ケネス・バーク『歴史への姿勢』 17

グロテスク

 

 詩的カテゴリーは化学的に純粋に抽出することはできない。それらは互いに重なり合っており、力点の置き方で性質が異なってくる。エンプソンの「牧歌」についての著作に見たように、正当性をもって領域を異なった風に分割することができる。我々の区別はそこに示唆される価値によってなされるのであり、第一の目的は、いかにそれが美的で「自由な戯れ」であろうと、歴史的必然の重力に従っていることを示すことにある。詩的形式は、与えられた歴史的、個人的状況に対面するときに我々が装備するようつくられた象徴的構造である。

 

 「受容」と「拒絶」を判然と分けることはできないが(Aの「受容」は非Aの「拒絶」を含む)、叙事詩、悲劇、喜劇は肯定的側面を、エレジー、諷刺、バーレスクは否定的側面を強調するととりあえず言える。この区別は伝統的で影響力のある他の二つの様式、グロテスクと教訓を示唆する。グロテスクは神秘主義に焦点を定める。教訓は、今日では通常プロパガンダと呼ばれている。

 

 個々の神秘家は歴史のどの時代にもおり、その経験が特異なものであれば、多くの人にとっては停滞でしかないような時代にも移り変わるものを認め、それと「競い合う」のに十分だろう――しかし、集団的運動としての神秘主義は、人々の権威的シンボルへの忠誠に根本的な転換が必要とされ、文化的枠組みが大混乱を来しているような時代に属している。かくして、それは偉大なるポリスの哲学者たちによって形づくられた哲学的思考が、東洋の専制君主制の勃興の影響によって、再び組み立てなおされたヘレニズム期を通じて繁栄した。

 

 アリストテレスが弁論術について最後の仕上げをしようとしたまさにその時に、彼の以前の生徒であるアレキサンダーが二つの論文、一つは君主制について、もう一つは植民地化について書くよう彼に頼んだ。実際的な行政官でもある彼は将来の道筋を見据え、急速に遠ざかりつつある民主主義的な過去が属するイデオロギー的構造物を完成させた。彼に続く思想家たちは世界的な絶対主義とは独立した形でギリシャを再構築しなければならなかった。ゆっくりと、神秘家や救世主が前面に出てくる。集団的な神秘家の運動は、プロテスタントの勃興で生じた神権政治から国家絶対主義への反動をぼんやりと予示するものとなっている。こうした照応は、今日において強く神秘的な要素を探ることを正当化する。他の批評家たちが既にそうした発見をし、詳細に論じてもいるので、ここではそうした議論に副次的なことをいくつかつけ加えるだけにしよう。

 

 ユーモアは不調和を特殊化する。しかし、その「下方へ向けての転換」によって、障害や脅威の大きさを小さく見せ、安心させるという文体上の工夫で、笑いという救いを与える。グロテスクは笑いなしの不調和に対する礼賛である。グロテスクは、それに共感を抱いている限りおかしなものではない(もっていない場合意図せざるバーレスクとなる)。共感をもっている限り、まったく真剣なものとなる。かくして、シュールレアリストの奇妙で寂しい景色は(小冊子であるが鋭い切り口に満ちたジェイムズ・ジョンソン・スゥイーニーの『20世紀絵画における造形的方向』にいくつかの印象的な例が挙げられているが)、恐ろしいものをありのままに描いている。

 

 グロテスク-神秘の不調和は撞着語法において明らかになる。沈黙を聞く、人々の孤独、隔たりを感じる、暗闇を見る。ジェイムズは、ヘーゲルの主要概念である矛盾の総合を、本質的に神秘的な洞察だと感じており、ヘーゲルが合理的に克服しようと努めていた論理的枠組みの方を好んでいた。「隠喩的精神分析」を適用すると、ヘーゲルが自分の哲学を「夜飛び立つミネルヴァの梟」に例えたことが注目される。この姿勢において抑制されている色は、夜を彩り、見えなかった光景をあらわにする一瞬の閃光に自分の哲学をなぞらえたニーチェと対照的である。ロバート・キャントウェルは最近、ジョイスの『若い芸術家の肖像』の一節について言及しているが、そこでは「輝きが訪れた」という文章がスティーブンによって「暗闇が訪れた」と間違って憶えられる。この暗闇と光との慣習的な使い方を神秘的に逆転した一節には、多分、ジョイスの黄昏時についての後の関心が予示されている。キャントウェル自身、ジョイスの作品からこの一節を選んだのは、なにか深い共感があったからなのは間違いないが、『富者の島』の「プロレタリア」についてのプロットに導入したシンボルによって神秘主義のごく近くまで来ている。物語の始めにおいて、工場の光が外に漏れる――そこで労働者の間に、光は外にあるものだという深い理解が生じる場面を描いている。彼が我々に語っているのは、結局、彼らは暗闇を見ているのだということである。

