ケネス・・バーク『歴史への姿勢』 88

 『歴史への姿勢』の喜劇的枠組みに関する企図の多くは、そうした安売り、または叩き売りとさえ言えるもののなかでくつろぐことになろう。しかしまた、不調和な遠近法、「想像的なものの官僚化」を巡って「放射される」この本の「中枢語」とともに、企図にあった弁証法はそのときに明らかであったものよりも、より広い「終末論的な」含意の原理を導入した。実際、官僚化の過程が対抗自然の指数関数的な曲線と同じことをあらわしている限り、人間の歴史の現世的な<目的>は、我々の<いまの>苦境において<既に>あらわになっているとさえ考えられる――特にこのことは、テクノロジーはより以上のテクノロジーによる以外には、批評も支配も矯正もできないという事実によっている。更に更に次の「世代の」考案物を生産していく「機会」はそうせざるを得ない<強迫>と区別することはできない。従って、このように拡張された官僚化の概念(或は、観念と言う哲学者もいるだろうが)は、我々自身がつくった諸道具(しばしば悪魔がつくったように精巧な)によって既に定められた運命の概略なのである。

 

 後の考察によって問題は修正され、私が「二重の起源」と呼ぶものに焦点があてられることになった。例えば、精神分析に「抑圧されたものの回帰」という概念があり、それによれば、人格に関わる問題が原因となって、抑圧されたものが回り道を通って表現されるという。しかし、少しでも言語を使おうとすれば必要となる<注意>に関わる、純粋に技術的な種類の抑圧も存在する。というのも、なにかに<注意を向ける>過程には、人の注意を引こうとする他のものの主張を<排除する>ことが含まれているからである。しかし、抑圧を引き起こすのが注意による<技術的な>ものであろうと、<心理学的な>要因によるものであろうと、抑圧された要素は迂回路を通って表現されることが可能である。

 

 こうした分析の結果、純粋に「個人的な」苦境と結びつく抑圧があることも認められることを私の専門分野で告白しよう。例えば、私の「アトランティス」のソネットについての注釈(『象徴的行動としての言語』229-230ページ)を見て欲しいが、そこでは「古代の島」が「内奥の音楽」と等しいものとされている。それは詩人の「そこにあれ」であり、「創造的な」命令であろう(「そして存在した」は、始めにあった<方程式>の<含意>を追求することによって「魔術的法規」、その「弁証法」を発展させる)。しかし、こうした含意は、私が実際には身体的過程を「正常な」或は「正当な」ものとは言えないまでに「威厳をつけよう」としたので、慎重に意図されたものとはならず、「抑圧」された。(『無意識の心理学』でユングは、「大ムガル帝国の伝統的な糞便」や「キリスト教の騎士が、自ら力を得るために、教皇や司教の排泄物で聖別を受けるという・・・東洋の物語」を例にとって、「肛門領域が崇拝と非常に密接に関係し合う」事例を体系的に論じている。或は、トイレの椅子を「玉座」と言う民衆的な冗談を使うアリストファネスのスタイルにも同じ連想が認められる。)この詩のグロテスクな側面は「抑圧されたものの回帰」をあらわしているだろう。それは「新聞編集者の祈り」である「合理的な罵倒」、「イエロー」ジャーナリズムという観念にまつわる洒落と比べられる(「衛生のため/一度使ったら捨てましょう」と言われる印刷物)。

 

 しかし、これらの著作に個人的な意味での「抑圧」の痕跡を認めることができるとはいうものの、まったく異なる、私にとっては圧倒されんばかりの純粋に「ロゴロジカルな」種類の「抑圧されたものの回帰」が存在し、それは『恒久性と変化』と『歴史への姿勢』が両方とも相当即興的につくられたという事実に根ざしている。というのも、私はあらかじめ決め完成された概略に従って仕事をしたわけではなかったからである。むしろ、書いていく過程で、各段階はそれ以前の段階に含まれていた示唆を見いだすことによってできあがった。そして、私にとっては選んでもいい含意や放射が常に一つ以上はあったので、他の可能性を「抑圧した」一つの意味が残っているわけである。

 

 同じ題材に立ち戻ってみると、恐らく間に挟まった経験のためもあるだろうが、各論点についてそのときは言わなかったがいまつけ加えたいと思う困惑するほど雑然とした考察を見いだした。その上、私の「記憶」の多くは、過去から来たものではなく、観念やイメージでさえもが変容していく様々な道筋を含んでいた――かくして、より決定的に「位置づけ」るためにすべてを再び書き直そうとするまでは、私が「思いだす」ことには後の発展も含まれていたのである。

 

 『恒久性と変化』の将来を見越した回顧のなかで、私は(原理的に)雪に埋もれていながらうなりを上げる焦熱地獄をなんとかしなければならないのだと告白した。(そこからなんとかして「抜けだす」べきだった。)そのころ、ニューヨークで輸送機関のストライキがあった。そして、新聞記者が私の困惑を適切に名づけてくれる必要としていた言葉を与えてくれた、「交通網機能不全」である。だが、それでもある面では間違っている。「交通網機能不全」は車が前にも後ろにも横にも行けない交通渋滞を意味しているが、私はどの方向であろうと進んでいたので、「対抗交通網機能不全」という語をつくりださねばならないからである。この線に沿って8ページか10ページ書き終わってみると、自分がだらだらと長引かせているだけなのに気づいた。そこで私はこの道をあきらめ、別の道を試したが、同じく忌々しくじれったい結果になるだけだった。

 

 そのとき、私は「不調和による遠近法」と結びつけていた「二重のヴィジョン」の問題に焦点をあてた。『恒久性と変化』が私が図式化したような三幅対(始まり/中間/終わり・・・定位/脱定位/再定位)によって成り立っているのではないことを悟り始めたのはそのときである。「官僚化」という語で扱われることと結びついた推移の原理がすぐそこにあった。

 

 そして、「二重のヴィジョン」という概念に焦点をあて、私の全計画の設計が変わるのが見え始めたとき、視覚のねじれが現実のものとなった。買い物に行く道すがら、私は二台の車がくるのを見たが、実際には一台で二重に見えているだけなのはわかっていた。近くでは二重にならずに見ることができたが、遠くになり視野が広がると二つのイメージになるのだった。これはなんだろうか。脳の癌ででもあろうか。病院に直行し、専門の神経科医に相談したところ、私はとても保険料ではまかないきれないほどの検査漬けにされた。それ以上長引かせていたら、癌になるほどのX線を浴びることになったろう。そこまではなんの診断もなかった。更に進んだより費用のかかる検査が待ち受けているだけだった。

