ケネス・バーク『歴史への姿勢』 24

拒絶の失敗

 

 我々の分析した多様な詩的カテゴリーは、精神が状況を名づけ、直面する際のいくつかの主要な心理学的仕掛けを示した。それは、原始的福音主義(ヘレニズムの衰退のなか起こった)、中世神権主義、プロテスタンティズム、資本主義、社会主義と大ざっぱに分類できる「集団的な詩」、思考や行動の全般的な枠組みをとった西欧文明の広範囲な過程を辿る際のひな形を与えてくれる。

 

 こうした用語を用いる際の難点は、経済的な型が互いに重なり合っていることにある。あるときにはその型の他とは異なる特徴を示すためにその語を使い、別の折りには他の型と共通する特徴をそこに含めるのである。かくして、平均的な同国人が資本主義への忠誠を表明するとき、彼は単に資本主義を他の経済体系と異なったものと考えているのではない。そのシンボルは、彼にとっては、家族、友情、隣人とのつきあい、教育、医療、ゴルフ、商売道具、日光、未来、その他無数の雑多なものが含まれている。演説者が「資本主義をつぶせ!」と叫ぶとき、聴き手がしばしば抵抗するのは、密かにこう言い返しているからである、即ち、「私は少年のときに散策したあの川堤の記憶を愛している」と。

 

 この解離の問題は、我々の忠誠の型に転換が必要とされる状況が生じたとき、常に難題を引き起こす。多くの人間は、与えられた権威のシンボルを拒絶しようと試み、この権威的シンボルに伴う社会的物質的衝撃によって脱線させられたかの如く、「反社会的な」方向に逸脱してしまう。受容の枠組みが完全なものであればあるほど、それを疑問視することによって生じる歪みも大きくなる。そのプロテスタントの枠組みが、取って代わろうとしたカトリックの枠組みと密接であったルターでさえ、ドイツの元首を認めるには悪魔主義の心理学を用意することができただけで、彼の悪魔を「投影し」、それにインク壺を投げつけることで、めでたくその問題を解決した。ミルトンの反君主的な党派とのつながりは、もし彼の共感に満ちた悪魔の肖像が詩人の主題との「同一化」の証拠としてとることができるなら、同様の影響を彼に与えているように思われる。十九世紀の拒絶の枠組みは悪魔的な要素に満ちている。その熱意を帯びた好戦的態度で明らかにプロパガンダを打ち負かしている、現代の多くの煽動者たちは、ある種の公言されてはいない罪の感覚から放免されるための一つの手段として迫害を招いているように思われるとき、同じような影響を受けていると思われる。

 

 過激派が従事する際限のない「分裂」は、どれだけその衝動が合理化できるものであるにしても、同じくこうした非合理的な原因から生じうるのである。もし我々の推測が正しければ、論争は、防衛の肥大が見られ、論争のための論争という傾向があり、聴衆に応諾よりもむしろ抵抗を呼び起こすことによってプロパガンダを打ち負かそうとするときでさえ、隠喩の主旨にその姿を現わしている。筆名というのも、実際的な必要に迫られているのであっても、我々になんらかの手がかりを与えるものである――というのも、二つの名前をもつ人間は、また、二つの自己証明をもっているに違いないからである。そして、それらが対立矛盾する自己証明である限り(一つが「資本主義者」の役割をもち、他方が「反資本主義」の役割をもつ)、一方が他方を「譴責する」内的な戦争状態を引き起こす。謙遜が要求されている状況で自尊心をもっても成熟した態度とは言えないので、単に合理主義を表明したところで問題を追い払うことはできない。

 