 

 グロテスクのシンボルを分析するのは、正直なところ、雑草ばかりがはびこった庭にいるようなものである。我々には雑草を掘り返すのに使うオッカムの剃刀もないし、花と雑草とを区別する判断基準さえないのである。手っ取り早く言うと、混乱した弁論において、客観的、あるいは公的な要素より主観的な形象の要素が顕著なものとなるときにグロテスクがあらわれると言える。どんな芸術でも、どれほど古典的で明確なものであっても、核となるモチーフに象徴的去勢や、再生、光に対する神秘的な畏怖などがあると分析できよう。*しかし、こうした原初的な対応を覆うような公的枠組みが壊されたときに、その本質はより明瞭にあらわにされる。その上に建てられていた弁論的な上部構造が堅固なものでなくなったために、象徴的な性質がより明瞭にあらわなものとなるのである。

 

*1

 

 例えば、ある電気技師は、電気というものが彼にとってもつ「深い意味」ゆえに他の仕事ではないこの仕事を選んだのかもしれない。この選択は幼い子供のときの印象、稲妻に対する畏怖にまで遡れるかもしれない――電気技師という職業を選んだのは、それによって「象徴的に」この畏怖に対して勝利を収められるからかもしれない。電気技師としての技術を完成していくに従い、彼は始めにあった象徴的な動機を遙かに超えて、非象徴的な関心と技術による広範囲にわたる「上部構造」を発達させる。しかしながら、解決することのできない電気の問題に直面したり、あるいは、経済的な条件の悪さからくる欲求不満の実際的なはけ口が奪われてしまったりしたときに、象徴的な動機が再び前面に出てくるかもしれない。職業の「公的な」側面は最小限に切りつめられ、主観的な側面が肥大することになる。このように、上部構造や客観的なものの混乱が、人間の行為における象徴的要素を強調することもある。

 

 権威の象徴に向かう我々の姿勢には革命的な転換があり、例えばそれは現代の文学における同性愛の扱いにあらわれていないだろうか。同性愛は、個人の側面から言うと、通常、幼年時代を通じて確立される最も重要な前政治的権威のシンボルである、父親と母親のシンボルの「二極の」争いに巻きこまれている。この前政治的型は、社会的に成熟すると政治的争いになる。同性愛者は、かくして、個人的な状況と公的、歴史的状況との完璧な適合を見いだすのである。

 

 こうした上部構造の変動は、同性愛ばかりでなく、アンドロギニュスをも促し、それは、宇宙が、無差別な愛に満ちた宇宙が男性原理と女性原理を含んでいるなら、その全体は両性具有的なものだというブレイクの発見から始まっている――そして、こうした宇宙への「同一化」を考えることは、同じように性的対立の収斂をも示すことになろう。(ついでではあるが、ヤモリンスキーが、『白痴』におけるドストエフスキーの「二重の思考」の扱いに、小説家の「心的な両性具有主義」を認めていたことを思い起こそう。)

 

 ブレイクはグロテスクだった。もし我々になすべき公的な仕事が十分にあったら、最終的な問題を暗黙のうちに留めておくこともできる。つまり、日常的な出来事の扱い方が形而上学的な帰結に向けて実行されており、それにブレイクの哲学が見いだされるということがあるかもしれない――だが、その細部においてばかりでなくその満足において公的な枠組みが十分に豊かであるなら、関心の最重要事としてそうした問題に夢中になる誘因はないことになる。あるいは、満足が僅かなものであっても、通常のやり方で、つまりつまらないことだと見なすことで問題は解決できる。巨大な娯楽産業はそうした解決を好む者のためにつくられており、彼らは「気晴らし」によって不吉な意味を縁起の良いものに変えようとする。デモクリトスのように、唯物論で問題を解決する者もいる。ジェイムズのような多元論でもって、宇宙をばらばらのままにしておくのを好む者もいる。*