 

 私が幾度となく学んでいたのは、我々が充分言葉を使用することに巻き込まれていると、今度は言葉が我々を使用することになるということである。「インスピレーション」というのは、どんな言葉であれたまたま夢中になったことに過剰に反応する結果生じる自己催眠の過程をあらわす<尊称的な>語である(それ故、危険な欺瞞的なものでもある)。そこで私は状況を次のように診断した。私が自分の本の遠近法に関する部分の遠近法を転換し、ときを同じくして「二重のヴィジョン」という語のもつ力を考察しはじめたときに、私はものを二重に見始めた。私は「そこにあれ」という明白で魔術的な方程式に従っているのだという仮定のもとで動いていたのである。私は、『恒久性と変化』の中盤で、トロキストなら永久革命論の変奏だと呼びそうなニーチェ流の「超価値化」という主題を導入したときに前面に出てきた混乱した形式的問題を明らかな形で「解決した」のである。私はすぐその後に回復した――道を見下ろし、たった一台の車が来るのを見ることがいかに贅沢な喜びであるか、読者には想像できないだろう。あまりに喜びが大きかったもので、車の音を聞きつけるやいなや外に飛びだし、道を見下ろしては<一台だけの車が>曲がり角の向こうに消えていくのを見守ったこともしばしばだった。

 

 ニーチェを『恒久性と変化』の中盤に入れ、その「価値の超越」という主題を不調和による遠近法という概念に結びつけようとしたとき、私は二重のビジョンという考えを一冊の本にだけ自生するものと限定するつもりはなかった。『歴史への姿勢』の主要な概念である想像的なものの官僚化は、不調和による遠近法だった。しかしまた、「官僚」という言葉自体がどんなものかと思う気持ちもあった。『インターナショナル社会科学百科事典』にあたってみると、マックス・ウェーバーがその「理想的タイプ」という概念に即して下した定義が言及されていた。行政官は、「公的な業務において、愛、憎しみなどあらゆる純粋に個人的で、非合理的でもあれば計算することもできないものを排除し」、コンピューターだけが完全に応ずることのできる道具主義的な特殊化を成し遂げる限りにおいて、官僚として自らの役割を全うする。その項目の参考文献には(ラインハルド・ベンディックスによる)86冊の本が挙げられていたが、そのなかで「官僚化」という言葉が使われていたのはただ一冊だけだった。だが、本文の最初の小見出しは「政府の官僚化」であり、ベンディックスはその厳密に社会学的な意味における様々な官僚化の過程を論じているが、「当然」、『歴史への姿勢』が「想像的なものの官僚化」という公式で「自動的に」(方程式の命じるところに従い)従っていた「普遍化」は除外されていた。しかし、終わりに近づき、そうした厳密な意味における官僚化から、「組織化された行動」一般に移り、最後の文章は「こうした見方によれば、官僚の研究と・・・組織化された行動の研究とを結びつけることができれば、両者にとって有益だろう」となっていた。こうなると、<日常業務>だけでなく、完全に<儀式的なもの>まで「官僚化」のもとに収めることのできる『歴史への姿勢』の用法もさほど遠くはないだろう。少なくとも、私の用法に向かう扉を少しは開けている。実際のところ、この本が最初に出版されたときには、最新の修辞的武器であり、トロキストがスターリニスとに向けた攻撃の時に使っていたもので、「官僚」とはもっぱらスターリニスとによる独裁政権を意味していた。党派に忠誠心の強いある論争家は、<すべての政府>に見られる官僚制ばかりでなく、あらゆる仕事、教会、会議、球技、ピクニック、印刷されたページにも当然のこととして認めていた、私の拡大解釈された「官僚化」という用語は、トロツキーの「スターリニストによる官僚制」に対する攻撃を弱めることを目的としていると言った。それから、私はテクノロジーの対抗自然的な革新を、全体として、広範囲にわたる「創造的」で不安定な雑多なもので、強力で広く浸透し、不経済で周囲を汚染し、技術力を支配する能力をもった政治的官僚制を発展させることによって、技術的発展を完成させることで人間の発明家に挑戦しようとする終末論的考え方と対決する巧妙な想像力の官僚化として認めはじめるようになった。

 

 さらに、「統一理論」、「抽象的経験主義」、「官僚気質」に対する疑いようのない血気盛んな怒りを漲らせたC・ライト・ミルズの不穏な『社会学的想像力』にも感謝を述べておこう。ここでは見出し風に主要ないくつかの点に触れることしかできないが、最初に述べておくべきなのは、ミルズの本は私が『恒久性と変化』と『歴史への姿勢』の後記を書き始めた後ではじめて引き継いだ独特な伏魔殿と関わっているという事実である。ミルズは補遺である「知的職人気質について」で、「不調和による遠近法」などに特に言及して、私を歓迎してくれたが、その議論は「官僚」や「官僚化」について多くの言及が為された『歴史への姿勢』により適していた。だが、ミルズが「統一理論」の代表者としてタルコット・パーソンズを攻撃しはじめたことによって事態は紛糾する――パーソンズのスタイルが<優美>からほど遠いことは衆目の一致するところだろうが、この時期の私はパーソンズを擁護して目立つことが多かった。行動科学最新研究センターにいたころ(1957-58)、パーソンズとたまたま一緒になることがあった。そこで私は様々な会議での彼の手並みを見る機会をもった。彼の分析の能力は誠に印象的なものだった。議論が収拾がつかなくなりそうになったとき、彼は、どれだけの立場が表明されており、それぞれの特徴はどうで、そこからどう問題が進んでいるのかを正確に見て取り、すぐさま議論を立て直すことができた。

 

 こうした即興的な行動には、ミルズが私の友人のマルコム・カウリーを引用して「社交的物言い」と呼んだ感性にもかかわらず、相当な力があった。私はパーソンズにもミルズにも親近感を抱いていたので(違った観点からではあるが)、ミルズが分析的な「統一理論」に行なう激しい非難は、私の両者どちらもを無慈悲にもどちらかに変えてしまうように思えた。そして、すべての学問学説の世界ではスタイルが時とともに変化し、その振れというのは教科書として扱われるかどうかで更に強調されるものなので、最近亡くなったパーソンズがある方面で安定した存在であることは「理の当然」である。どれだけ安定し、不安定であるかは後になってわかることである。とかくするうち、彼と私との関係のせいで、パーソンズとミルズとを行き来する私の交通は、放っておくしかない交通麻痺の状態になった。

 

