シネマの手触り 11 世界の種子ーーフェルナンド・メイレレス『2人のローマ教皇』(2019年)

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脚本 アンソニー・マクカーラン

撮影 セザール・シャローン

音楽 ブライス・デズナー

出演 アンソニー・ホプキンス

   ジョナサン・プライス

 

 キリスト教徒ではないが、ミッション・スクールに通っていた時期もあったので、賛美歌も歌ったし、はっきりと記憶しているわけではないが、ヘンデルの『メサイヤ』を練習した覚えもある。ちゃんと礼拝堂もあり、クリスマスなどは金色に輝く舞台の上で儀式が行われたように思う。正当な手続きを踏んだ上でそうだったのかどうかはわからないが、カトリック教会的な手順に則ったものと思えた。というのも、大人になってから、あの儀式が懐かしくなって、近くにあったプロテスタント教会のクリスマス・ミサに行ったことがあるが、そこでは全てがカジュアルで、説教までが処世訓じみていて、途中からイライラして、結局教会にはそれから入っていない。規模も中身も歴史的文脈も違うが、江戸時代における官学である儒学と商人を中心に庶民の間に広まった心学との相違に似ているかもしれない。心学の本など滅多に開くことはないが、時々読むようなことがあると、妙にイラッとする。しかし、一般に浸透していたのは、落語などを聞いてもわかるように(最も大概馬鹿にされるが)、心学の方であり、それはプロテスタントにおいても変わらず、訪れる人たちと挨拶を交わし、話をしているさまは、コミュニティにしっかり食い込んでいることを感じさせた。

 

 この映画には対照的な二人の教皇が登場する。一人はアンソニー・ホプキンスが演じるドイツ系のベネディクト16世であり、教会とは俗世間とは隔絶した場所であるべきで、その結果保守的であり、聖職者の妻帯、妊娠中絶、同性愛なども禁止すべきだと考えている。一方、この教皇コンクラーヴェで敗れたジョナサン・プライスが演じるアルゼンチンのフランシスコ枢機卿は、教会を俗世間へと開き、俗世間とともにあるのが教会の真のあり方であり、それを実現するために、積極的にカトリックを改革しようとしている。選挙で敗れた彼は、枢機卿を辞任し、司祭として街中で過ごす機会を伺っている。そして、ベネディクト16世は彼ににとっての教会、その権威と独立性を脅かす存在としてフランシスコ枢機卿を嫌ってもいたし、煙たがってもいた。

 

 辞任を手にした枢機卿はようやく教皇に直接会うことができたが、ときあたかも教皇の秘書が神学生にいたずらをしたり、教皇周辺の秘密文書が暴露されたり、法王庁がごたごたしているところで、二人ははじめて腹蔵なく話しあう。そして、フランシスコは、教皇から、教皇の位というのは原則的にその死によって次の人間に移譲されるものなのだが、自ら退位するつもりだと明かされる。伝統的な法王庁を守るか、改革を選ぶか、信者ではない私にはよくわからないが、少なくともフランシスコが教皇になり、世界各国を回ることによって、経済と資本主義が支配するのではない別の世界が存在することを教えられて、胸のあたりがぞわぞわする。