 

 

*2

 

 とにかく、魔の山の頂上に立つ者がおり、母なる山を登攀する詩人がおり(ボードレールの「La Geante」)、磁石の山に引きつけられる者がいる(そこには社会主義の社会が待ち受けていると言われるが、シュールレアリストの風景のように寂しく簡素な場である)。並行関係、「照応」がシンボル化され、単純な同一の概念が混乱し、あるもの別のものとして見られることになる――ジョイスは、現代の生を『オデュッセイア』のパロディーとして描いた。ロレンスは非性的なものにも性を読み取った。エリオットは、原始魔術の伝承によって「干魃」の神秘的な意味を表現した。イェーツは、空想的な相関関係の貯蔵庫を参照することで自らのリアリズムを鋭利なものとした。パウンドは、シュペングラーによく似た「同時性」の概念によって、現在の状況をある時の同じような状況とともに分類することで解釈した。多分、ヨゼフの小説におけるトーマス・マンが、いまではほとんど忘れられた同一性の概念を含めながら、こうした思索を最大限に進めている。彼は聖書の役割を、永遠に回帰する役割ととっている。それゆえ、誰かがいま、ヤコブ、あるいはヨゼフ、あるいはレベッカかどの役割にあるかに応じて、集団的な伝説として発展する歴史においてその運命を予示することができる。聖書の登場人物のような生を送ることで、彼はその人物であり、「数」が既に書き込まれていて、その数にあった運命に従うことになる。

 

 新たな総合的性格がそれに対応した言葉の変化を必要とすると感じられるように、我々は自己同一性の変化を――魔術の規則に厳密に従い――しばしば名前の変化によって象徴化する。あるいは、「先祖たち」のように、現在の緊急事態に対応するために、過去をある意味神秘的に修正することで未来を従わせようとすることもある。自然主義から悪魔主義通り、カトリシズムに至ったユイスマンスの本の題名を眺めると、自然主義の時期の題は一つの例外を除けば名詞であり、過渡期のものは実際に前置詞がつくか、性質において前置詞的で(A-Vau-l'Eau,En Rade,A Rebours,La-bas,En Route)、カトリック的リアリズムの時期にはすべて名詞になっている。

 

 奈落の上を飛行機で飛ぶ者もいるし、(カウリーが『大金』について言ったように)ガラスのようなはかない生をもつ者もおり、ガザで目のない者を見る旅行者もいれば、『大聖堂での殺人』のエリオットのように、否定から「否定の否定」に赴く者もいる(エリオットと同じ名前の聖人は自身の言葉に「誘惑するもの」を認め、その生涯において受難を受けないよう自戒しなければならなかった)。最終的には撞着語法に行き着く固定化した語の固まり、混合物があるが、詩人は連想を相互に働かせることによって、論理的には割り切れないシンボルを融合させる。生、死、永遠、母、性的欲望、去勢、健康、病、芸術、森あるいは海、それらすべてが見境なく結びつくことで、そのうちの一つを語ることで他のものについても語ることができ、一つを中心に置けば、その形象の周縁には他の要素が明滅することとなる。多分結局のところ、こうした固まりを図示し、どれだけの要素を使って作家や思想家が著作しているのかを調べてみれば、抒情詩人でさえその作品にディケンズの小説の登場人物くらいの数の人物を具象化していることを見いだし驚くことだろう。そこには叫ぶ者(わめき立てる声には、常にある種の限定された思考の循環が潜んでいる)、座談家(エッセイストの調子で語る)、囁く者、脇から口を挟む者等々で、それぞれに独自の「連想」の領域をもっている。(*1)そのなかには動物さえあり、潜在的なジャングル一覧には、ライオン的思考、犬的思考、馬的思考、牛的思考、ジャッカル的思考、老いた雌鶏的思考などがあり、その人間が各動物にあると思っている性質を(近しいと感じられる形象を用いることによって)あらわすことになる(先に引用したジェイムズの文で、ジェイムズはショーペンハウアーのペシミズムから犬の吠える声を連想している――キリコの絵画では、奇妙な馬が重要な役割を果たしており、多分、奇妙な遠近法、光と闇との見なれない併置、人の代わりに立つ生命のない彫像などと関わっているのだろう)。(*2)土地というのも(街であるか田舎であるか)それぞれに声が割り当てられており、機械でも同様である(飛行機はマリネッティにとっては耳障りな声で語り、ミュリエル・ルーカイザーには親切な保護者として語りかけているように思える)。資本主義は、マルクスにとっては不快感で肝臓が病んでしまうほどのものだったが、ある者にとっては子守歌である。(1955年の「積極思考の力」参照)

