ケネス・バーク『歴史への姿勢』 37
... シンボリズムの両義性
この問題は、近年ロシアで起こった論争を分析することで例示してみよう。ショスタコヴィッチのオペラ、『ムツェンスク郡のマクベス夫人』に向けられた突然の攻撃を思い起こそう。ショスタコヴィッチは好評を博していた。しかし、このオペラの登場後、しばしば上層部から不満の声が聞こえ始めた。その結果、突然の「バンドワゴン効果」により、すべての批評家が競ってこの作品を非難するようになった。こうした転換は、イデオロギー的な正しさが金銭的な報酬となってはっきりと現れるロシアでは、必然的に強烈なものだった。
文学が、直截に、国家の一機関であるところでは(すべてのものが異なった区分けをされるブルジョア的多元論、「分裂的な」理論とは対照的に)、公的に「正しい」考えは、好ましくない「傾向」に苦しめられることを代償に職に就く傾向がある。ある種の「非政治的な選挙」が行なわれ、内部と外部が入れ替わる。こうした過程はどんな社会でも起こるが、恐らく「統合的な」国家で最も明らかだろう。ブルジョア国家においてそれに対応するものは、人目につかない形ではあるが、「天候を読む目」をもった作家や、それほど機敏ではない「日和見主義者たち」による不釣り合いな特権への警戒に見いだされる。
しかしながら、我々はここで批評家の誠実さを測ろうとしているわけではない。ある作家の<作家>としての誠実さは微妙な問題である。例えば、ドライデンは、ピューリタンが権威をもっていたときに、クロムウェルを讃美することで作家として出発した。王政復古で権威が転換するとともに、彼もアングリカンの君主制に移行した。1685年、ジェイムズ二世が即位すると、再び政策と宗教を繕い、それ以後はローマ・カトッリクの権威に従った。それぞれの変化において彼は屋敷や名誉などの物質的報酬を得たが、国家の転換に従う個人的な転換は、敵対者たちの政策批判に多大な攻撃手段を与えた--そして、物質的報酬とひきかえに第三の政策に固執することとなった。しかし、たとえ彼がもう一度態度を変更したとしても、その文学的経歴を通じて首尾一貫した主張を認める我々は、彼の作品が実質的には「誠実」であると考えることだろう。彼を擁護することに不安を感じているわけではないので(我々の弁護が皮肉に思われてもかまわない)、その「英雄的な対句」、「職人としてのモラル」に一貫して忠実だったと言っておこう。これ以上のことも言えるし、より手短にしてもよかったのだが、次に進もう--というのも我々がここで扱いたいのは問題の別の側面だからである。
部分的には、ソヴィエトの批評家たちの攻撃は、大衆がついていけないほど創意に富み型破りなショスタゴヴィッチの<音楽>に向けられていた。この意味で、彼は大衆の趣味を公的に代表するものとは認められなかった。(ここでも、我々は疑問を差し挟むことができる。音楽家は<専門家>である。専門家として身を捧げる自分の作物についてのモラルは、必然的に、同じように専門化されてはいない者の対応などは越えた場所にあるだろう。少なくとも、音楽家は歯医者と同じ程度専門化されている。しかし、歯医者は、いかに専門化が進んでいるとしても、歯痛を止めることで一般人である患者と「交流する」ことができる。交流の媒体において専門化してるはずの芸術家は、音楽的な一般人と交流できない地点にまで交易地を開発してしまえるのである。)
我々が手に入れることができたのは新聞の偏った記事だけで、そこには微妙な美的問題などは触れられていない。しかし、我々が手にしたものだけでも、「専門家社会における専門家の問題」が、批判的な明確さを代償に軽視されていると見て取れる。しかしながら、これもまた<付随的意見>である。象徴的上部構造に関連して、我々が論議したいと思っているのは、オペラの<プロット>なのである。
