ブラッドリー『仮象と実在』 13

      (性質の関係は内的矛盾を引き起こす。)

 

 かくして、諸性質は存在せねばならず、同時に関係していなければならない。それぞれの性質の内部には多様性が存在する。それぞれが関係を支え、関係によってつくられるという二重の性格をもっている。それは同時に条件であり結果であって、問題はどうしてこの多様性が一つになることができるかである。多様性は一つにならなければならないが、それは不可能でもある。Aは関係によってなるものでありならないものである。この異なった側面は、どちらが他ということもなく、どちらがAというのでもない。もしこの異なった側面をaとαと呼ぶなら、Aは部分的にはそのどちらでもある。aは区別が基づく差異であり、αはつながりからくる区別である。Aは、実際は、両者が一緒になったA(a-α)である。しかし(第二章で見たように)、関係を使用することなしにAの多様性を述べることは不可能である。そして、他方、内的関係とともに、Aの統一は失われ、その内容は終りなくばらばらになっていく過程のなかに分解してしまう。Aはまずαとの関わりにおいてaになるが、その両項は絶望的なまでにばらばらである。我々は、意志に反して、単なる一側面を得るのではなく、それ自身関係に関わる新たな性質aを得る。そして(以前Aとともにあるのを見た)その内容は多様でなければならない。そこで関係の関わるのはa2であり、関係の帰結としてあるのがα2である。それらは付随物として結びつき、また結びつくことができない。端的に言って、我々をどこにも導かれることのない分裂の原理に入り込んでいる。関係のうちにあるすべての性質は、結局、その本性のうちに多様性があり、この多様性は直接に性質によってあらわにはされ得ない。つまり、性質はその統一を内的関係と取り替えなければならない。しかし、かく自由にしてしまうと、多様な側面は、その各々がなんらかの関係のうちにあるために、それぞれがまたなにかしら性質を越えでていなければならない。この多様性は、内的統一にとっては致命的である。それは新たな関係を要求し、それに限りはない。簡単に言うと、関係にある諸性質は関係のない諸性質と同じように理解不可能であることがわかる。どちらの側面からいっても問題は我々を困惑させる。