 

 

 

*3

 

 

 こうした領域の図式化は、恐らく治療的目的以外には価値がなく、その場合、その人間の形象群が間違った場所に向かっているのを発見することで彼の生に対する装備を修繕しようとすることになろう。いずれにしろ、調査が集団的に組織されない限り、問題は適切に処理され得ない。一人の人間の推測では不安定で、その特異な力点の置き方で激しく歪曲される。しかし、もし我々が、過程の哲学からカテゴリーの哲学に移行し(多分、「過程-カテゴリー」のようなものとなる)、しかも俗物根性や立法府の命令などによって過程の思考がもたらしてくれた知見を捨て去ることなく名詞の世界を再発見できるなら、連想による形象群や配置の分析を企てることができるかもしれない。受容の適切な枠組みは、主体的な蒼穹が安定した秩序を保っていると一つのものであるかのように見え、天文学者が暇に任せて星々を線で繋ぎ、帯、王冠、大熊と子熊その他の驚くべき発見をするのと同じことがなされうる。そして、外的な対応物を通じてそうした内的な星座配置に取組むことは(a、b、cの要素を認めた者は、要素dを予見することで相互関係の見取り図を検証でき、与件が支持できるものかどうか確かめる)、不明瞭で純粋に内観的な、あるいは、不毛で純粋に行動学的な心理学ではなく、心理学の現象学的な科学をもたらすことになろう。

 

 グロテスク-変移的は異なった程度であらわれる。受動的な「受容の枠組み」で、純粋な形で使われる場合については、スウィーニーのシュールレアリスムガーゴイル的芸術についての本の締めくくりを引用することができる。*

 

 

*4

 

 「シュールレアリストの事物のあり方に対する不満は、もはや単なるニヒリズムに向かいはしない。彼らは生を生きるに値するものと考えるが、まったく異なった土壌で生きられるべきだと感じている。彼らによれば、生の豊かさとは、無意識のうちにある。その真の楽しみは無意識の自由な表現のみから生じるのだと感じている。彼らにとって芸術とはこの目的のための手段になっている。」

*1:*去年、発電所の故障で都市の一部が数時間真っ暗闇になった事故について書くニュー・ヨークの新聞記事にはある種の畏怖があった。それを読むと、なんらかの新たな放射線が太陽系に入り込み、電気の働きを異常にすることでもあったら、都市の人間は、農民が雨を祈るように電気の到来を祈り始めるのではないかとさえ感じられる。

*2:

*もちろん、ジェイムズには、ブレイクが集団的性交の形象によって普遍的な男性原理と女性原理とを総合できたように、「総合」を必要とするような明らかな性的二律背反はなかった。善と悪との「階級闘争」があり、そこで立場を選択する必要があった(そして、選択を可能にするために自由意志の教義が必要とされた)。スウェーデンボルグ的な『実体と影』の著者である父親は、(「隠喩分析」によれば)食物対排泄物といった枠組みの宇宙に直面していたように思える。道徳と宗教との相違に考えの基礎を置き(明らかにこれは「善悪の彼岸」、「対立物の向こう側」といったモチーフの変種である)、彼は「良心は下剤であり、栄養物ではない」と書く。道徳は善悪を越えたより高次の総合という意味合いがあり、そこでは排泄物である悪が浄化される、という具合に言い直すことができる。隠喩の傾向は生涯の二つの最も決定的な瞬間において明らかである。再生(宗教的回心)と死である。回心について彼は書いている。

 

 「私にはこの大それた信仰をこれ以上持ち続けるのは不可能だった。忘れられないウィンザーでの冷え冷えとした午後、夕食の席についたとき、穏やかであるが弱まることのないごく微かな疑いの影がさした。席を立つ前には、内部で炭殻のように縮まっていた。その瞬間、取るに足らない私のような者にまで恩恵を与えてくださる神に心から感謝した。次の瞬間、その恩恵が私には憎むべきものであり、文字通り、私の内臓に巣くった地獄の巣窟であるように思えた。」(イタリックはバーク)

 