このオペラは1860年頃を生きたある種のロシアのエンマ・ボヴァリーを扱っていて、彼女は退屈と「プチブルジョア的な」贅沢を望んだ結果道徳的違反を犯す。ここで、常にエンマ・ボヴァリーは存在するのだと仮定しよう。ある社会構造ではそうした特徴が最大限にまで拡がるかもしれない--しかし、より「効率」は悪いかもしれないが、そうした潜在的な傾向はどんな時代の人々のなかにも存在する。このことを信じることができ、贅沢と恣な幻想が決して完全に「超越される」ものではなく、部分的に乗り越えることしかできないと信じられるなら、社会的な力点は、全体として、より健康的な表現へと向かうことになる。芸術家であってもそうでなくても、ちょっとした卑猥さを誘発する状況が常に生じうると想像できたならば(誘惑の場面でもオーケストラの盛り上がりのように)、ソヴィエトの批評家たちがショスタゴヴィッチの内容に下した解釈とは根本的に異なることとなろう。
というのも、贅沢で淫らな傾向にショスタゴヴィッチが与えた象徴的はけ口よりも「政治的に適切な」ものなど存在しうるのだろうか。彼はいまここにある「プロレタリア」国家に生活する人々を表現するために、1860年に生きた「プチブルジョア」の姿を与えた。このシンボリズムの戦略によって、彼は状況が要求する戦略にできるだけ自分の芸術を適応させたと我々には思える。「生き残っていた」贅沢さはプロットの進行とともに象徴的に罰せられるが、「プロレタリアート」の価値体系は手つかずのまま残されるのである。*最終的には、非常に適切な「超越」も考えだされていて、陰鬱な冬の午後、ボヴァリーとその一党はシベリアの監獄に向けて出発する。連絡船が影のなかに入り、罪人たちによって葬送歌のような歌が歌われ、葬式のような様子は三途の川を渡っているような印象を与える。このように、「悪」は生命を与えられ、殺される。我々の考え方からすると、こうしたことは、芸術の象徴的操作によって「反社会的な」衝動にはけ口が与えられ、社会の規範とこうした規範と個人との間に必然的に生じる不適合が、悲劇的な両義性によって引き締められる様子をあらわしている。†
*1:
* 「党派的な」悲劇と「普遍的な」悲劇とを区別することはできるのだろうか。
普遍的な悲劇では、文体上、尊いスケープゴートはあらゆる人間をあらわしている。その違反において、彼はすべての人間の罪を引き受け、--<彼>に対する罰とは<人類>への懲らしめである。我々は彼の弱さと同一化するが(「哀れみ」を感じる)、罰からは身を離す(「恐怖」を感じる)。しかしながら、<分離>は<結合>と共存する。我々は傍観者ではなく、参加者である。
他方、「党派的な」スケープゴートはサタイアの戦略により近い。その微妙で、最も低い次元でのあらわれは、戦争の心理学においてみられ、各隊はその「サディズム」を他の隊に向けて「投影する」。別の言葉で言うと、各隊は敵に対して「残虐行為」を行なうことでその復讐心を解消する。同様に、「プロパガンダ」詩人は、攻撃に関与することもできれば、反対の立場に置かれたことを想像してそれを否認することもできる。
この区別は、「実際的な行動」と「悲劇的カタルシス」との関係に幾ばくかの光を投げかける。「普遍的」悲劇は人間をひとまとめにして責め、ひとまとめに放免することで、すべてを相殺する。境界を越えてしまうまで「未完了の仕事」は存在しない。経験は完全であり、最終的である。それゆえ、「熟考」が必要とされる。
他方、「党派的」悲劇は、悪を<すべての>人間ではなく、<幾人かの>人間(他の党派)に帰する。それゆえ、攻撃は他の党派に転化され、「浄化」は儀式を<越えた>「行動のプログラム」に委ねられる。つまり、どうにかして他の党派を弱めるような行為をしなければならず、自分たちの魅力を高めねばならない。
この区別は、トーマス・マンの二編の悲劇的な短編、「ヴェニスに死す」と「マリオと魔術師」を比較対照することで例示することができる。前者は悲劇的なスケープゴートの使い方において「普遍的」であり--後者は「党派的な」意味において分離的である。「ヴェニスに死す」においては、著者も読者もそのエロティックな犯罪においてアッシェンバッハと「同一化」するよう求められ、死による罰を受ける。ここには「観客」はいない。「参加者」がいるだけである。
