一話一言 29

 

 

爆笑

 

爆笑や接吻は概念を生みだしたりはしない。客体を取り扱いやすいものにするのに必要な観念よりも、爆笑や接吻の方が、「在るもの」へのいっそう真実な到達法を計らってくれる。「在るもの」を————お望みなら宇宙を、と言ってもいい————ひとつの有用の物体の類似物に還元してしまうとは!これ以上に笑止をきわめたことはない。笑うこと、愛すること、激昂に涙を流し、私の認識の不能ぶりに涙を流すことさえ、じつは認識の諸手段なのである。これらの手段は、知性の次元におかれてはならない。それらは、やむをえない場合には、知性の方で笑いを、愛を、また涙を、物体相互の作用および反作用の他のかずかずの様態と同一視するまでに、知性と合体しもする。これらの様態は、知性の中で、まず、現実物の従位の様相として現われるが、笑いや他の非生産的情動は、だからといって、知性を病弱状態におとしいれる力を減殺されはしない。(・・・)知性の混乱と従属のみが、神について語ることを可能にする。

 

 バタイユはとても若いときに熱心に読んだのだが、たぶん、言葉として読んでいたにすぎず、最近ボディーブローのように効いてきたのだが、それにしても効くのが遅すぎるのは、私の太鼓腹でポンポンとなる音が地球を一周してようやく戻ってきたせいかもしれない。