 私の義務はこうであった。(1)私はパーソンズに忠実でなければならない。(2)たとえ敵対者が彼の特殊な実践の方法に反対したとしても、私は彼の分析的な方法のために擁護しなければならない。(3)そこから、私の特殊な弁証法的装備と、それに対応した「ロゴロジカルな無時間性へと向かう」ヴィジョンのもと進まねばならない。パーソンズの縮小版『社会の理論』(彼とE・シルス、K・D・ニーグル、J・R・ピットによる編集)の970ページの脚注には、我々の関心の重複を阻害すると同時に、重複を抑えた方が私のためになる理由が示されていた。

 

この意味における意味深い秩序の構造と含意の古典的な分析はケネス・バークの「創世記の最初の三章について」(『ディーダラス』1958年夏号)に見いだされる。

 

 

 これは私が『宗教の修辞学』でより徹底的に行なった分析の基礎となったものである。私は、『社会問題』(1962年10月号)に収められた二つのエッセイ、イジドール・チャンの「人間のイメージ」とヘンリー・A・マレーの「悪魔のパーソナリティと履歴」での論争に、いわば論争的に加わろうとして立論した。論争は、後の号でリチャード・E・カーニーによって挿入された白紙のページによって始まった。キリストと神の同体論者と類質論者との争いのように、この論争は「動物としての人間」と「唯一無比なる人間」との眼に見える区別にまで行き着いた。カーニーは人間と他の動物との自然な連続性を主張して、「動物としての人間」を強調した。チャンは同じように「唯一無比なる人間」を強調した。

 

 私は最初は、人間と他の動物との相違は<程度>の差に過ぎないというカーニーの主張に反対して、チャンの側についていた。私は、我々の象徴的行動のあり方(「言語的行動」のような)は、他の動物の行動と<種類>が異なるのだと強く主張しなければならなかった。しかし次に、「唯一無比なる人間」の「行動的な」本性を熱意を込めて称讃し、スピノザの『エティカ』の第四部である「人間の隷従について」の考え方を必然とし、そこから大いに力を得ているチャンからも離れねばならなかった。他にも、私の分析は「創造」と「失墜」とを分かちがたく絡み合ったものと捉えており、一方の主題が「唯一無比なる人間」で他方が「悪魔」だという「分業」が成立しているのでは、私の意図したイロニーが曖昧になってしまうことがある。(この問題は『象徴的行動としての言語』58-60ページ、およびより十分に「秩序、行動、犠牲」[『秩序の概念』ポール・G・クンツ編、ワシントン大学出版グリネル・カレッジ発行1968年]で論じられている。)この問題を論じる際に私のとった分析方法は、ミルズが「統一理論」の名のもとに激しく非難したものに傾いており類似していると認めるが、精巧で入り組んだ分析を少数の単純で直接的な決まり切った要約に還元することで、彼の果敢な攻撃が人をして身もだえさせることができるのだということも認めねばならない。

 

 ある成人男性が微かに下り坂になった道を進み、足を交互に出すことによって進むが、決して両方を同時に地面から離すことなく、ゆりかごの脚の曲線のように足裏の体重を移動させるのではなく、踵からつま先に急に重心を移動させ、身体のバランスをとるために腕を振って、比較的滑らかに動いているようではあるが、石だらけの道や藪や森など障害物がでたらめに散らばっているところではうまく歩けないという状況を、ある理論家が「統一的に」論じると想像してみよう。そして、それを認めることとしよう。分析家がつけ加えて言えるのは次のことだけである、即ち、「男は下り道を歩いている」と。

 

 例えば、「人々が同じ価値を共有しているとき、彼らは互いにどう振るまうか予期したことと適合した振るまいをする傾向にある」といったかさばった一節をミルズが分析的に「翻訳」して、パーソンズの「統一理論」を切り詰めてしまったときのことを考えてみよう。「社交的物言い」のことは忘れよう。使われている用語の定義だけを考え(「共有する」、「価値」、「傾向」のような――とりわけ、「傾向」は<する>「傾向」が<しない>傾向にあると絡み合っているので注意が必要である――「適合した」、「予期」、「振るまい」)、それを一般的な辞書の定義と分析的に置き換えてみよう――すると、より正確であればあるほど、文章はもつれ合ったものとなるだろう。

 

 パーソンズがほぼ常にそうであったように、ある部分では社会学者の共同体の内部では既に「自然になっている」専門用語を、またある部分では手当たり次第の言葉を使って試験的な分析を行なっていたので、結果として記述のための命名法がある種たどたどしいものとなっている。分析家は、状況がなにによって成り立っているかを発見するために、各<定義項>をあたかも初めてであるかのように記述するのである。

 

 ここで、パーソンズが社会的平衡について関心をもっていたことを知る読者を驚かすかもしれないことがある。「劇学」(『社会科学百科事典』)という項目で、私はアルバート・マチエズの『フランス革命』を次のような本として言及した。

 

意図せざる誤った動きの連続が欲せざる結果をもたらす皮肉な展開を一歩一歩たどっている。もしこの無秩序な連続の全体を一種の秩序と見る者がいるなら、各段階は、常に変動する状況のなかで、来るべき結果に好都合な諸条件をもとに安定化しようとする「企図」をもっているかのように解釈することができよう(つまり、恐怖へと導き、恐怖を通じ、恐怖を越えて進む展開によってのみ、維持することのできる平衡が考えられる)。

 

 

 

私はパーソンズに、彼の「平衡」という概念はこうした考え方と一致するかと尋ね、彼は一致すると答えた。それは私が交通麻痺の状態にあるときのことだと記憶しているが、というのも、それはミルズや他の敵対者たちが否定した彼の投機的な柔軟性を反映しているからである。

 

 しかし、主要な点はこうである。統一理論であろうとなかろうと、パーソンズは確かな腕前をもつ分析家であり、音楽的な即興で見られるような真の名人技をもっていた。彼のセミナーに出た学生たちのリポートを見ると、彼のそうした「パフォーマンス」が結果的に「聴衆」に「高く評価されていた」と信じるにたる根拠がある。そして彼は半世紀前学位を得たハイデルベルグ大学の招待を受けたおり、パーソンズ流の即興的な声明のさなか、打ち倒され、英雄的な死を迎えたのである。(土壇場での修正。噂は正確ではなかった。しかし、もし歴史がかつてと同じようにこうした事柄について柔軟であるなら、噂は「原則において正しかった」ために広まったのだろう。)

 

