ケネス・バーク『歴史への姿勢』 45

... 架橋の装置 Bridging Device

 

 象徴的構造物によって人は闘争を「超越する」。かくして、アクイナスの哲学的枠組みは、現状を維持し正当化する理論によって、農奴と貴族とを架橋した。権威は慣習に根づいている。身分の相違は慣習によって確立されていた。この慣習の体制は、人間の堕落への罰として神によって定められた(それゆえ、政府、財産、奴隷は自然法による不可避なものである)。ブルジョアジーは、あらゆる人間がブルジョアだと考えることによって身分の相違を「超越する」。マルクス主義者は、闘争を認識し、未来の「階級のない社会」に「架橋する」歴史哲学によって「超越する」ことを提案する。

 

 額面通りに受けとることができないこともあり、その他数多くの要素と「交錯」しているにしても(ある人間が「自由」と言うとき、資本主義者としての所有の権利を意味しているのに、他の者は同じ言葉で社会主義を意味することもある)、「象徴的統合」はすべて「架橋の装置」だということができる。敵対者の発言を「割り引いて」使うことで、概念的な架橋の装置とすることもある。あるものが線の上にないときに、それを動かすことなく線を引くこともできるし、見る角度を変えることで線上に乗せることもできよう。

 

 最近、こうした戦略の腹立たしい例を眼にした。ある男が新聞広告の堕落を示す本を書いた。新聞の書評家はそれを高く評価した。それによって彼は自分のモラルと実状との不和を「架橋した」のである。「結局、この事実によっても、この新聞で宣伝されたものだけを信用すべきだというのがおわかりでしょう。」