ケネス・バーク『歴史への姿勢』 38

.. シンボルの追跡

 

 シンボリズムの研究が常に「的はずれ」なものとなり、苛立たしいものであることは認めねばならない。例えば、ある作家が山の生活を語っていると、我々は「彼はなんのことを話しているのだ」と無礼な質問を始める。自動的に、彼が山での生活について語っているわけではない(それ<だけ>を語っているのではないと)と仮定するのである。あるいは、パリの下水について長い章があると、我々は「なぜか」と尋ねる。彼の記述がどれほどリアリスティックなものだろうと、我々はその章の非リアリスティックな解釈に時間を費やさざるを得ない。

 

 その「非リアリスティック」な、あるいは「象徴的な」意味について二つの方法で手がかりを得る。内的な組織を調べ、どういった順序がとられるかに注目することで、その<働き>にあらわになるシンボルの内容を明らかにする。例えば、プロット全体の傾向は、山あるいは下水が、著者が以前に「超越する」ことのできた葛藤の、再生の儀式において重要な<移行>を象徴化していることを示すかもしれない。著者の用いる大筋をつかみ、「隠喩分析」によってこうした詳細を確かめることができる。

 

 「象徴の問題」について広まっている多様な姿勢について考えてみよう。最も単純なのはアレゴリーの素朴な合理主義で、芸術家は意図に合わせて、抽象物の代わりに具体的なシンボルをつくりだす。この種のものは、スペンサーの『妖精の女王』のような、初期の道徳劇に見られ、登場人物が真理、節制、欺瞞、自負等々を意味している。ベン・ジョンソンのユーモア喜劇の典型的役もこうしたアレゴリーの特徴を有している。洗練された王政復古期の喜劇の「リアリズム」にもあって、道徳的属性が「サー・フォップリング・フラッター【落ちつかぬ気取りや】」、「コロネル・バリー【暴れん坊大佐】」、「サー・ジョン・ブルート【ジョン・ブルとの語呂合せ】」、「スクウェアー・スーレン【むっつり従者】」、「スクラブ【ケチなやつ】」(召使い)、「ギベット【絞首台】」(追いはぎ)などの役割で、社会的身分と結びついている。

 

 象徴主義(正規の流派としての)の現代における分派であるシュールレアリスムは、主に諸対象への主観的色づけに関わっており、日常的な経験に行き渡っている秩序を「超越する」秩序の判断基準に従い、シンボルを統合する(かくして、キリコの絵では、遠近法や明暗は歪み、馬と彫像が集められているが、それは、日常の経験から集められたものではなく、画家にとって、それらが同じ情動的意味合いをもっていることによるのである)。

 

 イマジスムは、リアリズムとシュールレアリスムとの中間的段階にある。イマジスト(新たな通り名として「客観主義者」という名称を使うこともある)は対象の「写真的な」属性に最大の注意を払う--しかし、その対象は、「それ以上のもの」があると感じられたからこそ詩人に選び出されるのである。彼は、特別に象徴的意味合いをつけようとはしない。そうした「目に見えない存在」を確信しているわけではない(特に、ホイットマンがデモクラシーのヴィジョンに関してもっていたような完成した解釈の枠組みが欠けている場合)。しかし、対象を扱う際には、その視野の周辺を漂うゆるやかな連想を感じるからこそ、リアリストとしての集中力が高まるのである。I・A・リチャーズが「自由な形象」と呼んだものの切迫と内在を感じている。

 

 ジョイスの後期の地口は、差異に漂う象徴的意味合いや「自由な形象」に従って言葉を作り直そうという試みである。『ユリシーズ』はプロットの機械的な組織化のためにアレゴリーを活用している。つまり、『オデュッセウス』と現代の出来事とを対応させる彼の図式には素朴な合理主義の要素がある。しかし、彼の企図は遙かにアレゴリーを超え、イマジスムの場へ、そして最終的にはシュールレアリスムへと行き着いた。

 

 イマジスムの戦略は、どれほど純粋なリアリズムが望まれたとしても、批評の「統計的な取り組み」がそれを必然的に乗り越えてしまうわけを示唆している。世界は無限の対象を含んでいる。芸術家が手にできるのは、そこから選択したものである。選択に働いているパターン、ある出来事から別の出来事に移行する際のパターンを探り出すやいなや、彼の「社会的属性」(「階級の一員」としての)は、彼の「リアリスティックな個人性」を「超越」していることがわかる。詩人の選択とは、痙攣を抑えられない人間の選択に等しい。ある語が発せられたときには横目で見たり反応するが、他の語に関してはそうではない。痙攣を引き起こす語の種類を見いだせば、その「象徴的体制」が明らかになる。同様に、詩人の選択は痙攣のようなものであり--その体制を発見することは、<そのまま>その象徴的側面を発見することになる。

