ブラッドリー『仮象と実在』 16

      (空間は関係であり、関係でないために不整合である。)

 

 それでは、空間や拡がりを単にそのものとして捉えるとき、それが矛盾をきたすかどうか調べてみよう。読者は、空間の連続性と不連続性から生じる難点については知悉されているだろう。空間に限りがないという結論は必然的だが、終端は存在には本質的である。空間は、その内側においても、外側でも終端に達することはない。内的にあるいは外部で、なにものかが常に消え去っていく限り、それはまったく空間ではない。このジレンマは部分的に扱われることはあるが、正面から向き合われ、解決されることはこれまでもなかったし、これからも決してないだろう。そして、当然のことながら、この問題が立てられるときには、空間に罪が帰せられる。

 

 矛盾とその解決不可能性の根にあるものを、私の考えるもっとも容易な形で述べてみるとこうなる。空間は関係である--それは不可能である。空間は性質か実体である--それも不可能である。それは我々が前章で論じた問題の特殊な形であり、対立するものを結びつけようとする特殊な試みである。この難問を正反対の方向から論じてみよう。

 

 1.空間は単なる関係ではない。というのも、空間は拡がりのある部分からならなければならず、その部分は明らかに空間である。もし空間を集合として捉えることができるなら、それは切れ目のないものの集合だろう。関係は、単なる関係ではない空間を一つにまとめる。そして、この集合を単なる内的関係と捉えると、空間ではなくなる。我々にもたらされる命題は、空間は諸空間の関係以外のなにものでもない、ということである。そして、この命題はそれ自身に矛盾する。

 

 また、別の側面から見るなら、ある空間を全体として捉えると、明らかにそれは関係以上のものである。それは事物、実体、性質(お好きなように呼べばよろしいが)で、明らかにそれが結びつける諸部分と同じように切れ目がない。外から見ても内から見ても、それはその内容と同じく多を寄せつけず一様である。我々が常にその諸部分を語らざるを得ない事実そのものが十分な証拠だろう。ある関係の諸部分がどうして可能だろうか。

 

 2.しかし、空間は関係以外のなにものでもない。というのも、第一に、どんな空間も諸部分から成り立っていなければならないからである。諸部分が空間でないなら、全体は空間ではない。空間にある諸部分をとってみよう。それらは切れ目のないものでなければならず、明らかに広がりをもつものだと思われる。しかしながら、広がりがあるなら、それは諸部分からなり、更にそれらは諸部分からなり、際限がない。空間、あるいは空間の部分が本当に切れ目がないなら、自己矛盾である。広がりのあるものは一つの集合で、広がり同士の関係で、その各広がりはまた広がりの関係で、無限に続く。諸項は関係に本質的だが、諸項は存在しなくなる。際限なく探求しても関係以上のものを見いだすことは決してないし、可能でもない。空間は、本質的に、諸関係のなかに消え去ってしまう関係であり、その項を探そうとしても無駄である。広がりのなかの広がり--見いだすことのできない無である。

 

 外側から見ても、同様の結論が余儀なくされる。内的にいっても、空間は、決して存在することのできない構成単位の間の関係のなかに消え去ってしまう。他方、構成単位そのものをとっても、実体のない全体を探る過程のうちに失われる。本質的にそれは別のなにものかと関連しており、現実を超えて永遠に進行する過程である。全体としてあるのは、端的に言って、存在しないなにものかとの関係である。可能な限り大きく完全な空間をとってみよう。でも、限定する境界がなければ、それは空間ではない。その終端を雲や無のなかに置くことは、単なる盲目性であるか、我々の知覚の失敗なのである。空間が制限されていて、その外側に空間がないというのは自己矛盾である。不運にも、その外側も同様にそれ自身を越えるように強いられる。そして、終端には到達することはできない。それが単に我々が知覚できない、あるいは理解できないという問題でないのなら、他にどうなることがあり得よう。少なくとも、空間が空間であれば、我々が知覚し、理解するもの以外ではあり得ない。我々は空間が意味するところを知らないのかもしれない。もしそうなら、我々がそれを仮象以上のものだと言えないことは確かである。あるいは、空間の意味を知っているのであれば、我々が述べている難問はその意味に固有なものだと見て取れる。空間は、空間であるなら、その外側に空間をもっていなければならない。それは永久にある全体のなかに消え去り、その全体は決してそれを超えたなにかとの関係の一側面以上のなにものでもないことは確かである。かくして、空間は切れ目のない部分をもってもいないし、全体と捉えても、それ自身と新たな自己との関係以上のものではない。そのようなものであるなら、空間ではない。それを超えて空間を見いだそうとすると、関係のなかに消え去ってしまうものを見いだすだけである。空間は諸項の間の関係だが、その項は決して見いだすことができない。