残酷な対価ーーイ・チャンドン『バーニング 劇場版』

 

バーニング 劇場版(字幕版)

バーニング 劇場版(字幕版)

  • 発売日: 2019/08/07
  • メディア: Prime Video
 

 

 元日にイ・チャンドンの『バーニング 劇場版』(2018年)をみる。イ・チャンドンは『シークレット・サンシャイン』(2007年)以来で、この映画は非常に面白かったのだが、見直す機会がないままに何年も過ぎてしまった。少し前までは、ミニ・シアターでしかかからないような映画は、アマゾンやネットフリックスではなかなかラインアップに上がることがなく、したがってDVDをみる機会も多かったのだが、アマゾンに大島渚寺山修司まで上がるようになり、ネットフリックスでは、オーソン・ウェルズの『市民ケーン』に通暁していなくては面白さの半分も伝わらないであろう、もちろん、モノクロの映像自体はそれだけで十分魅力的で、私のようにごく表面的な知識しかないものにとっても、『市民ケーン』の謎だとされていたローズ・バッドのありうる一つの意味が明かされるだけでもありがたいものであるデヴィッド・フィンチャーの『マンク』(2020年)があり、アーサー・ペンの『俺たちに明日はない』(1967年)のボニーとクライドの逃避行を追跡する側から描いたジョン・リー・ハンコックの『ザ・テキサス・レンジャーズ』(2019年)は、クリント・イーストウッドでおそらくは尽きてしまったかつての西部劇でしかお目にかかることのできないアメリカの原風景とも言える荒野の広がりが堪能できるし、あれ、結構自分はケヴィン・コスナーが好きなんだな、と自覚された映画でもあって、コスナーが主演して、イーストウッドが脇にまわったクリント・イーストウッド監督の『パーフェクト・ワールド』(1993年)も大好きだし、コスナー自身が監督した『ダンス・ウィズ・ウルブス』(1990年)などは最後まで見たかどうかも判然としないくらいつまらなかったが、散々な悪評だらけだったケヴィン・レイノルズの『ウォーターワールド』(1995年)は面白かったと記憶しているのだが、再見しているわけではないのでさほど自信があるわけではないが、それはともかく、そんなわけで最近はサブスプリクション関連の作品を見るのに忙しくてDVDを見る機会が少なくなったということを言いたかっただけなのである。

 

 今回イ・チャンドンのプロフィールを見て一番びっくりしたのは、もう60歳を過ぎているということで、なぜかずっと若い監督だと思い込んでいた。原作者である村上春樹よりは5年くらい年少だということになるが、ある種の同時代的感覚を持ち合わせているのかもしれない。村上春樹の「納屋を焼く」(1983年)は読んだと思うが、内容はまったく覚えておらず、元来原作と映画と比較することには意味がないと思っているが、生における情動の体験の総量としてイ・チャンドンの映画のほうがずっと充実したものに違いない。

 

 イ・ジョンス(ユ・アイン)とシン・ヘミ(チョン・ジョンソ)は出身地を同じくする幼馴染で、ふとしたことから再会し、セックスもするのだが、ジョンスにはヘミが恋人だといっていいのかよくわからない。イ・ジョンスは牧畜業者の息子なのだが、すでに牛は一頭しかおらず、父親は暴力事件で裁判を受けており、家業を行うもののいないなかで、自分自身は小説家を志望しているのだが、一頭の牛の世話をするために定期的に地元に帰る生活をしている。そんななか、ヘミは念願であったというアフリカ旅行に旅立ち、帰ってきた彼女を空港に迎えに行くと、現地で知り合ったというベン(スティーヴン・ユァン)と連れ立っている。ベンはポルシェに乗り、職業を問うと、遊びですよ、と答えるような人間であり、ジョンスとヘミとベンによる三角関係になるのだが、あるいはそれはジョンスの思い込みに過ぎないのかもしれない。ベンは自ら「友人たち」として紹介するものたちとのパーティーでもあくびをかみ殺すことができないような生に退屈しきった人間とも思えるからである。ベンはジョンスとの二人だけの会話のなかで、ビニールハウスを焼くのが趣味なのだと語る。ジョンスは気になって周辺のビニールハウスを見回るようになる。しばらくしてベンにその趣味のことを聞くと、最近もあなたの近くのビニールハウスを焼きましたよ、と答える。ジョンスはその痕跡を探し回るが見つからない。そして同じ時期、ヘミの姿がふっつりと消えてしまう。

 

 ベンは典型的なヤッピーとみることもでき、それゆえ『アメリカン・サイコ』的な話だと考えられなくもないのだが、ヤッピー的な上昇志向やそこからの病的な逸脱とはまったく異なり、ベンの立ち居振る舞いは完璧なまでのエレガンスさで統一されており、ある種精霊的にも思える。しかも、ベンの消毒され尽くしたかのような部屋とは対照的に殺風景に散らばったジョンスの家で三人が集まり、夕暮れを見やる時間と、幸せな日ってあるんだなあ、という言葉はベンが加わることによってしか訪れず、ベンをも充足させているように思えるし、もちろん、観客である我々に共有されるほど情動が充溢しており、あるいは平岡正明の名言、「思想は変えられるが、趣味は絶対だ」というある領域に、盲目的な恋のために足を踏み入れてしまったジョンスに残酷な対価が払われたのかもしれない。