ブラッドリー『仮象と実在』 76

     (いかなる実際的な前提からも回答はもたらされない。)

 

 実際的な目的とその価値基準は存在すると私には思われ、その性質については後に十分に扱うことになろう(第二十五章)。いまのところ私に言えるのは、抽象的に捉えると、実際的な基準とは理論的基準として用いられるのと同じように思える、ということである。個別的なもので、調和のとれた、あるいは一貫した存在の内容をもっている。更に、存在は限定されることはあり得ず、もしそうなら内的に矛盾することになろう(第二十章及び二十四章)。この段階で聡明な快楽主義者と袂を分かつ必要もないだろう、というのも、私の判断では、実際上の完璧さは均衡のとれた快楽をもたらすだろうからである。これらの点については後に述べることになるが、現在のところ、暫定的に曖昧なままにとどめておこう。実際的な目的を個別性におくにしろ、明確な快楽におくにしろ、両者の一致におくにしろ、問題は、この目的が絶対において実現することが知りうるかどうか、知りうるとすれば、その知識はなにに基づいて可能なのかを問うことにある。理論的な価値基準から直接に導き出せないことは明らかであり、問題は実際的な基準がそれを供給できるかどうかである。私が供給できないと信じる理由を説明してみよう。