 明らかに、パーソンズが「制度化」として扱った秩序の側面は、『歴史への姿勢』での「官僚化」とは異なった意味合いをもっている。「官僚的気風」と、その理想とするところの「人間工学」に対して激しい嫌悪感を抱いていたミルズは、事実に関する調査を崇拝することを「社会研究の官僚化」と呼んだ。それゆえ、「社会研究」というのが、「社会学的想像力」によって導かれる「実質のある」研究として好んで使った言葉であるが、ミルズの一節は、「社会研究の官僚化」の場合、研究結果において与えられた秩序が定義上疑問の余地がないこととされることを除けば、この本で不調和による遠近法によって捉えた「想像的なものの官僚化」という公式に近い関係にある。

 

 というのも、私の「官僚化」という用語は、その適用において「党派的」ではなく、「普遍的」だからである。<いかなる>方法といえども官僚化の可能性はある――高度に発達したテクノロジー構造の場合、老朽化が革新の一助となる逆説的なひねりも存在する。より効率的な過程を活用しようとする新たな装備は、大規模で不経済な工場を解体するか、「近代化」には許されないコストの責任を負わせる可能性があり、というのも、そのままの状態では製品が市場で競争できないからである。或は、工場や方法を「再官僚化」する限り、競争する多様な工場の全世界的な生産量の総計が、製品市場が処理できるより多くの支出に達するまでは、こうした「再工業化」は全体としてテクノロジー的に不十分だとされる。こうした非実際性は、技術革新によってより費用のかからない別の燃料が産まれ、それまでの燃料用に設計されていたすべての競合する工場が設備として不十分になったとき更に増大する。なにを「組み込み」、なにを「取り除く」かを知っている賢明な投資者は、土壌が枯渇するまでに直接的で最大限のもうけを生みだすような土地の「効率的な」使用法を求めることで利益をあげることができ、実際にあげている「農業関係」の専門化のように(彼らは自由に移動し、到るところの土地を枯渇させるという「効率的な」柔軟性を「官僚化」しているので、費用もまったくかからない)、官僚的な混乱のなかを「想像力豊かに」かつ芸術的にすり抜けながら金銭的な勝利者であり続けることができるにしても、損耗による費用が加わるとなると、テクノロジー的な効率性の全体的支出は相当に非効率的なものとなりうるのである。また、その方法の殆どが覆い隠されて家族農場の名のもとすべてが行なわれる(特別の公的な補助金を与えられて)政治的レトリックの官僚化も忘れるべきではない。こうしたことに少々触れたのは、もしいま私が『歴史への姿勢』を書いたとしたら、このことを論じるのは確実だからである。

 

 しかし、いまはミルズの「抽象的経験論」に対する怒りに戻ることにするが、この点については彼が「この学派のより洗練されたスポークスマンの一人」だと言い、テクノロジーをミルズが「方法論的停止」と特徴づけた調査技術に大幅に還元したポール・F・ラザースフェルドともっとも強く対立していた。「抽象的経験論」の「方法」には、「歴史と伝記、そして社会のなかでの両者の関係を見て取ることを可能にする」社会学的想像力の入る余地がないが、それは「古典的な社会分析家のしるし」となる仕事であり前提であって、スペンサー、ロス、コント、デュルケム、マンハイム、ヴェブレン、シュムペーター、レッキーに特徴的で、「カール・マルクスの優れた知性の性質」でもあり、「マックス・ウェーバーの深みと明晰さ」を示すものであって、ウェーバーは「他の多くの社会学者と同じく、カール・マルクスとの対話によってその仕事を発展させていった」のである。

 

 ミルズが非難するのは、これらすべてを一掃して、「広告とメディア・リサーチ」、世論調査、「投票行動」の研究といった、恐らくは容易に統計調査がとれるものゆえに選ばれたような研究主題にとって代えることにある。「その結果の貧弱さは入念な方法ととられた配慮に見合っている。」彼は、こうした発見の多くが、広告屋が販売計画を立てたり、なんらかの特殊な事柄について考慮に入れるべき賛成反対の先入観がどんな具合でどう配分されているかについて行政官に助言を与える助けとなるかなり実践的な有用性をもちうることを否定しているわけではないだろう。行政官というものが存在する限り、常にこうした方針に沿った社会学は、それがなんと呼ばれるかはともかく存在してきた――そして、もしいまの時代が、テクノロジー的精神病質として特徴づけられるほど逸脱していないなら、擁護者やその実践者によって「人間工学」の「科学」と呼ばれているものの多くは(その「予測と支配」の理想とともに)、説得の「技芸」について古典的な修辞学の観察したことを拡張したものと見ることができる。

 

 しかしここで再び、深刻な交通麻痺が迫ってくる。というのも、神話と儀式における「修辞的」次元を考えたときに、『動機の修辞学』でしたことを「思い起こし」始めたからである(儀式的実践から期待できるどんな集団的利益だろうと、獲得するための主要で必要な働きを成し遂げることを職務とする特殊な役目と内々に同一化する司祭がいるときに、どんなことが起きるのかも見失わないでおこう)。

 

 ミルズは「方法」がもたらす「革命的変化」を称讃するバーナード・ベレンソンの言葉を正しいものとして引用する。公式的見解のなかで、「論文を書く」学識ある書き手が問題を「それだけではなく、広い歴史的、理論的、哲学的関係において」研究する場合、「その領域そのものが技術的量的に、非理論的に、断片化され、特殊化され、制度化され、『近代化され』、『グループ分けされ』――つまり、行動科学に特徴的なように、アメリカ化されるのである」。そのすぐ後、社会科学のそうしたスタイルが「なんら実質的な命題や理論によっても特徴づけられていない」し、「社会や人間の本性やそれらに関する特殊な事実についての新たな概念に基づくこともない」ことに憤慨し、ミルズは自身の非難をこう要約する、「端的に言って、こうした調査方法は、社会的研究の未来とそのあり得べき官僚化に関わる行政執行官を伴うものである」と。

 

 交通麻痺のときのように、私は相異をはっきりと分けたかった。「社会学社会学化」は、テクノロジーの革新的な「進歩」に密接に関連した官僚化を予想させるものであり、その特殊な破壊的副産物は、対抗自然の領域に拡がるテクノロジーの「自然な」寄与である「断片化した」調査を喚起し、定着させることは「ごく自然な」ことだと私には思われた。(『恒久性と変化』と『歴史への姿勢』が書かれたのは、原爆や産業廃棄物の問題が明らかになる前で、どれ程恐ろしい未来が待ち受けているかわからなかったが、「副作用」や「予期せざる結果」といった言葉は到るところにあらわれ、ダーウィン的な適者生存の検証を経ていたが、私は「欲せざる」或は「意図せざる」副産物として書いた。)

 

