ケネス・バーク『歴史への姿勢』 31

第四章 素朴資本主義

 

 我々はここで、プロテスタントの否定的で、分離的な特徴がなんとか肯定的なものとなり、古い異常性が新たな規範となる時期にまでたどり着いた。新たな野心を「民主化する」ための長い戦いには、強い経済的衝迫のもと、相当の教導が必要とされた。人々は実体経済に慣れきっていた。彼らが求めるのは、せいぜい満腹と飾り気のない安楽だけだった。それ以上の豊かさは、「怠惰」、芸術、儀式、祝祭でしかなかった。こうした「不道徳な」姿勢は、全精力を雇い主の事業を助けるために費やすよう「教育」されるべきだった。更にそれは、付帯する道徳的価値評価の体系に基づいていた。人がある人間を「よい」と判断する際のつつましやかな性質は、新たな必要とは調和していなかった。

 

 同じような状況は今日の日本に見られ、そこでは、封建主義の社会的規範(身分の重要視が進歩の道徳と衝突している)が事業哲学と適合していない。立派な人間の性質は、いまだに従順と服従を旨とする控えめな態度である。それゆえ、古い価値観を保持する低い身分の者たちは混乱している(心理学的に餓え、「疎外」に直面して拠り所がない)。そして、特権をもった者たちは新たな資源をつかみ取り「堕落している」――古くからの自己抑制に関する言葉は、まったく異なった種類の規範に対する「称讃的覆い」でしかなくなっている。(誰かが「私はこれを社会のため、神の栄光のためにします」と言い、そんなわけはないことを知っているような場合である。「世俗的な祈り」によって差異をつくりだすようなこうした仕掛けは、それを信じているなら感傷的であり、信じていないなら偽善的である。)不適合は、全体として、不適合のいつものあらわれとなり、いっそう攻撃性を募らせる。日本の「ファシズム」は、実際には現代的な装いをした「封建的社会主義」の残存物であるので、この攻撃性はサムライの心理学として組織化され、古来からの権威の統合化の象徴であるミカドへの自己犠牲を要求する。彼自身、外見上は、勃興する工業の指導者たちと力を合わせており、それでいて封建的な、反実業的道徳を後ろ盾にして事業の強大化を行なっているのでそれがますます混乱を生む。この混乱は経済難によってより先鋭化され、素朴な軍国主義者を刺激し、彼らは内部の敵を外的なシンボルとして投影し、その外部の敵、外国の敵対者を「一致して」攻撃するのだが、一方、事業拡大の「論理」は、利益の量的な検証によって、もつれ合った混乱した性質を乗りきる「合理的手引き」を指導者たちに与えるのである。*

 

 

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*ミカドは魔術的で神性をもち、宿命的な代わる者のいない権威の象徴であり、幼児期や子供時代の「前政治的な」時期に形成される根深い家族的な応対に頼っていた西欧封建主義の権威的シンボルのように、信望を集めている。自由主義経済のもと勃興してきた階級は、純粋に封建主義的な枠組みのなかで育った者には、枠組みの限界を「超越」しない限り見ることができない鉱脈を示すことで、彼に有益な新たなヴィジョンを示した。

 西欧の最新の物質装備とともに、日本人は比較的最近と言える我々の法的改良を輸入したと思われる。それゆえ、いま、日本は現代の会社法の一変種を有していると想定される。それが正しければ、資本の配分による協調関係がミカドを助け、すぐにも彼の利害と勃興する工業指導者たちの利害が一致することとなろう。かくして、彼は、ヨーロッパの王政がしばしば示し、時には自分たちの首を代償とする時代の趨勢の致命的な読み間違いをもたらす新時代への多大な抵抗感からは免れているだろう。

 会社同士の協力関係は、封建的支配者と成り上がりの実業家との間の戦いが実業家の勝利に終わった後のヨーロッパだけで完成された。しかし、それが商業主義の勃興をともなって完全な形で導入されると、相当程度ミカドの利害を明らかなものとする――そして、彼は最初から自身を「自由主義者」と見なし、彼らの仕事を促進し、株主として利益を分け合うことになる。エチオピアの皇帝が最終的にはアメリカの石油企業との協力関係を提案できるほど「啓蒙化された」ように、ミカドはその「象徴的遺産」に新たな工業的財産をも加えることができる。