ベアトリーチェの喩えーー「女の論理」(花田清輝『復興期の精神』所収)

 

復興期の精神 (講談社文芸文庫)

復興期の精神 (講談社文芸文庫)

 

 

 

神曲【完全版】

神曲【完全版】

  • 作者:ダンテ
  • 発売日: 2010/08/26
  • メディア: 単行本
 

 

 ダンテが同い年のベアトリーチェにはじめて出会ったのは9歳のとき、春の祭りにおいてであった。一眼見て魂を奪われたかのようになったという。それから、18歳のときに再会し、恋心を燃やしたというが、特に懇ろに語りあったわけではなく、すれ違ったときに会釈されただけのことで、ベアトリーチェがダンテという個人を認めていたのかさえ疑わしい。その後、ベアトリーチェは銀行家と結婚し、数人の子供をもうけて、25歳の若さで死んでしまった。したがって、ダンテにとってベアトリーチェの存在は、世紀末文学からフィルム・ノワールまであまた登場した淫婦や毒婦とややもすれば隣りあわせの存在である運命の女からは遥かに遠く、宮廷で挨拶を頂戴し、忠誠を誓うロマンスにおける騎士とお姫様の間柄よりもあわあわしている。といって、それをプラトニックな恋慕だともいえないのは、衝撃的な死の知らせを受けてから十年間というもの、ダンテは自堕落な放蕩生活を送ったからである。ラテン文学の古典に親しんだダンテは、そのデカダンスを知らないわけはなく、酒池肉林とはいわないまでも、愛の詩人の求愛が受け入れられることは古典においてもロマンスにおいても、それほど珍しいことではない。実際、『神曲』のベアトリーチェは、

 

一時は私が私の表情で彼を支えました、

 若々しい目を彼に向けて

 私は彼を導いて正道を進みました。

しかし私は、第二の齢の声を聞いた時、

 世を変えました、

 すると彼は私を捨て、よそ人の許へ走ったのです。

私が肉体を離れ魂となって天へ昇り

 美も徳も私のうちに増してきた時、

 彼は私をもはや愛さず、私を喜びとせず、

およそ約束を果たしたためしのない

 善の虚像を追いかけて

 正道を捨てました。

 

 

とまんざら他人とも思えない調子でダンテを責め立てる。

 

 『復興期の精神』はダンテについてのエッセイで始まり、そのエッセイは、「三十歳になるまで女のほんとうの顔を描きだすことはできない」というバルザックの言葉から書きだされている、というといかにもバルザックは世間知において優れていて、一眼会ったくらいのベアトリーチェにすっかり心を奪われてしまったダンテは世間知らずであるようだが、所詮バルザックの知は人間に限定されており、ダンテのように人間以上の観念に届くことはない。ダンテのベアトリーチェに対する関心は、「フィレンツェの女としてではなく、むしろ神学の化身としてであった」のである。煉獄から天国へとダンテを導くのはベアトリーチェである。

 

 女のほんとうの顔を探るのに、心理学や生理に頼らない以上、参照にすべきはより一般的な、人間以上の観念に関わる論理にしくはない。このエッセイが「女の理論」と命名されている所以である。ところで一般的に女性は論理的ではない、抽象的なものを理解する力に欠けているといわれる。その上、本来論理は中性的なものであって、「女の論理」と限定するときには貶下的な意味合いをもたされることが多い。女性の話では真理などどうでもよく、相手の同意を得ることの方が大事である。端的にいって、女性の論理とは男性哲学者たちが営々と築き上げてきた哲学的論理学ではなく、修辞学なのである。しかし、論理学が物事のかくなる所以を示すものであるなら、自己完結してきたいわゆる論理学よりも、常に他者を相手にして説得してきた修辞学者の方が論理をより柔軟に捉えていることになろう。ベアトリーチェはスコラ哲学によって膠着したキリスト教神学を「永遠の女性」による叱責と寛恕に置き換えたのだとも言える。そもそもイエス・キリストその人が、いわゆる形式的な論理ではなく、他者を説得するために、例えをもって語った人であった。