黄昏の領域 3 日常と怪異の根拠ーーリチャード・プライス『アウトサイダー』(2020年)

 

解禁!予告編

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  • メディア: Prime Video
 

 

 

 スティーヴン・キング原作。初期のキング作品は多分、ほとんど読んでいて、なかでも、恩田陸の『夜のピクニック』の下敷きになった『死のロングウォーク』や『痩せゆく男』などのリチャード・バックマン名義の作品が大好きだったが、二段組の巨大な単行本『It』をほとんど一気に読了したあたりから、『グリーンマイル』のような不思議な力はあらわれるもののホラーではない作品や、『ダーク・タワー』のようなファンタジーにもあまり興味がなかったので、『It』より先に書かれたにもかかわらず、翻訳が出ていないが『It』とともにキングのホラーの代表作とされていた『ザ・スタンド』の翻訳が出るのを待っていたが、ようやく数年後発売されたときには、ひとときの熱がさめていて、それでも『It』と同じく二段組の巨大な単行本の上巻の半分くらいは読んだのだが、あえなくそこで挫折してしまった。

 

 最近ひさしく頭に浮かぶことのなかったキングの名が再び浮上してきたのは、『It』が映画化されたためでもある。原作が2部構成になっているので、映画も2本に分かれているが、正直面白くなかった。原作と映画をくらべるのはまったく私の趣味ではないが、それにしても敵役がピエロであるペニー・ワイズに固定化されているのにはまったく納得がいかず、そもそも原作ではピエロなどきっかけであるに過ぎず、あらゆる怪物的な形象が続々とあらわれ、もはやItとしか呼ぶことのできない何かに直面することの恐怖を描いたものだった。無論、形象化を拒むような不定形なエイリアン状のものをどう描くか代案があるわけではないが、作者本人が完成された映画を見て大いに不満を漏らしたスタンリー・キューブリックの『シャイニング』などは、冬の間だけ無人で放置される伝統ある巨大なホテル、その長い廊下を走っていく子供が乗ったバギー、双子の少女や血の吹き出るエレベーターなど、キングの原作が描く作家志望の狂気への煮詰っていく父親の心理と、特別な透視能力をもつ子供の恐れとが渾然となってドライヴがかかっていく原作の特質などまったく無視して、自身の映像表現に役立つところだけを摘んで見せたキューブリックの方法の方がずっと聡明であっただろう。

 

 そもそもキングのホラーというのは、かなり特殊なものだと言える。『It』に特徴的なように、究極的な恐怖の根拠は人間の想像力にしかない。あらゆるモンスターたちが跳梁跋扈するが、それらがあらわれる根拠となるのは、死んだものの恨み、地霊、あるいは人間の狂気などでさえなく、因果性を辿ることはできない。『13日の金曜日』や『エルム街の悪夢』などといった相当でたらめな設定の映画でさえ、連続して起こる殺人の原因、また殺人鬼の特定や対策などが練られるのだが、根本的にキングの作品の場合、特定されるような原因など存在しない。

 

 こうした問題を絶妙に回避することによって、『アウトサイダー』はキング作品の映像化において、私が見た範囲においては、キューブリックとは異なり、原作の精神を残している点においては随一のものとなっている(もっともこのドラマの原作は私は読んでいないので、キング的な作品と一般化しておこう)。いかにもキング的なアメリカの田舎、少年の死体が見つかる。複数の目撃証人と、監視カメラの映像から、教師で、少年野球の監督でもある男が犯人と特定される。小さな街であるからほとんどの人間が顔見知りであり、捜査官と犯人とも長年の友人であり、それだけに怒りも強く、少年野球の試合の途中で、見せしめのように彼を逮捕する。子供殺しとして彼は街中から罵倒を浴びせられるが、いざ逮捕され、供述を聞いてみると、少年が殺された日、彼は教職員の集会で街を離れていたことがわかる。しかもその研修会は、地元のテレビ局が撮影しており、そこには講師に質問する彼の姿が映っている。つまり、同じ時刻同一人物が二箇所に存在するわけである、というのが概ね1話で、全編10話からなっている。キングの小説が細かな日常を延々と積み重ねることによって、徐々に緊張感を高めるのと同じように、このドラマではなにも起きるわけではない部屋の一角や、風景の長回しが、徐々に緊張感を高めていく。そしてここでも最終的な根拠が示されることはないのだが、こうして積み重ねられる日常を脅かすものがつまりは「それ」であり、それ以上の根拠が必要なのかと思わせるのが味噌である。