 「方法」の支持者が定かならぬ数の「科学的」社会学、どんな特殊な「事実」に関するデータであろうと調査に役立てることができるようなミクロ社会学を心に描くとき、それらはすべて「行政的」或は「官僚的」社会学の名のもとに分類されうる(ミルズが名づけた「官僚気質」よりは「非難的意味合い」が少ないものとして「官僚」という語を使うとすれば)。その根底にある社会学的仮定とは、進歩的反動的、或はその中間のどんな行政であろうが、「政治支配」や「ビジネス支配」(トルーマン・アーノルドによる有益な分類)に関わる場合、その状況にあった「人間工学」の仕事をするために、熟練した調査員の助言を求めるだろう、ということにある。それは各行政組織にとって「元金」となる、「根本的な」社会学であろう。

 

 こうした分野とは異なる、瞑想的、哲学的、発見的、比較的、歴史的、またときには「終末論的」でさえある社会学があり、そのスタイルは思弁、観察、「体系構築」で成り立ち、ミルズが特徴づけた「社会学的想像力」のもと発展していくが、それは、

 

ある観点から別の観点へ転換する能力がある。政治的なものから心理学的なものへ、単一の家庭の調査から世界の国家予算の比較査定へ、理論的な学派から軍事施設へ、石油産業の考察から現代詩の研究へと転換する。もっとも非個人的で遠くかけ離れた場所での変化から、もっとも個人的で人間としての自己に関わる部分へと移り、両者の関係を見ることができる能力である。その背後には、常に、個人がその性質や存在をもったときの社会や時代における社会的歴史的意味を知ろうとする衝動が働いている。

 

 

 これは彼の本の序章である「保証」から引用した。補遺である「知的職人気質について」では、「様々な観点」に関する視点を発展させ、私が『恒久性と変化』で、ニーチェニーチェが「あらゆる価値の再評価」と称したプログラムに含まれる解釈学的原理として名づけ提示した「不調和による遠近法」に関連して論じたことと同じ種類の転換について語っている。いまの論点からすると、それは「解釈された言葉が自動的に、自然に、自発的に除外されるようなある姿勢によって諸姿勢を解釈すること」と翻訳することができる。

 

 だが、ミルズが焦点をあてた例(発見の目的のために「慎重に比率の感覚を逆転する」)は『恒久性と変化』の「不調和なものの不調和な分類」(『社会の理論』の大要で再録された)からのものであり、ニーチェよりもベルグソンに近い。そして、「遊戯的姿勢」(ミルズ)では、言語の本性が示唆する可能性に従い、遊戯的目的のためだけに遠近法を歪めることが許される(こうした芸術の達人であるルイス・キャロルオスカー・ワイルドでは、そうした知的歪みがフロイト派をして純粋に個人的な動機を探すことに向かわせるのだが)。

 

 『恒久性と変化』の後記に書いたように、私の著作がある種の二重の由来をもつことは、ハロルド・ローゼンバーグ(『詩:詩の雑誌』)とルイス・ワース(『アメリカン・ジャーナル・オブ・ソシオロジー』)の書評に助けられて出立したという事実に証明されている。そして、『歴史への姿勢』がなぜ同じ道にあるかも示した。問うまでもなく、私の交通麻痺状態への対抗は、私が単に本を書くことにおいては抑圧していた(間接的にしか表現していなかった)個人的動機の回帰を反映している。そして、「二つの社会学」の争いを解決しようとする私の望みの背後にあるものをかいま見たが、その二重性というのは恐らくフローベルを法廷に追いやった人心を逆なでする主題に体現されていた「純粋形式」に対する「美的」理想を受け継いだものだったろう。或は、ジェイムズ・ジョイスに訪れた「神の顕現」、キリスト教的ロゴロジーの世俗的な類似物によって具体化されるにいたった言葉を受け継いだものかもしれない。我々の先祖が言語を学び始め、それによって物語が産まれたときに世界にどんな混乱が生じたのか我々は明確に知ることができるだろうか。

 

 いずれにしろ、我々は次のことだけは十分に認められた。テクノロジーの連続した「世代」によって可能となり不可避的でもある累積において具体化された「官僚化」という観念が、「新マルサス原理」という私の概念とともに発展することにおいて、「人口」を「物理的な限界に向けて<人々が>増加していくことではなく、物理的な限界に向けて<習慣>が増加していくこと」として語り始めるやいなや、私は追いかけるべき別の意味合いに遭遇することとなった。このため私は、<新興の>段階における事業がもたらす文化的効果と、それが「めいっぱいまで増加し、官僚化を達成した」(154ページの脚注参照)ときの結果を区別するのに、比喩的に「生態学的平衡」という概念を用いることになった。それ故(166-167ページを見よ)、「想像力」とその「官僚的具体化」の問題について私は、<比喩的に>、「充分バランスのとれた生態学は、両者の共生を必要とする」と理想化したのである。

 

 しかし私はまた(150ページの脚注参照)、「生態学的平衡」という言葉を<文字通りに>使い始めてもいた。そして、その過程で、二ドルの小麦を輸出して、代わりに黄塵地帯を手に入れた「テクノロジーの効率性」(更なる恐怖が予想される大災害をもたらす事業)に言及した際、私はたまたまこう言ってしまった、つまり「諸科学のなかに、生態学という小さな一分野があるが、我々はじきにより注意を払うことになろう」と。

 

 それはある種の不労所得を私にもたらした。1970年2月号の『フォーチュン』は、ウィリアム・ボーウェンの「自覚される巨大な織物」という専門記事を載せ、そこには三十三年前の私の予言が引用され、私の「予測が真実になった」と述べられていた。しかし、結果は不運なものだった。記事は私の本が出版された日付を特定していたが、その表題は秘密にしていた。1961年から『歴史への姿勢』のビーコン・ペーパーバック版が入手できるようになっていたが、小石がたてたさざ波程度の影響だった。記事にはまた、この問題を「破壊活動」と見ている三人の生態学者が言及されていた。十年前ならその「思考スタイル」に賛成していたかもしれない。しかし、それ以降見方を変え、私は生態学をテクノロジー自己批判と見なすことにしている――そして私はややいい気分になったのである。

 

 ちなみに、この問題をふり返ってみたとき、『歴史への姿勢』のもともとの二冊本であるニュー・リパブリック版のなかに、その本を書く助けに利用しようと思って書いた文章の写しを見つけた。そこでは、「意図せざる副産物」或は「予期せざる結果」についての詳細な分析に含まれる厄介な問題を柔軟に扱っているように思えた。

 

