ケネス・バーク『歴史への姿勢』 84

 

. 後記 『歴史への姿勢』:懐古的眺望

 

 『反対陳述』のヘルメス版で加えた「批評教程」のなかで、『恒久性と変化』の姉妹編であるこの『歴史への姿勢』は、正確に言うと続編ではなく、ある点で、その早い時期における修正だと注釈した。『恒久性と変化』はもともとは三部作となる予定であり、トーマス・S・クーンによって『科学革命の構造』で提案され、後に多くの社会学者によって使われるようになった「パラダイム」という考え方に大まかな方向で一致していた。私は『恒久性と変化』が始まり、中間、終わりをもち、それぞれが定位、脱定位、再定位に対応すると考えていた。だが、最近になって考え直してみると、中間の部分で提示された「不調和による遠近法」の原理は解決されないどころか、終わりになるとより強力になっていることがわかった。かくして、再定位と呼ばれていた第三段階は、より正確には第二段階の<革新的な>発展をしるしづける<不安定化>に向う発展の続きとして特徴づけることが可能である。不調和による遠近法というスタイルは、新たな厳正さ、「現状突破」、単なる不正確さ、遊戯的な「奇想」など様々に見て取ることができるという事実が状況をより複雑なものとした。

 

 当時は気づかなかったが、『歴史への姿勢』の中心となっている第五部の「[西洋の]歴史の曲線」は、私が『恒久性と変化』を始め-中間-終わりという構造をもつものではなく、永久に続くテクノロジーの変化に直面し続けるものとして考え始めていたことを明らかにしている。曲線は「新興の」、ある種の「集団主義」で終わっているが、それが問題の多いものであることは、まさしくそのページ(160)で、こうした集団主義は、現代の経済学者たちによってそれこそ鋭い「不調和による遠近法」によって提示された高度にアイロニカルな「喪失の社会化」――それは他の種類の「社会化」を考えることが困難になっていくに従い「自然なもの」とされる――と同じく、「裏門から」入ってきたものかもしれない可能性を考慮に入れて五つの段階をあげている。

 

 『恒久性と変化』で示された「類推的拡張」の原理は、『歴史への姿勢』では「決疑論的濫用」の名で変奏された。一冊目では、不調和による遠近法という純粋に名辞としてあるものが一般的に導入され、それが<数多くの>装いのもとあらわれたが、『歴史への姿勢』ではそれを「想像的なものの<官僚化>」という<一つの>姿でとらえた。しかし、特殊な社会的経済的<集団>の名である「官僚」から構造的な<過程>についての広範囲にわたる一般的な名である「官僚化」へと進むことは、この本の最初の判に付されていた序のviiページの挿話でリンコルン・ステファンが「組織する」という語に与えたような「個人的見解」をつけ加えることになる。また、「官僚化」が新たな緊急事態のためになされたテクノロジーの革新と結びつくものである限り、この語は歴史的発展の「最後」である「新興」の段階の<開放性>を主張しており、この点において、私が結果的に突き止め一冊目で計画したつもりの三幅対の未完結性との平行関係を導入する(そこで仮定された新たな<秩序>は、より正確には、第二段階を印づける文化的な<不安定性>から修正された、連続していると特徴づけることができる)。

 

 個人的見解としては、状況は次のように整ったと思われる。人間という動物の象徴性を用いた特殊な腕前は、二種類の遠近法を形づくる。ひとつは、<パーソナリティ>の原理の中心にある広範囲で複雑な社会的関係、所有権、権威を取りまくものである。もう一つは、テクノロジーによる<諸道具>の発展に従って生活の条件(自然における原始的な状態から始まった)が変容することから始まる。二つの遠近法は(一つは<教説として>超自然の神話にまで達し、他方は自然に対抗する永遠に「新興」であり続ける<テクノロジーの>領域での充足を目指す)様々な場所で争っている。

 

 ニーチェが自ら主張した<遠近法主義>は(殆ど強迫的なまでに、それゆえ受難となるまでに「すべての価値の再評価」に身を献げた)、根本的なところで分岐するこうした終末論のまさしく中心にあり、それに対応した、「不調和による遠近法」と呼べる一連の名人技的<スタイル>による名称の衝突も含まれている。それゆえ、それは道具の革新とそれに応じた個人的諸関係の領域における調整の双方の領域において、更なる「官僚化」の可能性と同じくらい開放的である。つまり、ニーチェのもつれ合った姿勢の変化には(伝統的で、人格性に寄りかかった)超自然の遠近法を捨て去る「{テクノロジー的、道具的、人工的}力への意志」が含まれている。しかし、そのような場合であっても、超人の名のもと新たな人格性の原理を導入することによって事態は完結するのである。そして、永劫回帰説は、彼の弁証法的作戦行動にワグナーオペラの華やかさを与える神話的虚構である。

