黄昏の領域 4 重層的リアリズムーーデヴィッド・サイモン『プロット・アゲンスト・アメリカ』(2020年)

 

解禁!予告編

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  • メディア: Prime Video
 

 

 

 

 

 

 HBOのドラマ。

 

 フィリップ・ロスは、ヘンリー・ミラーとともに、私がはじめて好きになったアメリカの作家で、もっともずいぶん昔のことで、ヘンリー・ミラーはいまでも読み返したりすることがあるが、ロスは『いつわり』とか『背信の日々』以降はほとんど手に取ることもなくなって、結局一番好きなのは『ポートノイの不満』で、いずれの作品にしても共通しているのは、何かはっきりした物語を描くというよりは、ある状況に置かれた自意識の働きを誇張を交えながら饒舌に語っていくことにある。そんなロスが歴史改変ものの小説を書いたことは実はこのドラマではじめて知ったので、原作は読んでいない。

 

 というのも、私の主目的は、デヴィッド・サイモンというこれまたHBOの文句のない傑作『ザ・ワイヤー』のクリエイターであり、このドラマがあまりに良かったので、その前作にあたる『Homidide』やその後の作品である『Treme』まで見ていたからである。もっとも、『Homicide』は警察の殺人課の日常をリアリスティックに描いたものだが、粒子の荒い独特の画面と、あまりに話数が多いので途中で挫折して、再開の機を伺っているところだが、一方『Treme』はカテリーナ台風に直撃され、壊滅状態になったニューオリンズが、音楽を中心としてコミュニティを回復していくといううってかわった話ではあるが、コミュニティ回復とは、それこそ街角に立って演奏することによって角づけをもらっている底辺の音楽家から、ディスクジョッキーや音楽業界があり、町の再建によって利益を得ようとする政治家や不動産屋から、ニューオリンズにおいても少数派であったアメリカ先住民たちが自らの伝統を維持していくための力を取り戻そうとする重層性を見事に描いていて、リアリズムと細心さがちょうどうまい具合に共存していた。

 

 この細心さはこの作品にも充分に用いられており(フィリップ・ロスと共有したものかもしれないが)、例えば、第二次世界大戦に関連する歴史改変ものといえば、フィリップ・K・ディックの『高い城の男』が有名であり、ドイツ、日本などの枢軸国が勝利した世界における恐怖政治が描かれるのが普通なのだが、タイトルバックのニュース映像などを例外として、ドイツ人のユダヤ人に対する暴虐が直接的にあらわれることはない。アイゼンハワーに代わって大統領になるリンドバーグは、妻とは別に、戦争後ドイツ人の愛人を持ち、三人の子供をもうけ、対戦前にはゲーリングから勲章を受けており、妻が政治家の娘であったことから、政治に積極的にコミットしたことは確かであり、アメリカの孤立主義とドイツの政策の支持者として講演して回ったことは歴史上の事実であるが、リンドバーグ自身がドラマの焦点になることはないのである。ドラマの中心はあるユダヤ人家族であり、そこから離れることはない。主人公の義理の姉はユダヤ教の聖職者と夫婦になり、ナチズムの反ユダヤ政策に対する緩衝材として働かされているが、自分の仕事に疑いを持っていない。それは、長女であり、独身でもあったということで、長年母親の面倒を見ていたために、ようやく社会的な活動の場を得られたという喜びも手伝っている。主人公の男は、普段から反ユダヤ的言辞に敏感であり、この対照的な男女を軸にして徐々にキナ臭さが漂ってくる重苦しさを中心にドラマは形づくられる。ユダヤ人ということで特殊でありながらも、それ以外ではごく一般的な市井人が存在しており、アメリカの孤立主義とナチ政権への同調は「アメリカ」というものに反対する陰謀(プロットにはそうした意味もある)でありながら、話を組み立てていく際の段取りとしてのプロットでもあるところが心憎いところで、実際リンドバーグは、ナチ政権と深くコミットする前に退陣し、現実の歴史と同じくトルーマンが大統領に就任するのである。