 一冊の本を書いているとしよう。その本にある各語はページの上のインクの微かなしみではなく、実際にある大きさと重さをもった煉瓦だとしよう。三章に進むまでに、手のなかにまったく新しい問題が生じていることになろう。煉瓦の山に取り囲まれていることとなろう。煉瓦は彼の意図の単なる副産物である。彼の関心は本を書くことだけであり、この混乱は付随して生じたのである――しかし、彼はこの問題を考慮に入れざるを得ないだろう。

 歴史の過程は幾分こうしたことに似ていると思われる。我々が目的とする観念はある試みへと我々を導く――それを試みると、望んだのと違う結果が副産物として生じる。煉瓦の山に取りまかれているのに気づいた作家は、この重く副次的な累積を考慮に入れて、書き方を変えなければならないだろう。そして、歴史のある段階においても、我々の注意がいたるところに向いた結果副次的に積みかさねられることになった我々の労力の副産物を考慮に入れるために、目的の観念を変えねばならないのである。

 文明は、その批評家が、どんな混乱が生じているのか、どんな種類の新たな動機の体系がこの混乱を満足に扱えるものとして生じねばならないのか理解させることができたときに、難局を切り抜けることに成功する。私はそうした契機を探り、どう対処されたかを見るという特殊な目的をもって歴史の記録を調べてみたい。そして、この仕事を可能にしてくれたグッゲンハイム基金の寛容さに対して心から感謝している。

 

 

 この文章は、『恒久性と変化』よりも『歴史への姿勢』に当てはまるために予期せざるものであり、私を困惑させた。私が基金の助成を得たのは『恒久性と変化』で『歴史への姿勢』ではなかったのである。明らかに、「一つのことは別のことに通じる」としても、『恒久性と変化』はそれ独自の行程を描いている。いずれにしろ、これは、この本の題名と遠近法を定める公式である「想像的なものの官僚化」との関連を一瞥して終ることになる締めくくりの導入部としては十分に役に立つ。

 

 ある対で「歴史」であるものが別の対の「官僚化」に対応し、いずれも不手際による混乱という意味合いをもっている――そして、その結果として、「姿勢」と類似した「想像的なもの」が残される。こうした関係はほぼ完璧に成り立つ。というのも、『動機の文法』(「『発端の』行動と『遅れた』行動」の章)で、I・A・リチャーズ(『文芸批評の諸原理』)やジョージ・ハーバート・ミード(『行為の哲学』)を引用してその関係を示したように、「想像的なもの」がある誘因を示す語であるように、<姿勢>はその<実現>に向かうだろう(「官僚化」に対してより「中立的な」姿勢を示している)。お望みなら、より仰々しい官僚化-想像的なものという対で代用することもできる。「無意識」から発する「創造的な想像力」には、動機づけのマグマがあり、溶岩として流入した動機は溶岩層として堆積し冷たく固まる。あるいはより地味な弁証法で言えば、既に言及したと思うが、観念論的哲学者の生成(Werden)は生成したものへ(Gewordensein)と凝結するのである。

 

 自然の生物圏では、こうした「死にゆくこと」は、新たな成長の土壌を形成する「分解」への進むことが多い。しかし、人間という動物がかつて世界を開拓していったように、テクノロジーの永遠に拡張し続ける巧妙でシンボルに導かれた戦略が可能にする対抗自然の領域では、熱核反応の「半減期」にあたる地域は「衛生的に不毛の地」であり続け、十中八九、人間がそこに住まうことができるまで長い時間がかかる。だが、これは後回しにした方がいいいまは必要のない課題である。それでは、まず最初に「姿勢」一般について更に語ることにしよう。

 

 この問題に柔軟にあたるために、行為と姿勢との共に欠かせない関係を手軽に感じさせてくれる本について少々述べておきたい。それは、『三十六の劇的状況』と題されたジョージ・ポルティがフランス語から秘かに翻訳した本であり、劇的状況がそんなに存在するのか、数として正確なのかどうかはおいておこう。我々の目的には、姿勢の表現や衝突が詩学の領域でどれだけ重大な訴えかけをなす実践であり、基本的であるかを理解する助けになるものとして、忘れることのできない有益性をもっている。そうした「諸状況」を単に<名づける>ことによって論点は明らかになる。例えば、嘆願、解放、復讐、追跡、災厄、残酷や不運の犠牲となる、反乱、親族への憎しみ、良心の呵責、愛するものの喪失(「ここではすべてが嘆きとなる」)など。

 

 純粋に芸術への愛情から生じ実現した姿勢が、純粋に詩的な満足をしるしづけるものとして特殊化されるとすると、修辞は投票や商品の購入、ある道徳的判断や政策を選ぶよう説得するという実践的な領域で、聴衆にある姿勢とそれに応じた反応を呼び起こそうと技巧を使うことである。

 

 科学的な領域における姿勢の場所は、より明確にするのが困難である。スパイの「偵察」でさえ、スパイが個人的な利害や共感による偏向(姿勢)にもかかわらず、できる限り正確に(「公平無私に」)状況を評価しようとしているという意味においては、科学的に「中立」だと言える。数学や物理学では、動機づけの個人的な姿勢は媒体と専門化としての適正をしるしづける<定義項>の特殊な選択に深く組み込まれて(含まれて)いるのだろう。社会科学に関しては、なぜ私には、社会学社会学化が、ミルズが言う「実質的な」分野と特殊な「行政的」目的に採用される数多くのミクロ社会学との大胆な和解(或は部分的一致)へと導くものではないのか既に述べた。

 

 <世界観>に関して、<生>への<姿勢>について哲学的に言うと、私の象徴化は、ディオゲネスとその後継者のしるしを帯びる傾向がある(<真実を笑いによって示す>スタイルであり、後に「笑う心気症」とスローガン化した)。不安の原因となるものに直面したときでさえ、私はそれを「喜劇的な」枠組みのなかで見ることだろう。だが、最近、私の立場を本質的に「悲劇的な」ものだとする親しい同僚の評言を受けた。「喜劇的」姿勢も、「悲劇的」姿勢も、生を教育としてみるという基本的な観点では一致する。我々は苦しみによって学ぶ。情報、勉強、知識という観点からすれば、確かに苦痛というのは、いかなる有機体でも選択し、それによって生きなければならないもっとも鋭い勧告である。なんどもなんども骨が折れ、身体に十分な苦痛の感覚が欠けているので、自己防御して衝突しないで動くことを決して学習することができない不幸な人物のことを読んだことがある。テクノロジーによって様々な方法で広く痛みが抑えられることによって、我々の学習が混乱し、痛みの原因となる要素や過程がただされることなく、勧告を発し続ける警告を沈黙させるような薬物によって隠蔽されることになるのではないかと私は悲喜劇として考えることがある(不用心な者の多くが舌ガンになるのは、舌には煙草の煙を苦痛と感じさせるような痛みを感知する細胞がないからである)。