 こうした考え方が党派的な関心のもと充分に組織化されると(そうした機会は宗教的世俗的双方においてあり得、宗教の場合は「異端」を世俗の場合は「分派」をつくりだすことによって為される)、我々はそうした機会を「利用する」傾向が生じることを予測できる。セクト主義は論理によって処理しうる(マルクスが言うように、論理は「心における法の番人である」)。それゆえ、正当性の枠組みにおいて、想像力の及ぶ限りを官僚化すると、自動的にその「対極」、異端を招き入れることになる。結局、普遍的な信仰を生みだせるこうした考えを組織的に実行していくと、セクトを生みだすに至る。更にそうした機会に「働きかけ」る者は、我々の「新マルサス原理」により、セクトセクトセクトに達する。これは充分遠くまでいく力を発達させた歴史的趨勢は、同じように遠くに行きすぎてしまう力をも発達させたのだということを、専門的な用語で言い換えたに過ぎない。この点において、それは物理的な限界に達する。そして、「分裂」の過程を逆回転しようとする(ここで「統一戦線」への要求が生じる)。しかし。

 

 解決は完全に幸福なものではない。セクトの考え方によって訓練された者には、考えの方向を逆転させるという単純なことも混乱を引き起こす。セクト主義の単純な裏返しはご都合主義であるから、彼らは道徳的堕落に脅かされる――ご都合主義とは、セクト主義に学んだ者がセクトから追い出されるときに生じるものだからである。彼の性格を形づくっていた明確な境界線が崩れ去ってしまい、居場所を失ったセクト主義者は性格を喪失する危険に陥る。我々が示唆しようとしてきたのは、この問題に積極的肯定的に対応できるのは、より広い枠組み(本質的に「喜劇的」な)を採用することによってのみだということである。喜劇的な枠組みは、セクト的な考え方を広げ、成熟させることでご都合主義へ押しやる力から人を救い出す。

 

 プロテスタントの「分裂」による枝分かれは、当然、既に確立されている十全な権威の枠組みを破壊する試みを伴っていた。人類学者は同様の現象を未開人のうちに認めており、文化的パターンのたった一つの特徴でも取り除くと(首狩りのような)、それは全文化パターンの崩壊に向かう傾向があり、西欧流の課税によって生活のための経済が破壊されてしまったアフリカ沿岸の部族のように、西欧的な経済の実践が崩壊に至るまで拡がっていない地域でさえそうなのである。プロテスタントの国々では、枠組みを壊すことを伴った原子論的、分解的傾向が、結果的には、事業における個人主義を生んだ。カトリックの国々では、農民的な生活のパターンが技術の発達と相互干渉しており、事業拡大の機会はより制限され、代わりにアナーキズムに対する強調がある。事業のパターンは、ナショナリズムという共通の自己証明を発達させることで総合へと帰る道を探している――そして、それに伴う人道主義から、社会主義の輪郭が徐々に生じてきたのである。アナーキストは共通の自己証明としてサンディカリスムを発達させることで逆戻りの道を進もうとしたように思える。ファシスト国家は共通の考えに訴えることで、統合の過程を確立しようとしたもう一つの例である。その枠組みが経済的矛盾の単なる否定に基づいており、世俗的な祈りによって苦い現実を追い払おうとしている限り、我々はそれを、通常こうした脅威に使われる言葉ではないのだが、「感傷的」と呼ぶだろう。

 

 十全な枠組みは増幅器としても使用される。生のあらゆる側面は象徴的な架橋によってつながっているので、どの部分も全体を含んでいることになる。それゆえ、僅かな疑問視は多くの疑問に増幅され、すこしのずれが全社会の抛棄を指しているように思われる。この種の人目を欺く魔術は主に、子供の思考にあらわれている(それゆえ、大人が単に子供に何かを足したものでしかないとき、それは大人にも適用される)。僅かな攻撃で全性格が損われる。一つの「よい行為」で「全てがよく」なる。聖職者がいるときに、この「全てか無か」の原則を活用すると、権威のシンボルに対する部分的な攻撃は想像力によって増加され、ある小枝が曲がっているなら、全てにおいて曲がるのだとまで確信させるに至る。

 

