく登場したが、『ハイテンション』(2003年)、「ヒルズ・ハブ・アイズ」(2006年)(もともとはウェス・クレイヴンの、邦題がどうしてこうなったのかよくわからない『サランドラ』(1977年)のリメイクである)、『ピラニア』(2010年)などスプラッター、スラッシャー映画が多くて、ホラーにはさほど興味がなさそうである。

 

 そんなわけで、私はフランスのホラー・ドラマを見たのは、多分はじめてだと思う。第1シーズン、全8話である。まだ若い女性で、ベストセラー作家のエマはホラー小説のシリーズもので世界的な成功を収めているが、そろそろこのシリーズものを描き続けていくいくことにも飽きて、終了させることを決意する。そんなとき、ある晩のサイン会に、子供時代に親しかった同性の友人があらわれ、生まれ故郷であるエルデンに帰ってという言葉を残して、螺旋階段の上から飛び降りて首をつって死んでしまう。葬式のためにエルデンに帰ったエマは、死んだ友人の、狂ってしまったとしか思えない母親に出会い、ある呪いが村を覆っていることに気づく。

 

 エルデンは灯台と海と海沿いに特徴的なひょろ長い草地と崖と森だけしかないような小さな村で、不思議なもので、アメリカでは(あるいは日本でも)僻村というとなにか荒涼としたすさんだものが漂っているのだが、そしてそうしたものも私は決して嫌いではないのであるが、エルデンにあるのはベックリンの絵にあるような、気品の漂う美しさで、ロケーションがこの作品で果たしている役割は大きい。

 

 実際、物語や映像表現そのものに大発明といえるほどのものはなく、映像的には『エクソシスト』や『リング』以降の日本のホラー表現が目立ち、物語的には同じく『エクソシスト』やスティーヴン・キングの『IT』からの影響が見て取れる。一番工夫されているのは叙述の方法であって、主人公が小説家で小説の場面が挿入されること、彼女が繰り返し見る夢、生まれ育った場所であるからどの場所にも残っている過去の記憶、それに人物間での視点の変化、映画的表現としてのカットバック、同じ時間の別の視点による反復などが駆使されていて、ドラマ内でのリアリティのレベルがシーズンも終わりが近い6話くらいまではっきりせず、物語の方向性が明らかになるのもその頃なのである。それゆえ、あのミステリーのような大仕掛けはないにしても、まさに叙述によって読者をあっと言わせたピエール・ルメートルの『悲しみのイレーヌ』を思い起こした。エドガー・アラン・ポオやラブクラフトヘンリー・ジェイムズの一節が各話の冒頭に引用されるところなども、キザといえばキザ、気取りといえば気取りなのだが、糞リアリズムもいわゆる本音にもなんの価値観も認められない私には心地いいものだった。とはいいつつ、ゴア表現はきっちりとしてますしね。