 

 しかし、歴史に関してはどうだろうか。ふり返ってみると、1959年のヘルメス版(校訂については殆ど怠慢を決め込んでしまったが)に取りかかった1955年になって始めてその問題を自問し始めたのだった。遅ればせな序では、「『歴史』は主に政治的共同体における人間の生を意味している」と述べているが、もし「政治的」というのが広い意味における「社会政治的」なことを意味していなら、概ね正解に近いと言ってもよろしかろう。

 

 しかし、そこでも示したように、歴史の無数の側面を含む物語は、不確定に互いに影を投げかける我々の無数の「言説の宇宙」に特有の遠近法によってのみ分節化し、個人的見解をとることができる質的量的なXという定義することのできない<被定義項>、「宇宙」に分解してしまう。究極的には、この種の不確定は、いかなる一つの或は複数の<被定義項>によっても形成される我々の姿勢によるばかりではなく、それ自体が独自の「創造性」をもっていることにもある。というのも、ある一つの苦悩であっても、それが高次の力による罰と考えられるか、厳しい現実によるのか、個人的な敵によるのか、取り除くことができる社会システムのせいだと考えるか等々によって異なったものだからである。

 

 全体的に言って、受容と拒絶の歴史(変化していく物語)を通じて、気まぐれな変容の<恐らく>(絶え間のない「遠近法」の、「諸価値の再評価」)がたれ込めており、それは人間に特有の表現、同一化、コミュニケーションという媒体によって可能になる(或は「不可避である」)自然な出発の二つの様態と関わらざるを得ない。それは個人的原理や道具主義的原理を拡張することもあり、様々な形で同意や争いを繰り返し、超自然の物語(神話)で充足する者もいれば、シンボルに導かれたテクノロジーの対抗自然の領域で完成を目指す者もいる(どちらの出発点にも特有の終末論が含まれている)。

 

 だが、姿勢の問題は終えたと思っていたとき、私は次のように断言しているあるテキストに出会い、相当に狼狽させられることになった。「社会的変化のみが起こり続ける静的世界という概念は奇妙に思われるかもしれないが、・・・ケネス・バークの歴史への姿勢からすると生じる可能性がある。」(『構造、意識、歴史』リチャード・ハーヴェイ・ブラウン、スタンフォード・M・ライマン編、ケンブリッジ大学出版、1978年、87-88ページ、ライマンの論文から。)同じ論文ではその後に、「ケネス・バークの世界から引きだされる」「もう一つのフォルマリスム的、神話的考え方」(89ページ)の問題に触れられていて、『歴史への姿勢』のビーコン版が参照としてあげられている。このときの私の困惑は、幾分異なった方向をとっていた。

 

皮肉なことに、劇的様態としての歴史の研究は、プラトンが反対した一種の「調理場」になる可能性がある。現実の歴史はむしろある「配合表」の産物であり――調合、再調合、作り直し、同じ基本的なプロットを暖め直すことにある。バークによる劇学的とらえ方は、歴史的な俳優、歴史家、資料編纂者それぞれが過程に加わる「調理場」を示している。しかしながら、構造主義の一形式としては、基本的プロットの構造比較とあらゆる歴史を各時代を通じて演じられ再演されるシナリオのレパートリーへと最終的に還元することを示唆している。

 

 

 プラトンへの言及が関連する数段落(4ページにも満たない)での唯一の引用であり、<私が>こうした「調理場」を使っているのか、それは単純にある取り組みかたから「引き出せる」ものなのか確信がもてなかったが、とりあえず私はライマン教授に手紙を送り、プラトンのどの部分を指しているのか教えてくれるように頼んだ、というのも、私が読んだところでは『歴史への姿勢』に当てはめることができるような部分を見つけることができなかったからである。この段階では私は助言を待っていたわけだが、やがてこの作者の解釈を、私の歴史に対する姿勢(小文字の歴史)が間違った方向に向かいうるという勧告としてとった方がいいのだと決めるにいたった。私の本には「歴史の曲線」と題されたセクションがあり、西洋の発達をキリスト教福音主義、中世の総合、プロテスタントの転調、素朴資本主義、新興の集団主義と五段階に要約していただけに困ったことだった。これに私は「喜劇による矯正」をつけ加えた。いま私が理解しているところでは、私はそこで<科学的な>意味での厳密な「社会学」ではなく、ディオゲネスと同じ方向性をもった倫理的<哲学>を形づくる「受容の喜劇的枠組み」を提起していたのである。(ライマン教授の回答は届けられ、この後記の補遺として収録される。)

 

 私の過去二千年に及ぶ「[西洋の]歴史の曲線」は非常に深遠なものだとは言えないが(全体で六十ページほどなので、徹底的でもあり得ない)、私はそれが<歴史>の輪郭とは呼べるものだと思っている。だが、結局のところ、私はこの「調理場」で以前の立場を「暖め直した」と言えるのだろうか。

 

 この種の問題については、純粋に技術的な考察も考慮に入れるべきである。もしある用語が十分に高いレベルの一般化を満たしているなら、<必要な変更を加えて>広範囲にわたり、様々な状況に適用することができる。この点については、「受容」と「拒絶」の姿勢は(いかなる社会で、なにが「権威のシンボル」と呼ばれようとも)、肯定と否定とを区別するという意味において、常に「回帰して」来るものである。歴史的発展の過程の異なった状況は(階級闘争のような)、「配合表」の変化として予想されうるものであり(「調合、再調合、作り直し」)、用語に固有の高度なレベルの一般化によれば、それらはそうしたあらゆる変化に「永久に」適用されるものとなる。

 

 この本の読者であり、ライマンの解釈を読んだ者には、『歴史への姿勢』の第一部が「受容と拒絶」と題され、ライマンのエッセイが「歴史の受容、拒絶、再構築:社会文化的変化の研究におけるいくつかの論争について」であると指摘するまでもないだろう。「歴史の再構築」によって、ライマンは私が別の言葉で、「物理的限界に達した<人口>の増加ではなく、物理的限界に達した<習慣>の増加を示す」「新マルサス原理」として一般化したことを意味しているのだと私はとった。同様な考えは「パーキンソンの法則」の名で一般化しており、『歴史への姿勢』で官僚化と呼んでいるものの完璧な例証であろう。私の倫理的見地は有効範囲を拡げ、特殊な歴史的「再構成」を次のように述べることで個別の点を示す。「ある状況は、それに関連した放縦を<可能に>する。例えば、新マルサス原理の働きによって、資本主義とテクノロジーとの組み合わせは、個人的事業をする習慣の増加を<許す>とともにそれを<要求>もする。増加は限界点に達するまで続き」、歴史的発展は『歴史への姿勢』で「新興の集団主義」と呼んだものへと移る。

