ケネス・バーク『歴史への姿勢』 26

第二部 歴史の曲線

 

第一章 キリスト教福音主義

 

 前の章では、多様な詩的カテゴリーを主な例証として、「受容と拒絶の枠組み」を論じた。ここでは、最も広範囲にわたる集団的活動によって発展させられてきた「集団的詩」に注意を向けよう。我々が注目するのは個人の戦略ではなく、集合体が発達させた生産の、そして心的な型である。この二つの強調点は、個人の枠組みは集団的枠組みの材料によってつくられているので、相互に相反しあうものではないが、一方から他方への変化は強調点を詩的なものから歴史的なものへ転換させる。

 

 行為者は書かれた時代を参照にして行動の論理を組織するので、過去のドラマは頻繁に書き換えられねばならない――そして、ある版の最後の行為は、後の版の最初の行為にさえなる。初期キリスト教詩人プルデンティウスの版は、神によるローマ帝国の建設で終わる。この堅固な物質的基盤の上に、キリスト教シンボリズムの複雑な上部構造が打ち立てられる、と彼は感じたのである。コンスタンティウスによって合法と認められた教義は(新しい宗教を「キリスト教異端」として迎え入れたのは、続く語の移り変りにとって皮肉なことだったが)、プルデンティウスにはローマの通信、生産、軍事のネットワークが移し替えられたように感じられた。プルデンティウスの歴史的ドラマの最後の幕はこの敵うもののない壮観さのうちに閉じたのである――その数年後、蛮人が半島を侵略した。我々は便宜上、プルデンティウスが終えたところから始めよう。

 

 ドラマの一幕目には、行動が生じる状況がある。先行する無数のドラマの塊がある。そうした先行するドラマの要旨はわかっているが、個々の細部についてはわからない。今日書かれている西欧史のドラマの最初の状況は、地中海伝説の蓄積のなかからとられねばならない。劇はヘレニズムの衰退とキリスト教福音主義の勝利との混合から始まる。

 

 過去の帝国は多くの公共施設を建設したが、それは共同事業によって引き継がれうるものだった。新たな事業が、過去に建設された道路を、貿易海路を、農業を効率化させる方法論を、食を預言する天球図を、支配者の神性についての信仰(一人の王と「民衆全体」との同一化)を、所有関係のあり方、考え方の文法を受け継いだ。端的に言って、多大な精神的要因が客観的、物質的体制に「官僚化」され――新たな文化的事業はその上に建設されねばならなかった。資源は、それ以前の帝国、エジプト、バビロニア、ペルシア、マケドニアによって充分に与えられており、ローマはそれを利用することができた。ある権力によって西の方に拡張されていた道路は、西側の権力によって東の方角に拡張された。同じことは、道路に対応する精神的な考え方の習慣についても当てはまる。

 

 第一幕において、我々にはすべての資源が「与えられて」いる。ナイルの周期性を活用して建設された巨大で盤石のエジプトは、与えられたものの重要な部分をなしていた。そして、特に、東の方に向かうと、同じような条件が見いだされた。教養ある文化というのは固くなったパンのようなもので、ぼろぼろに崩れどこにでも入り込むことができる。いまに残る証言というのは、それが当時の代表的な声だと思われがちであるために、我々を間違った方向に導くことがある。ダンスのステップは失われてしまった、野で働く男の姿は既にない――そしてその言葉がアレキサンドリアの図書館に収められた言葉とは異なったものなら、最も重要なもの、つまり、異なった文化的構成要素の部分はすべて失われている。残った記録は、不釣り合いなことに、あちらこちらに移動するパンくずのもので、それは典型的というよりは対立的、あるいは補助的なものである。つまり、それらは、洗練された少数者が、洗練されていない多数の者の不動性によって手に入れることのできた動き回れる機会を利用したものである。

 

 その割合を変えてみれば、ある証言を解釈する異なった手がかりを得ることになる。例えば、ペリクレス期のアテネの哲学者が、人間は万物の尺度だと語り、それによって個別の人間を意味しているとすると、その発言が時代を代表するものか、補助的なものか知るためには、どれだけの集団的な要素が、どの程度の慣習への従順さがその言葉に仮定されているかを知らなければならない。即ち、ある人間が個人としての人間がすべての尺度だというのは、まさしく彼がそうではないから、こうした贅沢を許容する集団的文法を使用しているからかもしれないのである。

 

 かくして、十九世紀には、我々の文法は、「アナーキズム」の問題について相当な発言を許容した。そうした発言の文化的な意味を十分に理解するためには、それが列車の時刻表と連携した極度に規則正しい組織化と共存していたことを知らなければならない。出版、郵便、教育、書店――そうした巨大な設備が語り手には「軽く見ら」れていた。アナーキストが語っているときアナーキストでない者が感じる恐怖とは、語り手が聴き手よりも事態を楽観視しているという事実からきていた。アナーキストは一般に、言葉をこの組織の頂点を指して使っていた。聴き手がそれに抵抗するのは、彼にとってそれは組織そのものを指していたのであり、世界は組織なしには成り立ち得ないことを知っていたからである。