ブラッドリー『仮象と実在』 14

      (III.性質をもつ関係、或いは性質のない関係、いずれも理解しがたい。)

 

 3.関係の面からも同様のジレンマに簡単に達することができる。関係は諸性質があってもなくても理解できない。第一に、項のない関係は単なる言葉の無駄に思える。項は関係を越えたなにかとしてあらわれる。少なくとも、私にとっては、以前にはそこになかった諸項をどうにかして突然そこにあらしめてしまう関係、諸項がなくとも成立する関係、つながりの単なる境界以外に差異のない関係は意味のない文章に過ぎない。私にとってそれは誤った抽象であり、自分の矛盾を声高に主張するものである。そして、私は事態をそのままにせざるを得ないことを怖れる。なんの情報もなしに置き去りにされ、自分の耳ではなんの和音も聞き取れなければ、私は他の者たちがある意味聞く耳をもたないのだと結論せずにはおれないことになる。それゆえ、諸性質なしの関係はなにものでもないと言わねばならない。

 

 しかし、他方、関係が諸性質に対してどのようにあり得るのかは理解できない。もし諸性質に対してなにものでもないなら、それらはまったく関係していないことになる。もしそうなら、既に見たように、それらは諸性質であることを止め、関係は存在しない。しかし、もしそれがなにものかであるなら、明らかに我々は新たな連結の関係を得たことになるだろう。というのも、関係はその項の一方や双方の単なる付随物であることはほとんどあり得ないことである。あるいは、少なくとも、擁護しがたく思われる。(1)それ自体なにものかであり、項に関係をもたらさないなら、どう理解することができよう。そして、ここでまた我々は希望のない渦のなかに巻き込まれ、際限なく新たな関係を見いだし続けるよう強いられる。輪は一つの輪によって結びつけられ、この結びつけるものも両端のある輪である。そしてそれらを古いものと結びつけるために新しい輪が必要である。問題は、関係がその諸性質をどうすれば守ることができるかを見いだすことにあり、この問題は解決不可能である。もし結びつきが切れ目のないものなら、他のものがどのようにそれに結びつくか示さねばならないし、実際、示すことはできない。それをある種の霊媒や非実体的な雰囲気だとするなら、最早それは結びつきではない。この場合、諸性質の関係という問題のすべては(確かにそれらはある仕方で関係しているのだが)、以前そうであったのと同じく性質の外側に生ずる。端的に言って、本来の関係は非存在となるが、そうなることで問題になっているどの要素も取り除かれない。

 

 

*1

 

 この章をそろそろ終りにしたいと思う。議論を細分化し洗練することで展開させるのは容易だが、利益になることがない。私にとって、読者の反論を先取りしようとすることも空しいこととなろう。結果だけを述べて、それをそのままにしておかなければならない。私の辿りついた結論は、関係に基づいた思考は--諸項と諸関係の仕掛けで働くものはみなそうだが--仮象だけで、真理を与えはしないということである。それは一時しのきのもの、作りもの、実際的には妥協で、最も必要なものではあるが、結果的には最も擁護しがたいものである。我々は実在を多と捉え、一と捉え、その上矛盾を避けねばならない。分割しようとするか、分割不可能なものと捉える。どちらかの方向に望むだけ進み、丁度いいところで止まる。そこで、我々は成功するが、眼を閉じることによってのみ成功するので、開いたままでは非難にさらされる。あるいは、無視したい部分に背を向けて絶え間のない変更や転換をするかである。しかし、形而上学で要求されるように、こうした矛盾が一所にまとめられると、結果はあからさまな際立った不調和となる。そして我々はそれを実在に当てはめることができない。矛盾を引き受ければ、一つの悪を二つにすることになる。我々の知性の混乱と破産が非難され、実在は理解不可能なもののままに残される。あるいは、更に悪いことには、あらゆる区別と性質を剥がされたものとなってしまう。裸で特徴のないものとなり、我々は混乱に覆われる。

 

 この章の議論をたどり、その原理を理解した読者はこれ以上時間を費やす必要はないだろう。彼は、関係的な我々の経験は真実ではないことを見てとるだろう。そして、迷うことなく、多くのものに仮象だという判決を下すだろう。次に、非常に簡単ではあるが、空間と時間について述べるときがきたようである。

*1:

(1)関係は一つの項の付随物ではなく、もしそうなら関係ではない。同じ理由により、別々に取られた各項の付随物でもなく、そうなら再びそこに関係は存在しないことになる。関係は共通の属性でもなく、もしそうならそのときそれらが別々のままにあるようにさせるのは何だろうか。それらは二つの項というものでは全くなく、なぜなら別々のものではないからである。そしてこの新たな全体の内部には、内在する問題がより悪化した形で発生する。しかし、このことを詳細にわたって追う必要はないだろう。