 

 「曲線」は明らかに西洋の歴史における五つの顕著に異なった段階を描いているので(『歴史への姿勢』とシュペングラーの用語法とを混合すると、文化が終わり大都市文明になる地点で官僚化がなされると言える)、問題は受容や拒絶の姿勢を引き起こす「新マルサス原理」といった公式や「権威シンボル」といった概念があまりに高度なレベルで一般化されているので、<必要な変更を加えれば>あらゆる種類の社会に適用できるという点にあるに違いない。フレイザーの魔術、宗教、科学の概念は、あまりに継起的かつ段階的であるとは私がはっきりと述べてきたことで、それらは常に新たに生まれでるものだと私は感じ始めていた。そして、「劇学」についての項では(『インターナショナル社会科学百科事典』)、「犠牲による浄化」のような言葉はこうした理論的用語事典ではまったく異質なものだが、テクノロジーの働きに「スケープゴート」を探すことがごく「自然な」ことに思われた。ある意味で、私の人間の動機についての考察は、「アダムの昔から」我々は変わらないという仮定に基づいているので、定義上非歴史的なのではないかと疑う社会学者がいるのももっともなことである。そこで、この問題にできるだけ直接的に対面するために、私は社会学者たちが知っている必要はないが、かつて私が述べたことのなかで、我々シンボルを使用する有機体が、無数の変化の歴史を許しながら、動機づけとなる<恒久性>の要素をもっともうまく描きだした箇所に立ち戻ることにしよう。

 

 私はある種の小説、或は反小説である『よりよき生に向かって:一連の書簡或は朗吟』について既に言及した。(1932年。現在ではカリフォルニア大学出版でペーパーバック版が手にはいる。)その最初の序文で私はこう書いた。

 

 ごく平均的な人間の比率を変えると、我々は怪物を得ることができる。・・・つまり、怪物的な、或は非人間的な性格というのは、他の人間が有していない類の性質ではない――怪物は単にそれらを他の人間よりより多く、あるいはより少なくもっているだけなのである。虚構はまさしくこの比率の変更である。科学の虚構は北方人種、資本主義的、農業、甲状腺亢進、外向性といった分類によって比率を変える。文学の虚構はある特徴や諸特徴の配置、感情的パターンを描きだし、それにあった背景を創作することで変える。つまり科学も虚構も同様に怪物をつくりだすのだが、大人は解剖図を病的だとは言わずに、芸術のつくりだす怪物だけに攻撃を限定している。こうした怪物は部分的には明晰さに対する関心のなかでつくりだされている(極度に平衡を逸した人物の方がその振る舞いの源を容易にあらわすことはできるが、古典劇に明らかなように、暴力、病、過剰の描写には明晰さへの理想が共存している)。※

 

 

 

*1

 

*1:

※この「比率」の問題に関しては、ごく最近編者であるギー・アマーサナヤガムから送られてきた『対話するアジアと西洋の作家たち:新たな文化的アイデンティティ』(マクミラン1982年)に私のエッセイ「リアリズム、西洋人のスタイル」が収められている。そこで私は、描写を企図し、「現実」を記録しようとする「リアリスティックな」物語を意図し、正確に行なおうとすることで生じる数多くの問題を扱った。41ページで、私はこう主張している。

 

 確かに、文学を社会的な記録として使用しようとするときにもっとも厄介な問題は「比率」の問題である。この問題を考える度に私が思い起こすのは、いまはなき友人で、詩人で、風変わりな人物だったジョン・ブルックス・ウィールライトが観念の本性について言ったことである。彼が言うには、多くの観念をもっていない人々には、一つの観念はオーストラリアに兎を放つようなものだという。自然界に敵はいないので、いたるところにはびこることになるだろう。あるモチーフの軌跡を評価するには、その結果は他のモチーフの現前や不在、比較したときの強さなどによって補強もされれば制限も受けるので、我々はそれがどんなモチーフ群の一部であるかも問わなければならない。つまり、あるモチーフはモチーフの様々な配合の一要素であるに過ぎない。他の要素によってその意味するところが変わりうる。

 例えば、ダンテの『神曲』のような作品を考えてみよう。もしそれが希望のない永遠の苦しみが続き、恐怖と罰とを訴える『地獄編』だけであり、それと対照的な憐れみを主題とした『煉獄編』と幸福を主題にした『天国編』がないとしたら、まったく異なった文化的複合をあらわすことになったのではなかろうか。

 我々の社会の本性に関連する比率の一つの問題は、有機体としての身体的な力と、応用科学の技術的組織的な手段によって巨大化された力との不均衡にある。アウシュビッツの恐怖とは、その場所に近づいたことさえない権力者による二、三の指図から産まれた。精巧で莫大な費用のかかる兵器によってヴェトナムにもたらされた圧倒的な惨禍が、控えめで、規律正しく、従順で、平和に職を勤め、静かな郊外で家族と共に過ごし、恐らくは子供たちでさえ叩いたことのない者たちによって可能となったのである。ほんの僅かな身体的努力もなく、指の一押しで視界が届かないほど遙か下に爆弾が落とされ、チンギス・ハーンが死にものぐるいで侵略したとしてもなしえないほどの損害を与えるのである。現在のテクノロジー発展の段階では、こうした乖離は我々すべてに関わるものであり、ある種内蔵された精神分裂である。この不調和はゲリラ活動を助長し、悩み元気だけが有り余った若者たちの目的のない破壊行為も、別の手段ではどうすることもできないエネルギーが噴出しているとも考えられる・・・

 文学のリアリズムが、非文学的な記録では与えられることのない現実の<感覚>を与えてくれるとしても、それは虚構の<本当らしさ>が<真実>と同一である保証を与えることはできない。

 この点は最も重要で、もっともわかりにくい問題に通じている。つまり、ある作品は、他のモチーフ群によって補強され修正されることで変更されたあるモチーフの<比率>を、どれだけ適切に本来の<比率>としてあらわしているかということである・・・しかし、読者の関心を引こうとする文学の本性そのものが、ニュースの見出しと同じような働きをする強調を生みだすのである。

 

 

 大気中の各要素は、それだけでは我々を殺すことになるかもしれない。しかし、適切な比率でありさえすれば(テクノロジーのエネルギー崇拝は分解させる方向に働いているが)、驚くべきことに健康にいいのである。