明治余韻 三富朽葉
三富朽葉は明治22年長崎県の壱岐で生まれ、八歳のときに家族ともども東京に移り住んだ。そのとき、相続人のいなかった伯父の三富家の養子となった。早稲田大学の英文科に入り、在学時代から詩社を結び、活発に詩作、日本にフランス流の象徴詩をもたらそうと運動した。しかし、大正6年、二十九歳の夏、千葉県の犬吠岬の別荘に避暑に行っていたとき、溺れかけた友人を助けようとして、一緒に溺死してしまった。三富朽葉はなぜかなじみのある名前で、日夏耿之介の文章で知ったような気もするし、生田耕作だったかもしれないし、アナとして由良君美という線があるかもしれず、つまるところはっきりおぼえていないのである。雨とか昼下がりの気疎さが見事にとらえられていて、驚くほど「近代的」な感じがする。
外から砂鉄の臭ひを持つて来る海際の午後。
象の戯れるやうな濤の呻吟(うなり)は
畳の上に横へる身体を
分解しようと揉んでまはる。
私は或日珍しくもない原素に成つて
重いメランコリイの底へ沈んでしまふであらう
えたいの知れぬ此のひと時の衰へよ、
身動きもできない痺れが
筋肉のあたりを延びてゆく・・・
限りない物思ひのあるやうな、空しさ。
鑠ける光線に続がれて
目まぐるしい蝿のひと群が旋る。
私は或日、砂地の影へ身を潜めて
水月(くらげ)のやうに音もなく鎔け入るであらう。
太陽は紅いあかいイリュウジヨンを夢みてゐる、
私は不思議な役割をつとめてるのではないか。
無花果樹の蔭の籐椅子や、
まいまいつむりの脆い殻のあたりへ
私は蝿の群となつて舞ひに行く。
壁の廻りの紛れ易い模様にも
ちよつと臀を突き出して止つて見た。
窓の下に死にゆくやうな尨犬よ。
私はいつしかその上で渦巻き初める、
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砂鉄の臭ひの懶いひとすぢ。
砂鉄の臭いのする海際の午後という設定からすでにわたしはくらくらするが、メランコリーとは耐えかねる重力であり、あたかも早送りにしたフィルムのように、人間が元素となって渦巻きに呑みこまれる崩壊過程を写し取るのである。