断片蒐集 44 江藤淳/リア王と仙人
「愛」や「倫理」は虚構であるかもしれないが、少なくとも西欧においては、言葉と同じく意識を持つ人間にとって切り離すことのできないものとしてある。俗世を離れる、つまり言葉と他者からことを辞さない仙人にとっては、愛や言葉は素顔を隠す仮面でしかな
リアがこの半裸の乞食に対して着衣を投げ与えるのは、「自然」のみにくさに耐え兼ねた反射的な行為である。つまり、「愛」とか「倫理」とかは、この行為を出発点としている。しかし漱石は、おそらくこのトムと同様のボロをまとった「寒山拾得」に「笑而不答心自閑」の趣き以外のものを見ようとはしない。トムの食料は「鼠や二十日鼠やそういった獣」である。が、寒山拾得は大方霞を喰っている。何故なら、トムにとっての自然とはひとつの巨大なactualityであるのに、これら伝統的な仙人にとっての自然とは「無」の表徴にすぎないから。漱石の、更にわれわれ日本人の自然観の特性はここに明瞭に表れていると思われる。