 死ぬとき、ヘンリーからウイリアムへの手紙では、「次第に食事をとらないようになりました、死ぬのを望んでいるからです。『生の精神』に加わるんだと信じて興奮する以外はおかしなところはありません。なにをもってしても彼に食べるよう説得できません。」

 

 彼の神学についてペリー教授は次のように書いている。

 

 「二つの、下降と上昇の、あるいは疎外と帰還の二つの運動しか存在しない。失墜は創造の始まりである、というのも、完璧から完璧へと進んだとしても、意味のない反復でしかないからである。神自身も失墜する。人間の実際の経験の錯覚に満ち、肉欲的で、自己中心的な瞬間において神は無知となり、堕落し、零落する。」

 

 ペリー教授はまた、ジェイムズ家の輝くばかりの会話は食事中に行なわれたという事実に注目している。一種の世俗的な愛餐が示唆されている(目に見えるところで、死すべき存在によって聖餐のパンやワインが摂取されると、消化において当然起きるべき事態が続くはずだと主張した糞便派の異端な疑念とともに化体の奇跡が行なわれた)。引用はラルフ・バートン・ペリーの『ウイリアム・ジェイムズの思想と人物』による。

 

*3:

(*1)次のような苦境にある狡猾な若者を思いえがいてみよう。強い支配力をもっているが、非常にお世辞に影響されやすい貴婦人がいる。彼は彼女の力を必要とし、代償として、身の毛のよだつお世辞を進んで言うことになる。しかし。

 

 貴婦人は耳が遠い。狡猾な若者にとって、彼女に向けるお世辞の言葉は囁きかけるような内緒の雰囲気が必要であるように思われた。その結果。

 

 彼は十分にお世辞を言うことができず、彼女の支援を勝ち取ることができなかった。彼はたとえ間違っているにしても、なんでも進んで言うつもりだったが、「間違った」声の調子で言うことはできなかったのである。彼はお世辞を叫ぶことができなかった。我知らず誠実な対応をしてしまったのである。

 

 こうした妥当性と誠実さとの深い場所での検証は詩においてもあらわれている。例えば、ある作家がある主義への忠誠を公言しているにもかかわらず、彼の作品を見ていくと、主義に対するの方が擁護者よりもずっと活き活きと描かれているということがある。そこに、信念の告白の「真実」があるわけである。

 

(*2)多分、科学者の方が詩人や小説家よりジャングル一覧をより真面目に受けとっている。それは、十九世紀の自由主義に根深く残った一風変わった封建主義的思考と関わる。この世紀は発生、起源に極度の重要性がおかれた。封建主義者はある人間を彼の全家族を攻撃することによって攻撃する。一人の人間の堕落は一族郎党の堕落だった。彼は悪質な団体の一員とみなされる。あるいは、個人としてある人間を攻撃するときに、封建主義の劇作家にとって最も自然な戦略は私生児として描くこと、つまり一種の個人事業として扱うのである。

 

 ダーウィン的な「人間の遺伝」を人間の動機を図式化するときの手がかりとして適用する者は、名目上は封建主義と対立する哲学の核に封建主義的な思考方法を保持していると言える。彼らは人間とはなんであるかを家柄、彼はなんであったかによって分析する。それゆえ、人間は動物から発生してきたがゆえに動物だということになる。ダーウィンにある系譜学的要素は題名の選択にあるように遺伝を下に降るものとあらわしているところにもあり、この過程は後の「進歩的な進化論者」では上にのぼるものとあらわされるようになる(それゆえ、家系的樹木図的意味合いから商業的な「成功」の意味合いへの転換がある)。

 

 恐らく、詩人へのダーウィン的な焼き印はイプセンの『私たち死んだものが目ざめたら』に最もよくあらわされており、そこでは芸術家のラスベックが理想を捨て、社会的に画家として成功を収め、相手に動物の特徴を見つけて描く肖像画において高い評判を受けることになる。それは彼の成功の秘密であり、解釈の仕方は隠したままにしている。肖像画を動物の比喩でもって描いているのだが、比喩そのものは背景のうちに潜ませているのである。それゆえ、彼の客は実際には彼の餌食であるが、彼らはそれを知らない。実際には中傷されているというのに、彼を尊敬し、その解釈に高いお金を払う――つまり、隠された中傷を「真実」と認めている。

 