しかし、「マリオと魔術師」では分離が起きる。読者も著者も<観客>であり、妻や子供たちとともに観客席にいる語り手と同一化し、演者であるシッポラが攻撃を行ない、罪をにない(自分がしていることを彼はあからさまに言う)、罰を受けるのを観察している。
マンは、全生涯を芸術的生産に従事することで費やしてきたが、長い間芸術にあるある種の<うさんくささ>に関心を払っている。初期の頃には、こうしたうさんくささに対して全責任を取り、自分の作物の非難すべき側面でさえ同一化する義務を感じていた。しかしながら、新たな政治的観点が戦略の変化を示唆している。「マリオと魔術師」は明らかにファシズムに対する警告である。党派的な重点を置くことで、彼は芸術の非難すべき側面を自分から切り離すことができるようになった。観客である彼は、<ある種の>芸術家である--舞台にいるシッポラは、芸術の<悔い改めるべき>部分がグロテスクに誇張された<別の種類の>芸術家である。
こうした分離のおかげで、シッポラはアッシェンバッハ(彼の犯罪性は、罰せられはしたものの、良心の葛藤という範囲を超えるものではなく、純粋に主観的な良心のとがめの問題である)よりも直截に攻撃される。一方、シッポラは、芸術をある少年の舌を出させるのに使い(あるいは男根であろうか、というのも、物語のなかでその意味の曖昧さについて多くのことが言われている)、別の少年にはキスをさせる(催眠によって<恋人>にキスをするような印象を与えることで)。スケープゴートが死の床についたとき、語り手は、この結末は彼を怖がらせるだけでなく、<自由を与えた>と言う。多分、物語を<越えた>行為が必要とされる(悪はいまや「ファシズム」であるから)儀式の効果は、多大なためらいの後イロニックな動揺を捨て去ったマンの最終的な力を示している(諸党派の間で揺れ動くことをやめ、ある党派に立ち他の党派に対立することになった)。
こうした区別に従えば、キリストの磔は、官僚化の過程において<党派的>にされた<普遍的な>悲劇と考えることができる。即ち、キリストは<すべての者>のために死んだ--しかし、すべてが<信者>ではないので、悲劇は<信者でない者>について「行動」を要求する。かくして、彼を磔にしたユダヤ人は全人類を代表することをやめ、人類の一党派となる。原始的部族では、力を与えらえた者がトーテム動物を殺し、食べることに伴う罪にあらゆることが絡みあっていた。恐らく、「党派的な」スケープゴートの発生は、彼が儀式的に、集団の罪を担い、それを追い払うことからだったと思われる。ここには、強い分離的な要素が認められる。「ホメオパシー」的な両義性が「アロパシー」に移行している(対象となるのが自らの「複製」ではなく「対立物」となった)。
†しかしながら、ショスタゴヴィッチの批判者たちを擁護することとして、「悲劇的な両義性」は「予言的」でもあることをつけ加えるべきだろう。それは単に表現した後に抹消することではあり得ない。後に「制度的具体化」を達成することになる傾向を<推奨する>ための戦略的方法として役立ちもするのである。しかし、芸術の純粋に「衛生学的な」理論が美的な働きを十分に説明するかどうかについては疑問がある。「衛生」という判断基準によって残された芸術が最終的に満足な解決をもたらすのかどうか疑問である。<あらゆる>表現から反社会的な傾向を取り去ってしまうと、象徴的な解放と罰という「カタルシス」が与えられなくなる。「哀れみと恐怖」の代わりに「宣伝文句」(あるいは単純な「讃美」)が置かれることになろう。特に、マルローがコミュニストの枠組みを「悲劇的」と性格づけた事実を鑑みるとき、こうした衛生学が可能かどうか疑問なのである。別の言葉で言えば、ソヴィエトの批評家たちも、別の芸術家がなんとか工夫して、「衛生学」的な詮索を逃れるか、より幸運な戦術を選ぶことで、自らの「犯罪性」を彼らに委ねることができれば、今回は拒絶した同じ象徴的手順を受け入れるのではないかと思われるのである。