断片蒐集 48 マイケル・エイヤー/概念ー経験論
ロックが経験論の始祖とされ、教義上はまったく異なるデカルトと対話(現実にというか思想的に)することができた理由がわかる。
経験論から概念—経験論への移行
ロックの認識論が早くに発展を遂げているなら、それはエピキュロスに帰せられ、十七世紀には早くにピエール・ガッサンディによって説かれた経験論から、概念—経験論といういくつかの点で経験論に対立する理論を組み合わせたものに移行したと言える。我々に伝わり、ガッサンディが提示し、発展させたエピクロスの認識論では、我々の言葉に意味を与える概念を感覚を通じて得ることと、理知と科学の出発点となる定義や公準を形作る命題的な知識を得ることとがはっきり区別されていないように思われる。どちらも、個別的なものを繰り返し経験することで得られると思われる。それゆえ、ガッサンディは我々の知識はすべて知覚的な知識に依り、「普遍的な命題からくる明証や確実性はすべて個別的な例からの帰納によっている」と主張することができた。他方、ロックは、その後期の思想に至り、観念の獲得と知識や信念の獲得との相違、帰納と普遍的、あるいは抽象的観念との相違により重きを置くようになって、知覚的な知識とは異なり、それとは独立したアプリオリな普遍的知識のことを考えることができるようになった。かくして、彼は、必然的な真理の直感的な理解を確実な知識の範例とするデカルトや、デカルトとガッサンディ双方の友人であるマラン・メルセンヌのような哲学者に同意することができた。もちろん、ガッサンディのように、彼は、デカルトはよりもずっと感覚に重要な役割を、すべての観念の源泉、知識の「材料」であり、「直接的な対象」であるばかりでなく、いかなる推論からも独立した個物の存在の「感覚的知識」の源泉としての役割を与え続けた。だが、ガッサンディとは異なり、またメルセンヌに同じく、彼は「感覚による知識」が最高度の「明証」よりも低いことを認めたのである。