断片蒐集 23 伊藤整

 

日本文壇史6 明治思潮の転換期 (講談社文芸文庫)

日本文壇史6 明治思潮の転換期 (講談社文芸文庫)

  • 作者:伊藤 整
  • 発売日: 1995/10/03
  • メディア: 文庫
 

 弟子というのではないが、年下の文学者の友人ということでいえば、寺田寅彦漱石の死後、露伴の自宅を訪れていたし、歌人斎藤茂吉は医者だという面もあったことから、病気で自由に身動きできなくなった露伴一家を支援した。学問上の弟子とはいえないが、その精神的な部分をより直接的に、幸田文青木玉に残せたのだから幸福だった。

 

露伴の弟子

 

 露伴は弟子を持つことを嫌つたが、「新小説」の創刊に関係して信心を募つた前後から、彼の身辺には文士志望の青年たちが少しづつ集つてゐた。最も早く彼に師事したのは無涯中谷哲治郎であつたが、この人は後の僧籍に入つて、次第に著作から遠ざかつた。その次に露伴に弟子入りしたのは、明治二十八年に、結婚した直後の露伴を訪ねてきた土佐の人松魚田村昌新である。田村は明治三十年頃から、「新小説」、「文芸倶楽部」などに小説を書き、新進作家としての地位を得て、露伴との合作「三保物語」を出してゐた。その外、関月米光亀次郎、夕飈藤本軍二郎、新川堀内文麿等が露伴の身辺に集つた。露伴は文壇に君臨するとか、それを支配するとかいふやうな野心を持たず、趣味と学問に隠れるやうな生活を愛したので、彼の身辺に集る弟子たちも、文壇に対しての積極的な態度が足りなかつた。露伴石井研堂、松原廿三階堂、遅塚麗水など、文人風の古いジャーナリストと親交があつたので、その友人や弟子たちと毎月集りを持ち、それに、最好会という名をつけた。以上の人々の外、神谷鶴伴、佐野天声、齋藤素影、卜部観象、村上濁浪といふ青年たちもこの会に加はつた。明治三十五年の春からは日本橋通り一丁目の出版社青木崇山堂の二階で毎月上旬にこの会を開いた。やがて、この会は入会者を制限せず、会費一円で何人の参加をも許すやうになつた。しかし露伴の身辺に集る者は、文壇的には傍流の人間が多かつた。