ブラッドリー『仮象と実在』 15

  第四章 空間と時間

 

      (その心理学的起源を論じるのは的外れである。)

 

 この章の対象とするところは、空間や時間の本性を十分に議論しようとするには程遠い。それらを仮象と見なすことへの主な弁明を述べるだけで十分だろう。その特徴に、なぜ我々は実在、あるいは実在に属しているものを認めないのか説明してみよう。まず、空間について示そう。

 

 ここで知覚の心理学的起源に関わることはしない。空間は非空間的な要素から発展した産物かもしれない。そうだとしたら、それが真の実在であるかの問題に大きな関わりをもっているかもしれない。しかし、それをここで考えることは不可能である。というのも、第一に、起源を説明する企てはすべてあからさまな失敗に終わるからである。(1)第二に、実在は、その発達の証明を必然的に伴うものでもなかろう。心理学に起源をもつからといって実在ととれるわけではないし、心理学的に二次的だからといって非実在ととることもできない。真である要素から論理的に構築されたものであるなら、我々の知識のみから発するものであっても、事実上の起源だろう。しかし、起源をたどる企てに曖昧な部分や空想の部分がある限り、問題全体を不適切なものと見なすほうがいい。

 

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*1:(1)私は、非空間的な要素を起源と考えると言っているわけではない。反対に、更にその元や起源を指摘することこそできないが、二次的なものだと信じていい理由がある。「延長」と呼ばれるものは(かく呈示される限り)混乱を含んでいるように思われる。その意味するところを知っているなら、それは紛れもなく空間的であるか、まったく空間的ではないことになるように思える。できる限り、曖昧にしておいた方が有用にも思える。多かれ少なかれ、<すべての>知覚は(厳密な意味での程度は考えないことにする)空間を含むのだろうか、含まないのだろうか。この問題に対する答えは<どんなものでも>「延長」を配することになるように思われる。『マインド』iv.pp.232-5を見よ。