 しかしながら、彼自身もこの中傷によって罰せられる。というのも、彼のヴィジョンの鋭さは、まさしく彼自身の譲歩からきているからである。彼は「既に売り切れて」おり――社会において「盛況のうちに売れている」ことを苦々しく見ている。

 

 科学者たちは、この間にも、邪魔されることなく封建主義の奇妙な戯画であり続けていた。最終的には行動主義者まで行き着き、彼らは、人間に関することなら、迷路の動物を観察することですべて学ぶことができるとしたのである。彼らはラスベックが苦々しく密かに描いた同じ肖像画を苦々しさなしにまったく率直に描くのである。ラスベックが秘密にしていたものを公然とあらわす。疑いなくここには甚だしい相違があり、その発言は「社会的」なものとされているのに、罪の方はほとんど帳消しにされている。最終的に彼らが言うのは、「私が失敗したら、その失敗を社会化しよう――逆境においてこそ我々は兄弟となるのだから失敗も一緒だ」ということである。

 

 しかしながら、イプセンの場合、彼が「ダーウィン主義の」劇作家だったという発見は大きな衝撃を与えたようである。この劇の後、彼は意気消沈した。そして、以前の自然主義的な劇作に立ち返ったらしい徴候があり、彼にとってそれは可能なことだった。それはある種のごまかしであり、生涯をかけてラスベックを攻撃してきたというのに、自分自身がラスベックになってしまったと感じたに違いない。

 

 この点において、紀元前六世紀に遡り、イソップの寓話を観察することはできないだろうか。モラリストであるイソップもまた、結局のところ、人間は動物だと言っているのではないか。注目に値する点において、イソップはイプセンに似ている。彼は人間の貪欲さに反対することで命を落としさえした。「市民に分配する大量の金をデルフィに送る際、彼らの強欲さに怒った彼はお金を分けることを拒み、それを主人に送り返した。デルフィの者たちはこの仕打ちに怒り、彼を不敬の罪で告発し、犯罪者として罰したのである。」「イソップの血」は、ソクラテスの毒薬と同じ種類の出来事として格言となった。

 

 だが、イソップはモラリストであって科学者ではない。明らかに彼は自分の比喩を「割り引きして考えている」が、ダーウィン主義者たちはそうではない。その動物たちは政治組織の一員であり、単にジャングルの競争相手ではない。彼らはソクラテスのようなイロニストである。彼らは美徳を欺き、美徳を「利用する」こともできるが、少なくとも美徳がなんであるかは知っている。

 

 イソップは感傷的な婉曲語法という極端から、シニカルな暴露趣味というもう一方の極端に跳躍しはしない。理想主義を、その正体を暴くという野蛮さで考えはしなかった。ついでに言えば、この点は、後に展開することになる我々の「喜劇的枠組み」の支持を用意するものである。

*4:

*我々は、色々なところで、ジョイスの作品の背後にある衝動は、子供のときのカトリックの枠組みを捨て去ったという「犯罪性」にあるのではないかと考えてきた。彼は最も偉大な現代の異端者であり、子供時代と成人してからの対照的な相違は、必然的に、プロテスタント懐疑主義の教育を受けた作家なら単に無視してしまう思考様式を強烈に排除するよう促した。この忠誠の対象の転換は不調和に対する崇拝にあらわれており、二つの枠組みがそれぞれに対して「敬意を払わない」ことによって生みだされる。それが彼の冒険的な地口の背後にある「技術的」あるいは「形式的」な衝動である。

 

 合衆国で大衆的な人気を博した「ノックノック」の洒落遊びは、まさしく、職業上の権威のシンボル(我々の目的にとって中心的な)に関してのためらいが広く行き渡り、その心理学に解釈の光が当てられていたときだった。

 

 この解釈につけ加えるものとして、『マクベス』では罪が扉をノックする音に象徴化されているというド・クインシーの注釈がある。また、黒人霊歌の「誰かが扉を叩いてる」にもその変種がある。また、ポーの大鴉の「こつこつ」という音、「柔らかなトントン」という音もあろう。

 

 『マクベス』の場合、扉を叩く音は猥褻さ、不浄の排除を呼び起こす。扉の音がジョイスを同じように怖がらせたこともあったようである。いわゆる「リアリズム」の小説家の多くに見られる素朴な不浄の排除にも血縁関係が見いだされる。この文学的症候の背後には、子供時代の排便にまつわる恐怖のようなものが潜んでいるのだろうか。