白銀の図書館 18 小説の唄い調子ーー野間宏『肉体は濡れて』(1947年)

 

野間宏作品集〈1〉暗い絵 崩解感覚

野間宏作品集〈1〉暗い絵 崩解感覚

  • 作者:野間 宏
  • 発売日: 1987/11/06
  • メディア: 単行本
 

 

 野間宏はほとんど無縁に過ごした作家のひとりで、大学生のころに『暗い絵』(1946年)を読んだくらいのもので、冒頭からレンブラントの絵画の描写が続くことは覚えていたが、それこそ記憶のなかでは埴谷雄高の小説のように、延々とレンブラントに終始するものだとばかり記憶していたので、今回久しぶりに読み返し、途中から主人公が学生であり、ある集まりから別の集まりへと移動し、議論する話であり、むしろそうした移動と学生仲間のやりとりが大半を占める作品であったので、全く私の記憶違いの話なので、どうこういうことではないが、肩透かしを受けたような気分になった。野間宏本人が書いた「『暗い絵』をめぐって」(1950年)によれば、1930年代中盤から後半にかけて、京都大学学生運動と神戸の人民戦線グループとの橋渡しの役割をしていた野間の、実体験が元になった小説であるらしい。

 

 むしろ私が気になったのは、『暗い絵』ではなくて、『肉体は濡れて』やその続編にあたる『地獄篇第二十八歌』だった。というか、ある意味、途方に暮れてしまった。30年以上前に短編を一つ読んだだけであるほどだから、野間宏についての伝記的な事実についてもなにも知らないが、謹厳実直な人物だという印象をもっていて、この小説は木原始の優子とのキスの場面から始まるのだが、木原は彼女と肉体的に合わないことを感じ、春枝という別の女性と関係をもつが、それも恋愛に達することなく、情欲だけの関係に終わってしまうというゆるい三角関係を描いていて、おそらくはアイロニカルな意図など全く含まれていないと思われるのだが、読んでいてとてもおかしい。

 

 木原始は優子の唇に唇を合わせてじっとしていた。右上の電燈の光を受けて彼の額はうす暗く輝き、彼の顔はまるでその口で優子の顔を宙に引き上げ保っているかのように見えた。木原始は既に自分の意識が強力に働き始めるのを感じていた。彼は自分の意識が優子の唇の触感をじっと見つめているのを感じていた。彼は二人が各自の生命が動かす神経と感覚と奇妙な表現ではあるが肉体の判断力のすべてを、この優しい柔らかい一つの機関に集中して、互いの存在の機密に触れ合い、互いの生存の最も深い意味を明かし合おうとするかのように、互いの唇で相手の生命の方向をさぐり合っているのを感じていた。

 

といった地の文と、

 

 「あたし、あなたにはどうしてもあたしが必要なんだと思ったの。あなたには優しいものが必要なんだと思えて……でないとあなたはきっと滅んでおしまいになるとあたし考えたんですの。」

 

 

 

といった会話がふわふわと進んでいく。落語に「唄い調子」という言葉がある。文字通り唄を唄うかのように軽やかな調子で落語を演じることで、古くは三代目春風亭柳好、より近いところでは古今亭志ん朝などもそうした調子を重んじた人物だといえるだろう。調子を維持するために登場する人物の分析が疎かになり、立川談志などはそうした調子にのみ寄り掛かった落語を批判し、決別していたが、柳好ならここはこうやりますね、などといって同じ調子を再現できるほど愛してもいた。まさにこの小説は「唄い調子」で成り立っているように私には思えたのである。続編である『地獄篇第二十八歌』もまた同じ調子であり、木原はダンテの『神曲』のベアトリーチェに当たる存在を求めているらしく(それがまたとてもおかしい)結末部分には「何ものかが、高く闇の中に赤い灯をかかげてふっている。嫌な醜い姿をした何ものかが、一つの暗い提灯をそこの宙空にふっている。・・・・・・彼は不意とダンテの地獄の一人の亡者の姿を思い起こした。切り離された自分の首に灯をともし提灯のようにぶら下げて歩いている首なし亡者の姿を彼は思い起こした。」とあるが、私は全く同じ状況を描いたものとして、むしろ落語の『首提灯』を思い起こした。