 

 ここでは私も混乱を免れ得ない。というのも、ニーチェを代表的な人物とすることで、私は、彼の超人はある意味では彼が根本において対峙していたまさしくその状況には不適合であり、また別の意味ではまさしくそうした理由によりあらゆる場合によりよくあてはまるのだという逆説的な立場にいることを認めざるを得ないからである。

 

 既に述べたように、姿勢としては、二つの遠近法(<人格を中心におくもの>と<道具を中心におくもの>)は争い合っている。テクノロジーが身体の行動を電気・科学的なメカニズムとして正確に測定する道具を完成し、「象徴性」の領域における表現やコミュニケーションの段階に対応する生理的な過程を徹底的に識別したとしても、二つの秩序の平行関係の記録そのものがその相違に対する意識を目立たせることになろう。一方には生まれつき一<人格>として、個人として様々なことを感じ取る者がおり、他方には、同じ個人でありながら、単なる<生物学的な有機体>であり、グラフやメーターや「放射能分析」などで「解剖し」、識別するための実験的臨床的に適切な装置をテクノロジーが発明する限りにおいてその行動が定義される。

 

 もし我々が劇の展開に対する観衆の共感に満ちた個人的反応を「美的なもの」と呼ぶなら、それに伴う身体的な反応(血圧、体温、呼吸、心拍の変化など)を機械的に測定する「検知器」を使うことは「美的に麻痺したもの」と言えるだろう。思うに、この「美的麻痺」には、実際に愛する誰かを喪失して涙を流す人物の身体的行動とそうした喪失を模倣した虚構や劇を見て共感して観客として泣く(アリストテレスが語るところによれば、観客に「悲劇的快楽」を与える経験)人物の身体的行動とを区別するための別の工夫が必要だろう。個人的な領域と道具で測定される領域との相互関係は、二つの正反対の取り組み方を許すように思われる。「美的に言えば」、象徴的行動によって、劇は観客にそれに応じた行動によって反応する姿勢を引き起こすことができる。或いは「美的麻痺から言えば」、※薬によって場面に応じた姿勢と生理的反応を身体に生みだすことができる。「心因性の病」という概念は、患者の姿勢の取り方が心理学的にも類似しているという見込みを示唆している。

 

 

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*1:

※私は劇に応じて観客があらわす<個人的な>種類の反応と、空調設備の「検知器」が示すような純粋に機械的な反応を区別しようとして用いた言葉をそのまま残している。そうした機械の行なう識別は劇場の温度や空気の状態に関わっていて、観客が反応する劇の内容とはまったく関わりをもたない。私は「麻痺的」、「非美的」、「反美的」とそれぞれ試してみたが、「検知器」は観客が呼吸の変化といった身体的な結果で反応する物語についてまったく無関心だというのに、いずれも<それぞれのやり方で>物語を識別してしまっている――そして、これらの形容詞にはそうした意味合いは欠けているのである。

 アリストテレスの「悲劇的快」という表現が私に必要な手がかりを与えてくれた。彼の二つの著作に付された表題、『自然学』と『形而上学』と同じように、<個人的な美的経験>の識別は、(おとなしい造語の導入によって)<道具によるメタ美学>による識別とと対にすることができる。劇の内容は象徴的行動の領域にある。空気の状態(空調設備の検知器が「メタ美的に」測定する)非象徴的な運動の領域にある。観客となるメンバーは「複合的な」存在であり、非象徴的な運動の領域にある生理学的な組織である身体として振るまい、劇場の純粋に物理的な条件を変えるとともに、劇の「筋」に対して象徴的に反応するのである。観客が人間の行動の「模倣」と解釈する光と音の振動は、それ自体は劇の内容(その識別)には無感覚であり、「検知器」がそうであるように、道具の側にある。言語を習得した身体としての観客だけが、これら二つの領域を一緒にする。『歴史への姿勢』では「上方へ向けての超越」と「下方へ向けての超越」について語っている。恐らく、私の「メタ美的」という語は、遅きに失した「脇道に向けての超越」とでも言えるものであり、メーターのように様々な叫びを表示することはできるが、音を生じさせる空気の振動を越えた個人的な感情には関わりをもたないのである。