ケネス・バーク『歴史への姿勢』 48

... 結合群 Clusters

 

 どの主題の結合群がどの主題の結合群と結びつくかに注意することで、意味作用が理解される(aという主題に集中するときいつも詩人はb、c、dというイメージを導入する)。その素晴らしい例は、キャロライン・スパージョンによるシェイクスピアの形象の図式化によって与えられる。

 

 政府による地学的な測量のように、心のなかの丘や谷を調査することで、結合群の図式化がなされるだろうが、それは歴史に対して極めて重大な影響を与える。例えば、ある種の人間が非常に大衆的な偶像になるかもしれない。しかし、そのことは、彼の大衆性が大統領の良き候補者となりうる結合群にあることを必然的に意味するわけではない。大統領への選出を絶対に許さないような結合群であるかもしれない。

 

 ユーモリストのウィル・ロジャースは大衆的なアイドルだが、反大統領的な結合群にある。党大会で大統領の予備選が投票されるとき、ある議員団がウィル・ロジャースを候補者として立てることになったとき、状況の逆説性は明らかになる。この動きは彼らがまだ誰を支持すべきか決心していないということをその浮かれた調子にあらわしている。結局、こう言っているのである、「我々はウィル・ロジャースが好きだ、そして、投票の成り行きは好ましくない、そこで我々は彼が好きであることと大統領候補への不信を同時に示しているのである。彼は大統領的な結合群にはいないわけだから、我々のジョークを誤解される恐れなく候補者としてあげることができたのである」と。

 

 結合群を整理することで、「象徴的合併」に含まれる重要な構成要素の手がかりを得る。著者の「公的な外観」の下にある嘘が不可能なレベルをあらわにする。もしある人間の高潔な性格が冴えないものであり、邪悪なことについては精力的なら、彼の<芸術>は「公的な外観」にもかかわらず、邪悪なものに投じられている。もしある人間が<栄光>について冴えない語り方をし、<荒廃>の形象については素晴らしい用い方をするなら、彼の<真の主題>は荒廃にある。

 

 結合群を見取り図にすることで、詩の総合は論証にとっては大事な「排中律の法則」をいかに徹底的に避けようとするかが明らかになる。「容器」としてのシンボルは、論理的に対立するものを容易に結びつけることができる。同じシンボルが両親、子供、妻、職歴、約束、恐れの意味を含むこともあり得る。性的喜びと去勢が、撤退と攻撃の両方が含まれることもあり得る。多分、秘密のうちに「超越」によって対立物の合併を成し遂げるまでは、「容器」として完全ではないのであろう。