断片蒐集 45 エイヤー/まがいものの世界のなかで

 

言語・真理・論理

言語・真理・論理

 

 こうした論理実証主義的な考え方には現在ではほとんど興味はないが、あくまで原理、原則を見出そうという姿勢には敬意を感じる。

意味のある文章

 

我々は、次のような場合、そしてただこの場合にのみ、文章は、任意の人間に対し、実際に意味を持ちうるものとする。その場合というのは、その人間が、その文章の表現しようとしている命題を検証する方法を知っている場合、いいかえれば、一定の条件の下において、どんな観察をしたら、その命題を真なりとしてうけいれることが、あるいは、逆に偽なりとしてしりぞけることが出来るか、を彼が知っている場合である。もし反対に、想定されている命題が真であると仮定してもあるいは偽であると仮定してもそのいずれの仮定も、彼の未来の経験の性質についての如何なる仮定とも両立するものであるようなものならば、それは、彼に関する限り、同語反復でなければ、単にまがいものの命題であるにすぎない。このまがいものの命題を表現する文章は、彼にとって、情緒的には意味があるかも知れないが、字義上からは無意味である。