 しばしば、これに対する防御は「分離」であり、それがあるときには「原子論」、「分裂」に進むときがある。しかしながら、もう一つの戦略として、シンボルの「あちらこちらからの盗用」とでも呼べるものがある。セクトは、自分たちだけが正統派の原理を真に体現しているのだと主張することで、正統との統合同一化を訴える。かくして、ヨーロッパの護教学の歴史は、敵対する党派との間で戦略的イデオロギー的要素をとったりとられたりする様を示している。かくして、ある時期には「王の神聖な権利」という説は、教会に対立するものとして引き合いに出された(神権政治のではなく、世俗的な君主こそが「民衆」を代表する権利をもつという口実があった)。別の時期には、教会の人間自身が、世俗的な権力に従うことを正当化するような説を唱えたのである。同じように、マルクス主義は、ブルジョア商業主義の勢力から力を引きだしている多くのスローガンを「奪い取る」ことで正当性を維持した――その「無時間性」にもかかわらず、教会でさえいまでは過去を忘れ、ナショナリズムと「自由」への訴えかけを喜んでしようとしているように思える。(ついでながら、このシンボルのあちらこちらからの盗用は、批評家にとって、その説が過去においてとっていた形から未来におけるありようを明らかにするのを困難なものとしている。)*

 

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 教会は既にトミスト経済の枠組みからは遠く離れていて、何人かの信者は自由主義的な、分裂的な本質をもった提案を行なっている。例えば、ヒレア・ベロックの「私有財産分配論」は、彼の選んだ言葉そのものの性質が原子論的傾向をあらわにしている。最近の『所有権の復活』で概述されたものは、保護主義自由経済との不釣り合いな混成である。著者は、政府(より好ましいのは君主であるが)が計画的に、ブルジョアの苗木、アダム・スミスが評価したような独立した財産の所有者を植えつけることを考えている。これはカトリック理論の最盛期、クローチェが見てとったように、「自由」が「放縦」の同義語であり、「従順」が「忠誠」の同義語であるような時期からは遠く隔たっている。ベロックは、彼の描く悪い国家を「従順な国家」と呼ぶことで、中世が「従順」という語に対してもつ意味合いから遠く離れたところにいるのである(コミュニストファシストの国家が気前よく一緒にされてこの名称でくくられている)。『公共の福祉』のある記者は、アメリカにおける彼の弟子の書いた、南部の農民の本の書評で、経済的機構は独立ではなく、相互依存を強調するべきだと示唆した。この点において、書評家は転向者であるベロックよりもカトリックの血統に近しい。*

 

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*1:*「古典的な」進行は、ある党派が「過去のこの偉大な思想家は我々のものだ」と言う。対立する党派が言い返す「いいや、彼は我々のものだ」と。しかし、擁護者はときに驚くべき逆転を行ない、敵に向かって「我々は彼を望まない、君たちが取りたまえ」と言うのである。かくして、近年において、我々が見るのは、左翼の論客が敵がプラトンをとったと主張する姿である。それは「象徴的な焚書」といったところまでいってしまうので、我々はそれほど強烈ではない進行を好んでいる。人が学ばねばならないのは書物をいかに読むかであって、いかに恐れるかではない。

*2:*ベロックの提案の原子論的側面もまた、権威のシンボルの転換への関わりからきているのだろうか。というのも、彼は独占的な資本主義を殺してしまいたい巨木に例えているからである。しかし、それを切り倒すだけの強力な道具をもっていないので、葉っぱを一枚一枚切り落とすことで殺すことを提案している。そして、プチ・ブルジョアの苗木を植える計画を「再森林化」の計画と呼んでいる。この隠喩は象徴的な父親殺しをほのめかしている。著者は独占的な父権を打ち倒し、その代わりに自分の小さな子供を植えようとしている。そして政府は(君主の方が好ましいのだが)、養父のようなものであって、子供じみた喧嘩には口を出さないが、乱暴な兄さんから小さな子供を守るようなときには間に入るのである。