 

 また、リアリストといえど名詞に形容詞や動詞をつけ加えねばならないことによって、彼は非リアリスト的な地口につながる象徴主義の範疇に含まれることになる。例えば、詩人がAという対象を「厳しい」と言ったとする。あるいは、「なにかでいっぱいだ」と言う(しばしばそう言うし、そう言わないこともある)。彼はまたQという対象についても「厳しい」と言い、「いっぱい」なことを見いだす。Aは一冊の本であり、Qは景色かもしれない。「リアリスティックに言えば」、それらは互いに何の関係もない。いずれにしろ、リアリズムとして<交換可能>なものではない。しかし、両者が「厳しい」あるいは「なにかでいっぱい」のものである限り、交換可能な性質をもっている。それぞれが相手の「象徴的意味合い」あるいは「自由な形象」であるかもしれない。

 

 著者が選択やプロットの進行を工夫するこの象徴的、あるいは非リアリズム的類縁性は、彼の象徴主義の連想のあり方にしばしば明らかになる。例えば、もし彼が<夢中になって>景色のことを書いたとすれば、本のことを語っているのか、景色を本に当てはまる隠喩でもって記していることがわかろう。かくして、数年前、新聞で金本位制についての議論が盛んに行なわれたとき、連邦準備銀行を設立し、その道徳観が明らかに金銭のシンボリズムと絡みあっているのが見て取れるカーター・グラス上院議員が、金本位制についての議論を始め、三節に一回は神の話題が出てくるのを見て楽しんだものである。

 

 以前に述べた通り、進行に見られる不連続性(『寺院の殺人』における詩から散文への転換のような)は、シンボルの意味を追跡する批評家にとって、特に価値のある「手がかり」である。この方法は本質的には分析的評釈のものと考えられるので、更に例を出してみよう。

 

 例えば、A・E・ハウスマンの詩に死の要素を見てとることはごく一般的である。その「象徴的な含み」を判然とさせたいとしよう。先頃、『ニュー・ヨーク・タイムス』で書評されたA・S・F・ゴウによるハウスマンの伝記に手がかりがある。書評子は、ハウスマンが二人の学者について意見を述べた個所を引用している。特に、ハウスマンは次のように書いている。

 

 「実際、ブーシュラー氏が、最初にスーダウ氏の版になるエトナを精読した際には、死が生みだされたときのような罪を感じたに違いない。」

 

 こうした必要のない、ある意味無関係なメタファーこそ特に意義深いと思われる。というのも、それは手近にある主題を突破し、押し入ったものだからである。この侵入し、表現せざるを得なくする力は、その時々の主題よりも幅広い不断の関心から生じているからである。

 

 かくして、この一節は、詩人の死に関する関心には重要な要素として罪の感覚があるという証拠を探すよう我々を促すだろう。そして、「隠喩分析」によって、彼の詩にある特殊な連合(「形象群」)を調べ、我々の仮説が内的組織の証言によって確証されるかどうか学ぶのである。

 

 率直に言って、ハウスマンの詩を通じて、そうした証拠が強く認められることはない。「手がかり」は、追跡してみると、間違いだとわかるかもしれない。そのような場合は廃棄されよう。公平を期すために、わざと検証されなかった仮説を挙げたのである。不連続性に気づくことは、追跡にかかることである。あらかじめ詩的組織をとりあえずの仕方で評価する。形象群による内的証明の裏づけがあったときにのみ、薄弱で疑わしい性質が消える。

 

 こうした推測を書いているときに、『サウザン・レビュー』にR・P・ブラックマーが関連した記事を書いているのに出会った。ブラックマーは、ハウスマンについて、「青年時代からたった一つの感情をしゃにむに、真面目に伝えてきた。自身で言っているように、彼は病を感じたときに書き、結果的には、ほとんど死に近い状態、ほとんどある種の死であり、生とはなんの関わりもない消滅する死を書いた。この種の死の利点は、それを適用すれば、それに対する欲望を導くような義務や条件を帳消しにすることにある。非常に実際的な種類の死であり、我々の時代の青年には非常に一般的な感受性である。二者択一でありかつ復讐であり、それを完成させることは脱出への欲望が弱めることではないと思われる。」不死性が罰の可能性を意味するなら、それはまさしくある種の忘却に思われる。そうした死は、消されることのない罪の感覚に対する完璧な解毒剤である。*

 

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*1:*一般的に言って、儀式の本性についてのこの第三部は、私が後の著作で発展させる主題の発端、あるいは初期の形で、論調が弱い。例えば、動機としての死の十五の変奏については「批評家にとっての死観;死と死ぬことについての簡単な語彙集」(『批評的エッセイ』1952年10月号--近刊の『動機の象徴学』に再録)を参照のこと。