裸の営為ーー幸田露伴『ウッチャリ拾ひ』

 

幸田露伴 (日本幻想文学集成)

幸田露伴 (日本幻想文学集成)

  • 作者:幸田 露伴
  • 発売日: 1991/10/01
  • メディア: ハードカバー
 

 

 埋め立てが大規模におこなわれるようになったのは、江戸時代に入ってからで、日比谷の辺りまで入り江が食い込んでいた。現在の中央区江東区、港区の一部は江戸時代に埋め立てられた。八重洲という地名には海であった由来がはっきりと記されている。私自身は東京湾にはいたって縁が薄く、羽田空港に行くときに目にするくらいなのだが、銀座を歩いていると、時折潮の香りを感じることがある。

 

 このエッセイ風の短編は、初夏の一日舟遊びをして傾きかけた日差しのなかで、風もほとんどないのだが、櫓を動かすのも物憂い船頭が船を潮に任せたまま煙管をぷかぷか燻らせているのを、露伴であるらしい「予」と年下の同乗者らしい「七山生」も咎めるまでもなく心地よさに身を委ねている。

 

 時代劇や落語などの舟遊びは芸者などを引き連れて大川でするもののようだが、といっても江戸落語では貧乏な町人が主役であるから、『あくび指南』でのようにあくびをするための舞台設定ではあっても、実際の芸者を連れた舟遊びなどは幻想のなかにしかなかっただろう。しかし、露伴はそうした遊びにはまったく興味がないようで、気心の知れた船頭と二人で釣りをすることを好んでいた。したがってまた、川に止まらず、海に出ることも多かったようである。このとき釣りをしたのかどうかは文中からははっきりしないが、初夏の心地よい一日に、東京の雑踏から離れることが第一の目的であるように感じられる。

 

 事実、東京湾に浮かび、隅田川の河口に近づきつつある三人の乗った舟はほぼ360度にわたる眺望が広がっている。沖の方には千葉県(安房上総)の山々がぼんやりと薄く見えている。舳の方には、芝、愛宕、高輪、品川、鮫洲、大森、羽田の方まで陸地がだんだんと薄くなっている。洲崎の方には、遊郭の青楼の異様な屋根が龍宮の城のようであり、そこから右手に元八幡の森、疝気稲荷の森、浮田長島の方の陸地が断続して見える。

 

 月島に近づくと、東京の海は非常に洲が多いことに気づく。澪筋を除くとことごとく洲だと言ってもいい。東には三枚洲、出洲、相の洲、西には天王洲、そして隅田川河口近くの川洲。そして、洲は様々なものが流れ着く場所でもあり、ウッチャリ拾いが活動する場所でもある。煮しめたように元が何色かわからないボロを着て、石炭担ぎのザルのようなものをもち、箱のようなものを水面に浮かせ、猫の死骸や、骸骨になりかかった犬の頭、欠けた茶碗や徳利、歯のおれた櫛、折れた簪、金具の取れかかったがま口、火鉢の破片、口のない土瓶、ブリキの便器、得体の知れないものが包まれた油紙などが集まったところにザルを突っ込み、水気を切って、売れそうなものを選り分けるのである。人がうっちゃったものを拾う、つまりはゴミ拾いなのだが、露伴はそれを「をかしみ」のある「豪気な事業」だという。

 

其の神聖なる労働は空しく海中に棄つて仕舞ふべきものを取り上げて、復び人間の用に供するのである。天の力、地の力、意の力、智の力、技術の力、筋肉の力、此等の尊ぶべき力より生じた物が無茶苦茶に棄てられて仕舞はうとするのを、ドッコイと半途で喰ひ留めて復人間の世のものにするのは、物質と非物質との差違こそあれ、可惜尊い魂魄を懐きながら地獄の搗臼の屑になつて仕舞はうとする凡夫を愍んで、大慈大悲の本願から聖賢権者が泣いたり笑つたり泥塗れ砂塗れになつて其を喰ひ止め拾ひ取つて、ドッコイ地獄へは遣るまい、本土へ帰れ帰れと大骨折をなさるのと酷く肖て居るのである。

 

 

 乞食のなかに聖者を見た聖フランチェスコのようなものだが、宗教的になるまでもなく、平俗な場面で人間の営為をこうして裸で見ることのできる精神を私は心の底から尊敬する。断捨離などという輩には、私もいっぱしに、糞を喰らって西へ飛べ毒づきもするのだが、そんな一方で、物でダブついた生活をしている自分が実にみっともない。