ブラッドリー『仮象と実在』 127
...[完全性と量。]
よくある間違いから引出される反論について最後に軽く触れておこう。量はしばしば完全性の観念に導入される。というのも、完全性は我々がたどり着くことのない彼方のように思われ、それは自然に無限の数という形を取る傾向にあるからである。しかし、実際にある数字はなんであれ有限でなければならないから、我々はすぐに希望のない矛盾に巻込まれることになる。この明らかな幻影についてはこれ以上言う必要はないと思う。そこで、完全性についての我々の見方に対して主張される定番の反論に移ろう。もし完全性が調和であるなら、それ以上の領域の拡大や快の増大によってそれがより完全なものとはなり得ないだろう。かくして、最も小さい存在が最も大きな存在と同じく完全であり得ることは明らかである。これは逆説的なことに思える。しかし、言わせてもらえば、この逆説は実際には誤解から来ている。というのも、我々はその本性が常に、そして本質的に不完全である存在に慣れているからである。そして、より小さな完全性には欠如、或は少なくとも欠点に値する条件があり、この条件は量の変化につれて変化すると仮定する。しかし、存在が真に完全なら、我々の仮定は馬鹿げている。あるいはまた、我々は先ずそれ自体で完全なものを想像し、それと比較してより大きな完成物を置く。そして、無意識のうちに我々はより大きなものが、より小さなものに何らかの形で捕らわれているように取る。そして、自然に、小さい存在が対照すると欠陥があるものとなる。しかし、我々が見誤っているのは、そうした存在はもはや完全ではあり得ないということである。というのも、事実ではない観念が我々によってそこに置かれている。この観念は同時に諸要素の衝突を含んでおり、結果的に完全性の喪失もまた含んでいる。かくして、逆説が我々の誤解によってつくりだされる。我々は完成を仮定し、秘密裏にそれを破壊する条件をつけ加えている。その限りにおいて、これは単なる誤りの一つでしかなかった。